映像∞文化のまち ねりま

ねりま映像人インタビュー

第17回 丸山正雄さん 後編

第17回 丸山正雄さん 後編

2023.02.10

こちらのコンテンツは音声でもお楽しみいただけます。

※現在の社会状況を考慮しビデオ会議システムを使用して収録いたしました。通信環境の状況により、音声が一部お聞き苦しい箇所がございます。ご了承ください
練馬にゆかりの映像人の皆様にお話を伺い、練馬と映像文化の関わりを紹介する「ねりま映像人インタビュー」。
今回のゲストも、アニメーション作品のプロデューサー・丸山正雄さんです。
今回は、一緒に作品を作り上げてきた監督たちのお話、そして今なお制作し続けている、丸山さんご自身のお話をお伺いします。

—— 大きな転換点だった『あしたのジョー』【1】を一緒に作られた出﨑統監督【2】と、最初にご一緒した作品は?

丸山:たぶん『悟空の大冒険』【3】だと思います。僕が助監督でスタジオに入ってて、隣が統ちゃんのいたスタジオ。同じスタジオの中のグループだったんで、そこで『悟空の大冒険』の出﨑作品を観て、他の人と全然違う、シャープで思いつきがすごい。シナリオと関係なく映像をやっていて、「若くて一番トンでるやつ」っていう印象でした。
でも、そんなことよりも、どちらかと言えば麻雀友達で、毎日一緒にいました(笑)。
虫プロダクション【4】が好きなもう一つの理由は、勝手にいろんなことができるところ。仕事をやりたいときは仕事をやるけど、仕事をやりたくないときはやらなくてすんじゃう。誰かがやってくれてるんです。僕と統ちゃんは麻雀ばっかりやってて、怒られたりもするんですけど、最終的には許してもらえてるあのすごさ。今考えるとあり得ないですね。誰もちゃんとコントロールをしてない。でも物ができちゃう。僕が虫プロに居ついたのは、ひとえにあの無政府主義的なところだと思います。
ただ、僕はそういう会社はやるつもりもないし、やったら潰れちゃう(笑)。

—— 出﨑監督とたくさんの作品をやってた印象がありますが、『あしたのジョー』、『ジャングル黒べぇ』【5】、最初の『エースをねらえ!』【6】、後年の『ウルトラヴァイオレット:コード044』【7】以外にもありますか?

丸山:ありますよ。虫プロが駄目になって、僕らはマッドハウス【8】を作ったんですけど、それは出﨑に仕事をやってもらうための会社なんです。僕のためじゃない。『あしたのジョー』をやったスタッフで『国松さまのお通りだい』【9】をやったんですけど、もう一度そのスタッフで出﨑監督の作品を作るっていうのが僕的なイメージでした。
でも、すぐには仕事がなくて、東京ムービーの下請け仕事から始まったんです。
そのころに、やはり虫プロから独立した、先輩の岸本吉功さん【10】たちが作った創映社、今のサンライズ【11】ですけど、そこから声が掛かって。創映社の1発目の『ハゼドン』【12】をやってくれないかって。
「こういうギャグものとか軽いものは、お前が一番向いてるからやってよ!」なんて乗せられちゃって。出﨑も暇だったからチーフディレクターって肩書にして。だから『ハゼドン』の頭は、出﨑と僕でやってたんです。
ただ、出﨑は1クールやったあと、「これはどうもオレ向きじゃない」ってやめちゃって。僕は岸本さんの手前、やめるわけにもいかないので、2クールもきちんとやってマッドハウスに戻りました。

—— 『劇場版 エースをねらえ!』【13】とか『ガンバの冒険』【14】にも関わってらっしゃいますか?

