—— 『ハリスの旋風』【1】のアニメ化は、どういった経緯でお話が来たのでしょうか?
ちば:『ハリスの旋風』は2、3本で終わるつもりだったのが、編集さんも手応えを感じてくれたらしく「ちばさん、この路線でいきましょう」と。その連載中にテレビ局やアニメーションの会社が「この作品をアニメにしませんか」と声をかけてくださったんです。
自分のキャラクターがテレビや映画になり声を持っていきいきと動き回るのは嬉しいなと思いました。ただ、自分の作品がアニメーションになるということに、すごく責任を感じてしまって、テレビ局の人と打ち合わせをしようと思ったんです。でも、アニメーションというのは、スケジュールがギリギリなんですね、来週放送する話を今作っているような感じなのでシナリオを見て「これはちょっと違うので直してもらいたい」などとやりとりしていたらとても間に合わない。最初のうちはなかなか思い通りにならずずいぶんストレスも溜めましたけど、そのうちに私も「これはもう、テレビはテレビでやってもらった方がいいな」と思ったんです。
テレビには監督さんや脚本家さん、いろんな人がいるんだからそういう人たちにおまかせして、「自分の娘を嫁にやったつもりでいよう。ちょっと思っていたことと違っても、それはそれで頑張ってほしい」と、そういうスタンスになってからは、すごく気が楽になりましたし、肝心のテレビ局やアニメーション制作側も伸びやかに作られてくれたんじゃないかと思います。
—— 主人公の「国松」という名前は、先生の恩人のお名前からと伺いました。
ちば:そうなんです。私が漫画で初めて原稿料をもらったのが、石橋国松さん【2】という社長さんなんです。日昭館という貸本屋さんに卸す専門の小さな出版社のね。国松さんは私の絵を見て、「まだ未熟だけど、ちょっと頑張ってやってみる?」と言って、原稿用紙をくれたり、漫画の描き方を教えてくれたり、しかも最後に原稿を持って行ったら、なんと原稿料をくれたんです。1万2千351円。今でも覚えてる。
ちょうど1円玉が発行されたばかりの頃で、国松さんがキラキラ光る銀色の1円玉を乗せながら「次回作も頑張ってね。」と励ましてくれたんです。嬉しかったね。
—— 手塚治虫先生【3】や松本零士先生【4】をはじめ、自分でアニメを作りたいという方もいらっしゃいましたが、ちば先生ご自身はそういう気持ちはなかったのでしょうか?
ちば:自分の漫画を描くだけで精一杯でしたから、アニメーションを作りたいなんて1回も思ったことないですね。1枚1枚セルを作ったり大変な作業で、私には向いていないと思いましたから。アニメーションを観ることは大好きですけどね。
手塚治虫さんや松本零士さんがアニメーションを作りたいというのは本当にパワフルだなあと思います。アニメーションに対する愛情の深さが違ったんでしょうかね。
—— 『あしたのジョー』【5】は手塚先生の虫プロ【6】が制作されましたが、それを最初に聞いたときに、先生はどうお感じになりましたか?
ちば:嬉しかったですよ。手塚治虫さんが認めてくれた、ということなんだから。「うちで作ります」と聞いた時は本当に嬉しかったですよ。
—— 『あしたのジョー』のアニメを制作された丸山正雄さん【7】とは親交があったのでしょうか?
ちば:丸山さんは名プロデューサーですよね。まるい顔でいつもニコニコニコニコしてね。ずいぶんお世話になりました。 『あしたのジョー』だけじゃなく、私の他の作品のアニメ化も考えてくれていたんじゃないかなと思います。
—— 『あしたのジョー』を実際にテレビでご覧になって、いかがでしたか?
ちば:最初はニュアンスがちょっと違うかな?とか気になることはもちろんありましたけど、みんなが真剣になって作ってくれているのがわかるんです。
すごくいいセリフがあって「なるほど!」と思わされたり、あの表情はいいなとか。それから音楽が入ったり、効果音が入ったりすることで、漫画よりもさらに面白くしてくれているのを感じて、逆に影響を受けるようにすらなりましたね。
—— 『あしたのジョー』の連載中には、講談社の講堂で力石のお葬式【8】が執り行われました。
ちば:力石が死んだ場面を描いた後、寺山修司さん【9】と舞台の仲間たちがお葬式をやりたいって言い出したんです。
私は「漫画の中の話なのに、なんでお葬式なんてことになっちゃったんだろう?」と軽く考えていて、当時は本当に忙しかったのでお葬式には出ないで、そのかわりに少しでも寝ているつもりだったんです。でもこの近所に住んでいた原作者の梶原一騎さん【10】がキチンとした喪服姿で迎えに来たので、慌てて着替えて出かけました。
講談社に向かう車中でも「そんなに大ごとにしないでも・・・」と戸惑っていたんですが、いざ会場に着いたら、平日の昼間なのにもかかわらず近くの護国寺のほうまでたくさんの参列者が並んでいて、「こんなにみんな真剣に哀しんでくれているの?」とびっくりしました。漫画のキャラクターを、自分の身近に生きてる人のように考え、感じてくれて、作品を読んでくれていたんだなとわかって驚きながらもすごく嬉しかった。それまでも漫画は一作一作真剣になって描いていましたが、皆さんがこんなに真剣になって読んでくれているということをあらためて心に刻んで、「うっかりしたものは描けないな」と思いました。
—— 『あしたのジョー』のキャストの方たちとは親交があったのでしょうか?
