映像∞文化のまち ねりま

ねりま映像人インタビュー

第40回 ちばてつや先生 後編

第40回 ちばてつや先生 後編

2025.09.11

こちらのコンテンツは、是非音声版でお楽しみください

練馬にゆかりの映像人の皆様にお話を伺い、練馬と映像文化の関わりを紹介する「ねりま映像人インタビュー」のダイジェストテキストです。
ゲストは前回に引き続き、漫画家・ちばてつや先生。
今回は映像化された作品の代表例として、『ハリスの旋風』『あしたのジョー』を中心に伺いました。
なお、今回も特別編として動画付きでお届けします。是非、動画と併せてお楽しみください。

—— 『ハリスの旋風』【1】のアニメ化は、どういった経緯でお話が来たのでしょうか?

ちば:『ハリスの旋風』は2、3本で終わるつもりだったのが、編集さんも手応えを感じてくれたらしく「ちばさん、この路線でいきましょう」と。その連載中にテレビ局やアニメーションの会社が「この作品をアニメにしませんか」と声をかけてくださったんです。
自分のキャラクターがテレビや映画になり声を持っていきいきと動き回るのは嬉しいなと思いました。ただ、自分の作品がアニメーションになるということに、すごく責任を感じてしまって、テレビ局の人と打ち合わせをしようと思ったんです。でも、アニメーションというのは、スケジュールがギリギリなんですね、来週放送する話を今作っているような感じなのでシナリオを見て「これはちょっと違うので直してもらいたい」などとやりとりしていたらとても間に合わない。最初のうちはなかなか思い通りにならずずいぶんストレスも溜めましたけど、そのうちに私も「これはもう、テレビはテレビでやってもらった方がいいな」と思ったんです。
テレビには監督さんや脚本家さん、いろんな人がいるんだからそういう人たちにおまかせして、「自分の娘を嫁にやったつもりでいよう。ちょっと思っていたことと違っても、それはそれで頑張ってほしい」と、そういうスタンスになってからは、すごく気が楽になりましたし、肝心のテレビ局やアニメーション制作側も伸びやかに作られてくれたんじゃないかと思います。

—— 主人公の「国松」という名前は、先生の恩人のお名前からと伺いました。

ちば:そうなんです。私が漫画で初めて原稿料をもらったのが、石橋国松さん【2】という社長さんなんです。日昭館という貸本屋さんに卸す専門の小さな出版社のね。国松さんは私の絵を見て、「まだ未熟だけど、ちょっと頑張ってやってみる?」と言って、原稿用紙をくれたり、漫画の描き方を教えてくれたり、しかも最後に原稿を持って行ったら、なんと原稿料をくれたんです。1万2千351円。今でも覚えてる。
ちょうど1円玉が発行されたばかりの頃で、国松さんがキラキラ光る銀色の1円玉を乗せながら「次回作も頑張ってね。」と励ましてくれたんです。嬉しかったね。

—— 手塚治虫先生【3】松本零士先生【4】をはじめ、自分でアニメを作りたいという方もいらっしゃいましたが、ちば先生ご自身はそういう気持ちはなかったのでしょうか?

ちば:自分の漫画を描くだけで精一杯でしたから、アニメーションを作りたいなんて1回も思ったことないですね。1枚1枚セルを作ったり大変な作業で、私には向いていないと思いましたから。アニメーションを観ることは大好きですけどね。
手塚治虫さんや松本零士さんがアニメーションを作りたいというのは本当にパワフルだなあと思います。アニメーションに対する愛情の深さが違ったんでしょうかね。

—— 『あしたのジョー』【5】は手塚先生の虫プロ【6】が制作されましたが、それを最初に聞いたときに、先生はどうお感じになりましたか?

ちば:嬉しかったですよ。手塚治虫さんが認めてくれた、ということなんだから。「うちで作ります」と聞いた時は本当に嬉しかったですよ。

—— 『あしたのジョー』のアニメを制作された丸山正雄さん【7】とは親交があったのでしょうか?