丸山:関わってるというか、マッドハウス作品っていうのは基本的に僕が関わらざるを得ないんですよ。
ただ、どの程度関わったかっていうと、作品によっては「これは統ちゃんにおまかせ」というのもありました。
当時マッドハウスはお金が全然なかったですから、僕がサンリオ【15】に出向したり、なぜか実写のピープロダクション【16】に出向したり。『風雲ライオン丸』【17】なんてのも平気でやってる(笑)。ピープロのプロデューサーの方は脚本の直しがうまい人で、ものすごく勉強になりました。
日本アニメーション【18】に出向したときは、『ピコリーノの冒険』【19】なんかのシリーズ構成をやりましたね。
とにかくマッドハウスにお金を入れなくちゃないから、出向して拘束料をもらってきてたんです。その頃、一番稼いでたと思います(笑)。
いろんなことやってたんで、統ちゃんの作品にあんまり関われないときもあったんですよ。

マッドハウスでは、統ちゃんと宣伝映画、コマーシャルフィルムとかPRフィルムとかも、好きでやってました。
井上陽水の「闇夜の国から」【20】のミュージッククリップとかね。
そういう作品をやってると、統ちゃんの才気がわかるんですよ。閃きみたいなものが。
『悟空の大冒険』の頃には既にあるんですけど、ミュージッククリップやらコマーシャル映画での才気は見ていて嬉しくなっちゃう。
この仕事が好きになっちゃう原因は、そういうところにありますね。

—— 何人か監督のお話を伺います。『夏への扉』【21】『浮浪雲』【22】『はだしのゲン』【23】『時の旅人』【24】真崎守監督【25】とはほぼ同年代と伺いました

丸山:真崎守、りんたろう、僕は生年が昭和16年で全く一緒なんですが、虫プロの先輩で尊敬すらしてました。
ただ、彼は不思議な人で、虫プロ時代は絵を描く人だとは夢にも思わなかったです。
辣腕の制作マンだったんですよ。すごいプロデューサーとして、仕切りの上手さと整理の上手さと、スケジュールをきっちり守って、強引に有無を言わせずやっていくタイプでね。
虫プロを辞めてマッドハウスを作った時は、演出は出﨑しかいないんですよ。彼はそんなに器用ではないし、仕事を始めたら集中しちゃうし、それ以外の仕事をどうするかっていうときに困り果てて。
それで真崎守を呼んできて、「漫画も描けるんだし、あなたなら絵コンテぐらい描けるだろう!」って、マッドハウスの初期のころは全部森ちゃん(真崎守監督の本名・森柾(もり まさき))にお願いしていました。
ただ、上がってくる絵コンテがアニメーションの現場的には難しいところがいっぱいあるんですよ。
それでどうしようかっていうところで川尻善昭【26】を呼んできて、「森ちゃんのコンテがあるから、描き直して」って。川尻が全部リライトしてるんです。映画的なコンテを、レイアウト段階でアニメーションにしていくんです。
そこで逆に言うと、川尻が育つんですよ。演出が分かっていくという。僕にとっては一挙両得でした。
森ちゃんには助けてもらって申しわけないなと思っています。

—— りんたろう監督【27】とも、たくさんの作品をご一緒されています

丸山:そうですね。なんでも言える唯一の人だと思います。
どんな脚本でも、どんな世界観でも、どうにかする、こなしてみせる、ある種のアーティスト。
じゃあ、それで終わるかっていうとそうじゃない。そういう底知れないところがある。
何でもできちゃうじゃないですか。短編でも、ハードでも良い。
そういう意味でも本当、最初からずっと今まで助けてもらってます。
そして、やっぱりその一つのポイントである『幻魔大戦』【28】ってのは、僕は日本のアニメーションを変えたと思うんですよ。あれがターニングポイント。
アニメーションが劇場映画として成立するようになって、今までの手塚治虫【29】石ノ森章太郎【30】ではない大人向けのSFを、大友克洋【31】のキャラクターでやろうとしたんです。当時、あんな絵を描く人はいませんでしたからね。
そして、角川春樹【32】という特別な存在が、「りんたろうに任せる。お金も出すぞ!」と言ってくれた。
りんたろうの演出も含めて、新しいことに対するチャレンジが、日本のアニメーションを変えたパワー。凄いことだと思います。
今でも困ったときに、りんたろうに相談すると「しょうがねぇなぁ」と言いつつやってくれますから(笑)。ずっとお付き合い願っています。そういう意味では僕は本当ラッキーで、恵まれているんですね。そういう人たちが一緒にいて支えてくれる。
幸せな人生でございました(笑)。