ちば:あおい輝彦さん【11】とは、最初は会う機会がなかったですね。みなさん忙しいし私も忙しかったし、もうほとんどおまかせでしたけど、後で映画になって舞台挨拶をする時にお目にかかりました。本当にナイスガイでしたね。彼が吹き込んでくれたジョーの声も、これ以外に考えられないというくらいハマっていました。
あと(映画の)葉子さんの声は、檀ふみさん【12】がやってくれました。こちらもとても優しい品のある良い声でね。(葉子が実在したら)こういう声なんだろうな、と素直に思えました。何度かお会いした際には毎回お礼を言っています。
—— 連載からかなり時間が経ちますが、映像化されることに対して自分のところから離れたような感覚があるのでしょうか?
ちば:それはそうですね。 『あしたのジョー』という作品はいろんな人が関わっているわけですから。でもみなさんのおかげで、本当に良い作品にしてもらったと思います。もう50年も経ちますが、おじいさんとお父さんと孫が一緒になって楽しんでくれているという話を聞いていて、とても嬉しいです。
—— 先生は現在、エッセイ形式の『ひねもすのたり日記』【13】を描かれています。最近の先生のお話もあれば、昔の思い出話もあったりと、すごく楽しい作りですね。
ちば:たった4ページの作品ですけど、オールカラーでいろんな時代を切り取って描いています。
私は戦争の体験もしていますので、戦争の話だとか、日本へ帰ってきたときの話とかも。日本が本当にみんな貧しくて、お腹を空かせて餓え死にする人もたくさんいた。そういう時代があったんだよっていうことを、今の若い人たちに向けて漫画で描いたら、いろんなことを感じてくれているみたいですね。
—— 先生は日本漫画家協会の会長も務められており、漫画を文化として保護するお仕事もされています。
ちば:私は何もしていませんよ。これまでのたくさんの漫画家のすぐれた作品があったからこそです。手塚治虫さん、馬場のぼるさん【14】、白土三平さん【15】、やなせたかしさん【16】、赤塚不二夫さん【17】、藤子Ⓐさん【18】Fさん【19】、石ノ森章太郎さん【20】をはじめ、皆さんが真剣になって頑張って漫画を描いてきたんです。編集さんも相談にのったり、一緒に徹夜したりしてね。そういう人たちがやってきた仕事がいま、とても認められているんです。
天皇陛下や皇室の方々も、漫画は日本の文化だと思って、読んでくださっているみたいです。それが嬉しいですね。
—— 今頑張っている若手の漫画家さんに、ちば先生から伝えたいことはありますか?
ちば:漫画を描くというのは、お話を作って、ロケーションをして、どういう建物に住んでいるかとかを考えたり、本当に時間が掛かって大変です。体力も精神力もいるし、締め切りに追われるのも大変だけど、やりがいのある仕事です。
本当にいろんな人が、一度読んだ場面をずっと覚えていて、「こういうふうに生きたい」とか「人間ってもうちょっと気楽に生きていいんだよ」とか「楽しいのが一番」とか、いろんなことを漫画から感じてくれています。
今は世界中の人が翻訳されたものを読んでくれていますから、読者は日本人だけじゃないんです。いろんなところで読まれているので、「本当に大変だけど、命を賭けても悔いがないほどやりがいのある仕事なんだよ」ということは、みんなに言いたいですね。
—— 最後にひと言、お願いします。
ちば:練馬は漫画家がいっぱいいるんです。私の友達もいるし、先輩も後輩もいっぱいいる。東京で一番、日本で一番漫画家がいるということは、世界で一番漫画家がいるところなんです。
だから今、漫画のことをこうして取り上げてくれて、みなさんが理解してくれて、この漫画というものを大事にしてくれているのでとても嬉しいです。
我々もね、今できる事を一生懸命やっていて、練馬がますます漫画家が住みやすい、漫画が育ちやすい、そういう場所になりつつあるので、私もすごく楽しみに生きています。
ありがとうございます。
ちばてつや先生、ありがとうございました。