ちば:丸山さんは名プロデューサーですよね。まるい顔でいつもニコニコニコニコしてね。ずいぶんお世話になりました。 『あしたのジョー』だけじゃなく、私の他の作品のアニメ化も考えてくれていたんじゃないかなと思います。

—— 『あしたのジョー』を実際にテレビでご覧になって、いかがでしたか?

ちば:最初はニュアンスがちょっと違うかな?とか気になることはもちろんありましたけど、みんなが真剣になって作ってくれているのがわかるんです。
すごくいいセリフがあって「なるほど!」と思わされたり、あの表情はいいなとか。それから音楽が入ったり、効果音が入ったりすることで、漫画よりもさらに面白くしてくれているのを感じて、逆に影響を受けるようにすらなりましたね。

—— 『あしたのジョー』の連載中には、講談社の講堂で力石のお葬式【8】が執り行われました。

ちば:力石が死んだ場面を描いた後、寺山修司さん【9】と舞台の仲間たちがお葬式をやりたいって言い出したんです。
私は「漫画の中の話なのに、なんでお葬式なんてことになっちゃったんだろう?」と軽く考えていて、当時は本当に忙しかったのでお葬式には出ないで、そのかわりに少しでも寝ているつもりだったんです。でもこの近所に住んでいた原作者の梶原一騎さん【10】がキチンとした喪服姿で迎えに来たので、慌てて着替えて出かけました。
講談社に向かう車中でも「そんなに大ごとにしないでも・・・」と戸惑っていたんですが、いざ会場に着いたら、平日の昼間なのにもかかわらず近くの護国寺のほうまでたくさんの参列者が並んでいて、「こんなにみんな真剣に哀しんでくれているの?」とびっくりしました。漫画のキャラクターを、自分の身近に生きてる人のように考え、感じてくれて、作品を読んでくれていたんだなとわかって驚きながらもすごく嬉しかった。それまでも漫画は一作一作真剣になって描いていましたが、皆さんがこんなに真剣になって読んでくれているということをあらためて心に刻んで、「うっかりしたものは描けないな」と思いました。

—— 『あしたのジョー』のキャストの方たちとは親交があったのでしょうか?

ちばあおい輝彦さん【11】とは、最初は会う機会がなかったですね。みなさん忙しいし私も忙しかったし、もうほとんどおまかせでしたけど、後で映画になって舞台挨拶をする時にお目にかかりました。本当にナイスガイでしたね。彼が吹き込んでくれたジョーの声も、これ以外に考えられないというくらいハマっていました。
あと(映画の)葉子さんの声は、檀ふみさん【12】がやってくれました。こちらもとても優しい品のある良い声でね。(葉子が実在したら)こういう声なんだろうな、と素直に思えました。何度かお会いした際には毎回お礼を言っています。

—— 連載からかなり時間が経ちますが、映像化されることに対して自分のところから離れたような感覚があるのでしょうか?

ちば:それはそうですね。 『あしたのジョー』という作品はいろんな人が関わっているわけですから。でもみなさんのおかげで、本当に良い作品にしてもらったと思います。もう50年も経ちますが、おじいさんとお父さんと孫が一緒になって楽しんでくれているという話を聞いていて、とても嬉しいです。

—— 先生は現在、エッセイ形式の『ひねもすのたり日記』【13】を描かれています。最近の先生のお話もあれば、昔の思い出話もあったりと、すごく楽しい作りですね。

ちば:たった4ページの作品ですけど、オールカラーでいろんな時代を切り取って描いています。
私は戦争の体験もしていますので、戦争の話だとか、日本へ帰ってきたときの話とかも。日本が本当にみんな貧しくて、お腹を空かせて餓え死にする人もたくさんいた。そういう時代があったんだよっていうことを、今の若い人たちに向けて漫画で描いたら、いろんなことを感じてくれているみたいですね。