—— 残念ながらお亡くなりになりましたが、今 敏監督【33】の劇場作品も、丸山さんがご一緒されています

丸山:いろんなことを言われるけど、僕は単純に今 敏のそばに居て、彼が仕事をする場所を作って、彼が面白いと思う作品を、好きなように作ってもらっただけ。作品そのものは全て今 敏作品ですからね。
ただ残念なことがあるとするならば、全部赤字だったことだけだと思います。
あれだけの作品がなぜ売れないのか。僕にとっては謎で、だから意地になって作り続けたのだけど。
あんなに面白い、だから、いまだに残っている。今君の全作品は賞味期限エンドレス。ちょっと類まれなる人ですね。
「面白い作品を一緒にやれて良かった」ってなれる、最大の人でしたね。

—— 片渕須直監督【34】とはどのようなお付き合いですか?

丸山:ごく最近、2,3本付き合ったように見えるんですけど、実は本当に古いんですよ。
僕が虫プロを出た後、残った人で会社を運営して『うしろの正面だあれ』【35】って作品ができたんです。昔の仲間がやってるんで観たんだけど、びっくりしました。「どうしたのこれ、今までの虫プロの作品と全然違う」と。クレジットは当然、知ってる人の名前が出てくるんだけど、1人だけ知らない名前の「片渕須直」ってタイトルがあったんです。「この人何者?」って聞いたら、「ジブリ【36】でやってる人で、今回だけレイアウト【37】でお願いした」って聞いて、なるほどと。実は一番驚いたのがレイアウトだったんです。僕は川尻とか、りんたろうとか天才の仕事を見ているからレイアウトにはうるさいんです。だから、「なんだこの画作りは!近いうちにいっしょに仕事しよう!」って、即電話したんです。それから一緒に仕事をするようになったのが20年近く経ってからですね。
早いし上手いし、誰でも仕事を頼みたくなる男なんですよ。ものすごく忙しくて、ずっと待っていたんです。
ちょうど4℃【38】『MEMORIES』【39】『大砲の街』【40】を作ってるときに、大友克洋君の助監督をやってると聞いて、「助監督なんてやってないで監督をやりなさい!」って言って(笑)。そのあと、『BLACK LAGOON』【41】をやってもらって、頑張ってくれたお礼に『マイマイ新子と千年の魔法』【42】をやりましょうと。『BLACK LAGOON』とは違うテイストだけど、逆に僕は彼にやってほしかったんです。完成した『マイマイ新子』が僕はものすごい好きで、この延長線でなにかできないかと考えました。それに『マイマイ新子』を観たお客さんが、僕よりもずっと好きな気持ちを持っていることも分かった。「じゃあ、お客さんに応えらるものをやろうよ」ということになって、『この世界の片隅に』【43】を片渕君が選んで結果を出したんです。
だから、『この世界の片隅に』に来るまで30年以上ありますね。
「一緒に仕事をしようね」って言ってから、ようやく実を結んだのが、『BLACK LAGOON』であり『マイマイ新子と千年の魔法』であり、『この世界の片隅に』なんです。

—— そして細田守監督【44】です。『時をかける少女』【45】『サマーウォーズ』【46】を丸山さんの元で作られました

これはですね、細田君が演出した東映【47】『おジャ魔女どれみ』【48】を観て、「TVシリーズでこんなことやっちゃいけません!」って言うくらいびっくりしたのがきっかけなんです(笑)。「魔女を卒業した魔女」のお話【49】で、その魔女を原田知世【50】が演じていました。どのぐらい時間かけたのかわかんないけど、この話の展開とか匂いがものすごく好きで、東映さんには申しわけないけど「これは子ども向けである必要がない、もったいないな」と思ったんです。子ども向けということで大人が観てくれない。その枠組みの中でいいのか?みたいのがあって。
それからしばらくして、今 敏君が僕の反対を押し切って、「筒井康隆【51】をやる。原作ものなら早くできる」っていうので「わかった、やろう」と、『パプリカ』【52】をやることになったんです。
とはいえ、「これ絶対当たらないよな、今君の作品の中でも内容的に言うと一番難しいんじゃないか?」と思ったので、二本立てにして公開しようと。一番わかりやすくてエンターテインメントの要素が強い筒井康隆をやるべきだと、筒井さんに『パプリカ』の原作権を交渉するときに「ついでと言ってはなんですが、『時をかける少女』もアニメにしてみたいんですけど」って聞いたら「OKよ」って言ってくれて。
それで細田君に連絡して、「『時をかける少女』を、細田君が作った『おジャ魔女どれみ』で作ってほしい。子どもたちは出さなくていいから、主人公は原田知世の側でね」と。「原作は気にしなくていい。筒井さんと話はついているから大丈夫!」ということで、彼に撮ってもらったんです。