—— 先生は日本漫画家協会の会長も務められており、漫画を文化として保護するお仕事もされています。

ちば:私は何もしていませんよ。これまでのたくさんの漫画家のすぐれた作品があったからこそです。手塚治虫さん、馬場のぼるさん【14】白土三平さん【15】やなせたかしさん【16】赤塚不二夫さん【17】藤子Ⓐさん【18】Fさん【19】石ノ森章太郎さん【20】をはじめ、皆さんが真剣になって頑張って漫画を描いてきたんです。編集さんも相談にのったり、一緒に徹夜したりしてね。そういう人たちがやってきた仕事がいま、とても認められているんです。
天皇陛下や皇室の方々も、漫画は日本の文化だと思って、読んでくださっているみたいです。それが嬉しいですね。

—— 今頑張っている若手の漫画家さんに、ちば先生から伝えたいことはありますか?

ちば:漫画を描くというのは、お話を作って、ロケーションをして、どういう建物に住んでいるかとかを考えたり、本当に時間が掛かって大変です。体力も精神力もいるし、締め切りに追われるのも大変だけど、やりがいのある仕事です。
本当にいろんな人が、一度読んだ場面をずっと覚えていて、「こういうふうに生きたい」とか「人間ってもうちょっと気楽に生きていいんだよ」とか「楽しいのが一番」とか、いろんなことを漫画から感じてくれています。
今は世界中の人が翻訳されたものを読んでくれていますから、読者は日本人だけじゃないんです。いろんなところで読まれているので、「本当に大変だけど、命を賭けても悔いがないほどやりがいのある仕事なんだよ」ということは、みんなに言いたいですね。

—— 最後にひと言、お願いします。

ちば:練馬は漫画家がいっぱいいるんです。私の友達もいるし、先輩も後輩もいっぱいいる。東京で一番、日本で一番漫画家がいるということは、世界で一番漫画家がいるところなんです。
だから今、漫画のことをこうして取り上げてくれて、みなさんが理解してくれて、この漫画というものを大事にしてくれているのでとても嬉しいです。
我々もね、今できる事を一生懸命やっていて、練馬がますます漫画家が住みやすい、漫画が育ちやすい、そういう場所になりつつあるので、私もすごく楽しみに生きています。 ありがとうございます。

ちばてつや先生、ありがとうございました。

本テキストは音声版のダイジェストです。
是非音声版でお楽しみください。

プロフィール

ちばてつや
漫画家。1939年東京生まれ。少女漫画から青年漫画まで幅広く活躍。1968年に連載を開始した『あしたのジョー』(原作:高森朝雄※梶原一騎氏の別名義)は、時代を象徴する一大社会現象となった。そのほかの代表作に、『ハリスの旋風』『おれは鉄兵』『のたり松太郎』など。
2017年に練馬区名誉区民として顕彰された。2018年には日本漫画家協会会長に就任。
現在も練馬区に在住し、ビッグコミック誌にて『ひねもすのたり日記』を連載中。

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ダイジェストテキストに登場する作品名・人物名等の解説

【1】『ハリスの旋風(かぜ)』
週刊少年マガジンにて1965年から1967年まで連載された、ちばてつや氏による漫画。地元の中学を追い出され、名門・ハリス学園へ転入した暴れん坊・石田国松が、類まれな運動神経を見込まれて、様々な運動部の助っ人として奮闘する姿を描く。
1966年にモノクロでTVアニメ化され全70話を放送、最高視聴率31.8%の大ヒットとなる。
1971年にはカラーリメイク作『国松さまのお通りだい』全46話も制作された。
〈1966年版TVアニメ〉
原作:ちばてつや/演出:進藤善之/脚本:藤川桂介、雪室俊一 ほか/出演:大山のぶ代、山本嘉子、小原乃梨子、松島みのり ほか
【2】石橋国松(いしばし くにまつ)さん
貸本漫画を扱っていた出版社・日昭館書店の社長。ちばてつや氏が漫画家としてデビューするきっかけを作った。また、ちば氏のペンネームを本名の漢字からひらがなにするようにアドバイスしたのも、石橋氏だったと語っている。
【3】手塚治虫(てづか おさむ)さん
漫画家、アニメーション制作者。代表作に『新寳島』『鉄腕アトム』『リボンの騎士』『火の鳥』『ブラック・ジャック』など。
1961年に「手塚治虫プロダクション動画部」(1962年に「虫プロダクション」に改称)を設立し、実験アニメ『ある街角の物語』を発表。1963年には日本初の30分枠連続TVアニメ『鉄腕アトム』を制作し大ヒット、TVアニメブームの先駆けとなった。『どろろ』『ブラック・ジャック』『陽だまりの樹』などを始め、多くの作品が実写・アニメを問わず映像化されてきた。1989年2月9日逝去。
逝去から30年以上経ちながら、『ばるぼら』『火の鳥』など氏の作品を原作とした映像作品が近年も数多く生み出されている。