—— 『時をかける少女』『サマーウォーズ』をきっかけに、齋藤優一郎【53】さんが細田守監督と一緒に「スタジオ地図」【54】を作り、一歩前に出る大きなきっかけになったと思うのですが

丸山:マッドハウスで動画チームを作ったときに、制作としてプロデューサーとして、僕のすぐ下に齋藤がついてやっていましたから。映画が2本できたところで「もう2人で会社を作れば」みたいな。みんなそうなって欲しいと思うんですよ。
監督っていうのはどんなプロデューサーとやってもいいけど、「このプロデューサーと組むぞ」てのがあった方がお互いに良いと思うんです。そういう人がなかなか見つからないんですけどね。
齋藤って本当に類まれなんですよ。細田がいて齋藤がいる。

宮崎駿さん【55】がいて、鈴木敏夫さん【56】がいる」ような感じで。 僕はあちこち手を出すんで、細田もやるし片渕もやるし、全部やっちゃうんで、そういう人が居つかなかったんだけれども。
だから細田君と齋藤が一緒になって頑張ってくれていることは、僕にとっては嬉しいことです。

—— 最後に丸山さんのお仕事のことを伺いたいのですが、「この作品をやろう」と決めるポイントみたいなものはありますか?

丸山:ないです。何でもOK。
これもね、どっちかっていうと、手塚DNAかもしれない。
手塚さんってのは、何でも「仕事だけ」で受けちゃうんです。
僕の場合、例えば100本あるとして、そのうち何本を受けられるっていう。「これだったらこの人とやりたいとか、あの人とやりたい」とかそれは出てきますけれども、基本的に「これじゃないといけない」っていうのはあんまりない。
ただ、僕1人でやるかっていったら多分全部やらないですね、遊んでいたいほうだから(笑)。
人がいるから、「こいつがやるならやるよ」って。誰もやってくれる人がいなくなったら、喜んで仕事を辞めさせてもらうけど、誰かやってくれる人がいる以上はやりたいと思ってます。
中身はなんでもいいんです。作ることの中で一番大事なのは、「誰かとやること」ですね。

売れてるものとか、誰でもやれるものっていうのは、あんまりやりたくないかもしれない。
でも、「これは非常に困ってます」とか、「これはやれないでしょ」って言われちゃうとムラっと来る。これは病気ですね(笑)。

—— 2022年6月に生前葬をなさいましたが、どのような思いだったのでしょうか?

丸山:本当に元気なうちに皆に会って、ちゃんとご挨拶しておきたいなっていうのが一番の趣旨ですね。
明るい、面白い葬式がやりたい。僕らエンタメで生きてる人間が、悲しい葬式をやっちゃいけないと思ってますよ。それに賛同してくれた人が一部いたんで、すごく幸せにこの人生が終われるなと思ってます。

—— とはいえ、企画がまだいくらでもあると伺っています

丸山:今やってるものは、何だかんだ準備から始まって10年近くたった1本の作品に掛かってますから。
今81歳ですからさすがにこれで終わりだろうと。精魂尽き果てて、次の仕事はやりたくなくなるだろうと。もう誰も付き合ってくれなくなるだろうと思ってたんですよ。
その作品は今年完成するんで、だいたいのところが見えたところで、まだ誰か付き合ってくれそうだなっていうのと、まだ俺はちょっと頑張れそうかなと思って、「最後の1本をやります!」と。
しばらく考えて、どうしてもやりたいと思ったのが、約15本(笑)。
だから、ラストワンの1、ラストワンの2、ラストワンの3って感じで、どこまでできるかはその時の状況次第。
ただ、企画が動き始めたら、目鼻がつくまで死んでも死にきれないからやるだろうと。
一度に15本は難しいので、3本くらいから準備を始めてる感じです。

—— 今、映像の世界に入ってきた若い人たちや、これから映像の世界に入ろうとする若い人たちへのメッセージがあればぜひお聞かせください

丸山:結局、一人の能力は大事です。でも、アニメーションはやっぱり総合力じゃないですか。
1人で何ができるというのはあるかもしれないけど、せっかくだからチームを組んで、そのチームがどういうもので、そういう世界で、どうやっていくかってのをプランニングしつつやっていく。
大好きな言葉に、「仲良くケンカしな」【57】というのがあります。
ケンカってのは仲が悪いからするって思い込んでたんだけど、いやそうじゃなくて、仲良くケンカしながらものを作り上げていく。すごく良いことだと思いますよ。

—— 練馬区がこのような映像文化にフォーカスした取り組みをしていることについて、どう思われますか?

丸山:それはもう僕にとっては心の故郷ですから。虫プロというものが、手塚さんの存在というものが、今の日本のアニメーションの原点。それが富士見台に凝縮されていると、僕の魂は全部そこにあると思っています。これはやはり大事に大事に育てていったり、核になっていくべきで、そうなってほしいなと思います。

音声版では、更にいろいろな話が出てきます。
是非お聴きください。

プロフィール

丸山正雄(まるやま まさお)
プロデューサー。日本のアニメ業界の黎明期から活躍している。1965年に虫プロダクション(旧)に入社。1970年にはTVアニメ『あしたのジョー』を世に送り出した。1972年にマッドハウスを設立。数々のTVアニメやOVAを手がけた。劇場映画では、今敏監督の全作品『PERFECT BLUE』(97)、『千年女優』(02)、『東京ゴッドファーザーズ』(03)、『パプリカ』(06)を企画・プロデュース。2006年には細田守監督の『時をかける少女』をプロデュースし、次作『サマーウォーズ』も担当する。片渕須直監督作品『マイマイ新子と千年の魔法』、『この世界の片隅に』にも、企画として立ち上げから携わった。現在はMAPPA代表取締役会長、スタジオM2代表取締役社長を務める。