※当サイト及び当サイトのアニメーションコンテンツ「練馬アニメーションサイト」では、手塚治虫先生についてや手がけた作品、映像化された作品などについて紹介しています。
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【4】松本零士(まつもと れいじ)さん
漫画家。1970年代後半から80年代にかけての熱狂的なアニメブームの代表作『銀河鉄道999』や『宇宙海賊キャプテンハーロック』の原作者としても知られる。60年以上も練馬区の大泉に住み、四畳半もの「男おいどん」、戦場もの「スタンレーの魔女」など多様なジャンルにおいて膨大な数の傑作漫画を生みだした。2008年には練馬区名誉区民として顕彰された。2023年2月13日逝去。
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【5】『あしたのジョー』
1970年から1971年まで全79話が放送されたTVアニメ。練馬区で執筆活動をしていた高森朝雄氏(梶原一騎氏のこと。原作を担当)と、ちばてつや氏(作画)による漫画が原作。アニメーション制作は、虫プロダクションが担当した。主人公・矢吹丈(ジョー)がボクシングに出会い、ライバル・力石徹との対決や死を乗り越え、ボクサーとして成長していく物語。本作では原作の中盤までが描かれている。
原作:高森朝雄・ちばてつや/チーフ・ディレクター:出﨑統/脚本:雪室俊一、山崎忠昭 ほか/出演:あおい輝彦、藤岡重慶、仲村秀生 ほか
※当サイトのアニメーションコンテンツ「練馬アニメーションサイト」では、『あしたのジョー』に関連したトピックスを掲載しています
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【6】虫プロ
アニメーション制作会社・虫プロダクションの通称。1961年にマンガ家でアニメーターでもあった手塚治虫が設立し、1973年まで活動したアニメスタジオ「株式会社虫プロダクション」(旧)と、1977年に旧虫プロの労働組合を母体として設立された「虫プロダクション株式会社」(新)がある。ここでは虫プロダクション(旧)を指す。1963年に制作された日本初の30分枠連続TVアニメ『鉄腕アトム』は、日本のアニメビジネスの先駆けとなった。また、出﨑統氏や富野由悠季氏など、後のアニメ界をけん引する優れた人材を数多く輩出している。
※当サイトのアニメーションコンテンツ「練馬アニメーションサイト」内の「練馬のアニメスタジオの遺伝子 虫プロダクション編」でも詳しく紹介しています
【7】丸山正雄(まるやま まさお)さん
プロデューサー。日本のアニメ業界の黎明期から活躍している。1965年に虫プロダクションに入社。1970年にはTVアニメ『あしたのジョー』を世に送り出した。1972年にマッドハウスを設立。数々のTVアニメやOVAを手がけた。劇場映画では、今敏監督の全作品『PERFECT BLUE』(97)、『千年女優』(02)、『東京ゴッドファーザーズ』(03)、『パプリカ』(06)を企画・プロデュース。2006年には細田守監督の『時をかける少女』をプロデュースし、次作『サマーウォーズ』(09)も担当する。片渕須直監督作品『マイマイ新子と千年の魔法』(09)、『この世界の片隅に』(16)にも企画として立ち上げから携わった。現在はMAPPA取締役会長、スタジオM2代表取締役社長を務め、『鬼平』(17)、『薄墨桜 -GARO-』(18)、『PLUTO』(23)などを手掛けている。