登場する作品名・人物名等の解説

【1】『あしたのジョー』
虫プロダクション(旧)が制作し、1970〜71年に全79話が放送されたTVアニメ。練馬区で執筆活動をしていた高森朝雄氏(梶原一騎氏のこと。原作を担当)と、ちばてつや氏(作画)によるマンガが原作。ドヤ街に現れた不良少年・矢吹丈(ジョー)がボクシングに出会い、ライバル・力石徹との対決や死を乗り越え、ボクサーとして成長していく物語。本作では原作の中盤までが描かれている。
丸山氏のクレジットは「設定」。
原作:高森朝雄・ちばてつや、チーフ・ディレクター:出﨑統、作画監督:杉野昭夫・金山明博・荒木伸吾
※当サイトのアニメーションコンテンツ「練馬アニメーションサイト」内「アニメニュース」では、2014年に開催された「あしたのジョー、の時代展」記念・ちばてつや先生のインタビューや、トークイベントレポートなどを掲載しています
【2】出﨑統(でざき おさむ)さん
アニメーション監督。1943年東京都生まれ。学生時代から貸本マンガ家として活躍。1963年に虫プロダクションに入社。翌年にはTVアニメ『鉄腕アトム』の原画担当になる。1970年のTVアニメ『あしたのジョー』で、初めてチーフディレクターを務める。1972年にはアニメ制作会社マッドハウスの設立に参加。TVアニメ『エースをねらえ!』(73-74)、『ガンバの冒険』(75)『家なき子』(77-78)、『宝島』(78-79)など多数の作品に関わる。1979年には完全新作の映画『劇場版 エースをねらえ!』で、長編映画を初監督した。1980年、TVアニメ『あしたのジョー2』制作を機にマッドハウスを離れ、スタジオあんなぷるを設立。TVアニメ『スペースコブラ』(82)、映画『SPACE ADVENTURE コブラ』(82)、『ゴルゴ13』(83)を発表。『おにいさまへ・・・』(91)からは手塚プロダクション制作作品にも関わるようになり、1993年からOVA『ブラック・ジャック』を手掛ける。2000年代には美少女ゲームが原作の映画『劇場版AIR』(05)、『劇場版CLANNAD』(07)など、自らの新境地となる作品を監督した。2011年 逝去。
※当サイトのアニメーションコンテンツ「練馬アニメーションサイト」内「練馬にいた!アニメの巨人たち」第5回第6回第7回第8回では、出﨑統監督をとりあげています
【3】『悟空の大冒険』
虫プロダクション(旧)が制作し、1967年に全39話が放送されたTVアニメ。「西遊記」を元にした手塚治虫氏のマンガ「ぼくのそんごくう」が原作だが、スラップスティックなギャグアニメとなっている。
花果山山頂の石から生まれた孫悟空は、三蔵法師のお供となり天竺への取経の旅へ出る。
出﨑統氏は、演出として参加している。 
原作:手塚治虫、総監督:杉井ギサブロー、作画監督:山本繁
【4】虫プロダクション
練馬区富士見台に所在したアニメーション制作会社。通称・虫プロ。1961年にマンガ家でアニメーターでもあった手塚治虫氏が設立し、1973年まで活動したアニメスタジオ「株式会社虫プロダクション」(旧)と、1977年に旧虫プロの労働組合を母体として設立された「虫プロダクション株式会社」(新)がある。ここでは虫プロダクション(旧)を指す。
虫プロダクション(旧)には、丸山正雄氏をはじめ、出﨑統氏、芦田豊雄氏、川尻善昭氏、杉井ギサブロー氏、高橋良輔氏、富野由悠季氏、安彦良和氏、吉川惣司氏などが在籍していた。この虫プロダクション(旧)で、1963年に制作された日本初の30分枠連続TVアニメ『鉄腕アトム』は、日本のアニメビジネスの先駆けとなった。
※当サイトのアニメーションコンテンツ「練馬アニメーションサイト」内の「練馬のアニメスタジオの遺伝子 虫プロダクション編」でも詳しく紹介しています
【5】『ジャングル黒べぇ』
1973年に全31話が放送されたTVアニメ。アニメーション制作はAプロダクション。もともとはAプロにいた宮崎駿氏の企画だったが、当時まだ無名だったために局側が難色を示したため、藤子・F・不二雄氏に事情を説明し、原作として参加に至ったという経緯がある。
アフリカの密林に住むピリミー族の黒べえは、大きな鳥と勘違いしたジェット機にしがみつき、日本にやってきた。保護された佐良利家に恩返ししようと得意の魔法や呪術を使うが、騒動を巻き起こしてしまう。
原作:藤子不二雄、演出:出﨑統、作画監督:椛島義夫・北原健雄・杉野昭夫
【6】『エースをねらえ!』
1973〜1974年に全26話が放送されたTVアニメ。アニメーション制作は東京ムービー(現 トムス・エンタテインメント)。