※当サイト「ねりま映像人インタビュー」では丸山正雄さんを取り上げています
第16回 丸山正雄さん 前編
第17回 丸山正雄さん 後編
【8】力石のお葬式
『あしたのジョー』の前半に、ジョーの最大のライバルとして登場した力石徹(りきいし とおる)は、ジョーとの壮絶な試合に勝利した直後、リング上で絶命する。この死を悼んだ劇作家の寺山修司氏の呼びかけにより、1970年3月24日に講談社の講堂において、力石の葬儀が執り行われ、多くのファンが参列した。
【9】寺山修司(てらやま しゅうじ)さん
歌人、劇作家、映画監督、演劇実験室「天井桟敷」主宰。代表作に、『われに五月を』、『書を捨てよ、町へ出よう』、『田園に死す』などがある。マンガ・アニメファンには、『あしたのジョー』における“力石徹の葬儀”や、主題歌の作詞を担当したことでも知られている。1983年5月逝去。
【10】梶原一騎(かじわら いっき)さん
漫画原作者、小説家、映画プロデューサー。『あしたのジョー』の原作者・高森朝雄は梶原氏の別名義。スポーツや格闘技を題材とした「スポ根もの」を確立させ、多くの作品が映像化された。代表作に『巨人の星』『愛と誠』『タイガーマスク』『空手バカ一代』『プロレススーパースター列伝』など。1987年1月逝去。
【11】あおい輝彦(あおい てるひこ)さん
俳優、歌手。TVアニメ『あしたのジョー』(TV『2』、劇場版2作も含む)では、主人公・矢吹丈(ジョー)役を務めた。1962年にアイドルグループ「ジャニーズ」のメンバーとしてデビュー。グループ解散後は、歌手、俳優として活躍。代表作に、TVドラマ『二人の世界』(70-71)『水戸黄門』(88-00まで出演)、映画『犬神家の一族』(76)『真田幸村の謀略』(79)『大日本帝国』(82)などがある。
【12】檀ふみ(だん ふみ)さん
俳優、エッセイスト。劇場版『あしたのジョー』(80)『あしたのジョー2』(81)では、ヒロイン・白木葉子役を務めた。1972年の映画『昭和残侠伝 破れ傘』で女優デビュー。1973年にはNHKのバラエティ番組『連想ゲーム』のレギュラー解答者に抜擢されると人気を博し、以後、映画やTVドラマで活躍する。代表作に、映画『青春の蹉跌』(74)『あいつと私』(76)『火宅の人』(86)『わが愛の譜・滝廉太郎物語』(93)、TVドラマ『日本の面影』(84)『花燃ゆ』(15)『セミオトコ』(19)など。
【13】『ひねもすのたり日記』
2015年より連載中の、ちばてつや氏によるエッセイ漫画。既刊6巻(2025年8月現在)。満州国からの引き揚げ、その後の少年時代の出来事、漫画家としての駆けだし時代、日常の生活など、ちばてつや氏本人の経験が綴られている。
【14】馬場のぼる(ばば のぼる)さん
漫画家・絵本作家。終戦後に復員後、職を転々とする中で絵の勉強を始め、漫画家を志すようになり、1950年から連載を開始した野球漫画『ポストくん』で漫画家としての人気を得る。やがて絵本の世界にも進出し、1967年に発表した『11ぴきのねこ』が第15回サンケイ児童出版文化賞を受賞。以後6作にわたってシリーズ化され、代表作の1つとなった。その他の作品に、『バクさん』『きつね森の山男』などがある。2001年4月逝去。
【15】白土三平(しらと さんぺい)さん
漫画家。忍者を扱った劇画作品で知られる。紙芝居の制作や人形劇の舞台背景の制作などを経て、1957年に『こがらし剣士』でデビュー。 1959年に代表作の1つでもある『忍者武芸帳』の刊行を開始。1964年にはマンガ雑誌「ガロ」を創立し、『カムイ伝』を発表。1965年にはスピンオフ的作品『カムイ外伝』の不定期連載も開始、TVアニメ化もされるヒット作となった。2021年10月逝去。
【16】やなせたかし さん
漫画家、絵本作家、詩人。『アンパンマン』の作者として知られる。手塚治虫氏が総指揮を執り、虫プロダクションが制作したアニメーション映画『千夜一夜物語』(69)では、美術監督・キャラクターデザインとして参加。ストーリーボードの一部も描いている。手塚氏は本作のヒットのお礼として、やなせ氏の絵本デビュー作『やさしいライオン』を虫プロにてアニメ化。やなせ氏が監督も務め、1970年に東宝チャンピオンまつりの一作として公開された。その他、『チリンのすず』(78)『ニャニがニャンだー ニャンダーかめん』(00-01)『ハルのふえ』(09)など多数の作品が映像化されている。2013年10月逝去。
【17】赤塚不二夫(あかつか ふじお)さん
漫画家。1956年に貸本漫画『嵐をこえて』でデビュー。1962年から連載を開始した『おそ松くん』『ひみつのアッコちゃん』が話題となり、続く『天才バカボン』『もーれつア太郎』も大ヒット。以後、「天才ギャグ作家」として多忙を極めるようになる。そのほかの代表作に、漫画『レッツラゴン』『赤塚不二夫のギャグゲリラ』、自叙伝『これでいいのだ』、点字絵本『赤塚不二夫のさわる絵本“よーいどん!”』など。発表した作品の多くが、アニメや映画、TVドラマなど映像化されている。2008年8月逝去。
【18】藤子不二雄Ⓐ(ふじこふじお えー)さん
漫画家。安孫子素雄のペンネーム。藤本弘とコンビを組み、1953年より共同ペンネーム「藤子不二雄」として活躍、人気漫画家となる。『オバケのQ太郎』(64-76/共作)『忍者ハットリくん』(64-68)、『怪物くん』(65-69)はアニメ化もされ大ヒットとなった。コンビ解消後の1988年からは、「藤子不二雄Ⓐ」の名前で執筆活動を続けた。その他の代表作に、『プロゴルファー猿』、『笑ゥせぇるすまん』、『まんが道』など多数。2022年4月逝去。
【19】藤子・F・不二雄(ふじこ えふ ふじお)さん
漫画家。藤本弘のペンネーム。1953年より安孫子素雄との共同ペンネーム「藤子不二雄」として活躍、人気漫画家となる。1969年に連載を開始した『ドラえもん』は、1973年にTVアニメ化され人気が上昇。1979年にスタートした2度目のTVアニメをきっかけに、現在も続く大ヒット作品となった。1988年にコンビを解消し、ペンネームを「藤子不二雄Ⓕ」に変更。翌1989年からは「藤子・F・不二雄」として執筆活動を続けた。その他の代表作に、『キテレツ大百科』『エスパー魔美』『T・Pぼん』など多数。1996年9月逝去。
【20】石ノ森章太郎(いしのもり しょうたろう)さん
萬画(まんが)家。1966年から練馬区桜台で精力的に創作を行い、ギネスブックに記録されるほど数多くの作品を生んだ。多様なマンガ表現を追求し、その無限の可能性をあらわす言葉「萬画(まんが)」を提唱した。代表作に『サイボーグ009』、『HOTEL』など。『仮面ライダー』『ロボット刑事』『秘密戦隊ゴレンジャー』など特撮作品の制作にも大きく貢献し、現在の日本のエンタテインメントの礎を築いたひとり。1998年1月逝去。
※当サイト「コラム ねりま×映像∞文化」では、石ノ森章太郎先生に関連した記事を掲載しています
『サイボーグ009』~練馬区育ちの平和の戦士~
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