テニスの名門・西高の1年生岡ひろみは、超高校級のプレイヤー〈お蝶夫人〉こと竜崎麗香に憧れテニス部に入る。そんなテニス初心者のひろみを、新任コーチ宗方仁は関東地区予選出場者の1人に抜擢する。周囲の嫉妬を買い孤立したひろみは、テニス部を退部しようとするが――。
丸山氏のクレジットは「文芸担当」。朝木夢二の名義で脚本にも参加している。
原作:山本鈴美香、演出:出﨑統、作画監督:椛島義夫・杉野昭夫・北原健雄
【7】『ウルトラヴァイオレット:コード044(ゼロ-フォーティー・フォー)』
2008年に全12話が放送されたTVアニメ。アニメーション制作はマッドハウス。2006年にアメリカで制作されたSF映画『ウルトラヴァイオレット』の世界観をベースとしたオリジナルストーリーで、キャラクターもアニメオリジナルとなっている。
監督の出﨑統氏は、1980年にマッドハウスを離れて以来のマッドハウス作品への参加となった。
丸山氏のクレジットは「企画」。
監督・脚本・絵コンテ:出崎統、キャラクターデザイン・作画監督:杉野昭夫
【8】マッドハウス
1972年に、虫プロダクション(旧)に所属していた丸山正雄氏、出﨑統氏、りんたろう氏、川尻善昭氏などが中心となって設立したアニメスタジオ。当初は、東映動画のテレビシリーズや、東京ムービーのテレビシリーズなどのアニメーション制作を行っていた。80年代には映画やOVAなども手掛けるようになる。TVアニメ『YAWARA!』(89-92)を皮切りに自社制作も行うようになった。TVアニメ『カードキャプターさくら』(89)、『はじめの一歩』(00-02)、『四畳半神話大系』(10)、『宇宙よりも遠い場所』(18)や、劇場用アニメ映画『千年女優』(02)、『時をかける少女』(06)、『マイマイ新子と千年の魔法』(09)、『きみの声をとどけたい』(17)など、高い品質を誇る作品を数多く作り出している。
【9】『国松さまのお通りだい』
1971~72年に全52回が放送されたTVアニメ。ちばてつや氏の漫画『ハリスの旋風(かぜ)』の2度目のアニメ化で、アニメーション制作は虫プロダクションが担当した。
暴れん坊の石田国松は、その行状で地元の中学を追い出されてしまう。家族で東京に引っ越してくるが、転校先でも暴れぶりは変わらない。だが、類まれな運動神経のおかげで、様々な運動部から引っ張りだこになり、いつしか学園の人気者になっていく。
丸山氏のクレジットは「設定」。
原作:ちばてつや、チーフディレクター:波多正美、作画監督:杉野昭夫・佐々門信芳・新田敏夫
【10】岸本吉功(きしもと よしなり)さん
創映社・サンライズスタジオの創業者の一人で初代社長。虫プロで制作・営業部門に所属し中間管理職を務めていたが、虫プロの経営悪化を機に独立。虫プロでの問題点を反面教師として、創映社・サンライズスタジオを立ち上げる。1976年には日本サンライズに社名を変更、TVアニメ『無敵超人ザンボット3』を皮切りに自社オリジナル作品の制作も始めるが、1981年に40代の若さで死去した。
【11】創映社(現・サンライズ)
1972年に、虫プロの制作・営業部門にいた岸本吉功、伊藤昌典、山浦栄二、渋江靖夫、岩崎正美、沼本清海、米山安彦の7名が独立して設立したアニメスタジオ。創映社が企画・営業を行い、アニメーション制作はサンライズスタジオが行うというスタイルでスタートした。自社スタジオは構えているが、管理業務以外の実制作は、作品単位でスタッフを外注している。これは虫プロの経営状況を見てきた反省から生まれたもので、現在までこのスタイルが続いている。
1976年に日本サンライズ、1987年にサンライズに社名変更。1994年にバンダイの傘下に入る。2021年のバンダイナムコグループの企業再編に伴い、グループ全体で映像事業を担う新会社「バンダイナムコフィルムワークス」に移行。「サンライズ」の名称は商標・ブランド名として今後も使用される。
代表作に、『ガンダム』シリーズ、『ボトムズ』シリーズ、『勇者』シリーズ、『シティーハンター』シリーズ、『犬夜叉』シリーズ、『銀魂』シリーズ、『ラブライブ!』シリーズなど。
【12】『ハゼドン』
1972年~73年に全26回(総話数52話)が放送されたTVアニメ。創映社(サンライズスタジオ)の第1回作品。
ハゼの子であるハゼドンは、母の遺言「世界一強い魚になって、南の国へ行くんだよ」を果たすため、人魚のシーランとフグのプーヤンと供に冒険の旅に出る。 出﨑統監督が、「崎枕」の名前で第1クールのチーフディレクターを務めている。丸山氏のクレジットは「設定担当」。
監督:崎枕(第1~10回)/池野文雄(第11~最終回)、キャラクターデザイン:岡田敏靖、作画監督:宇田川一彦
【13】『劇場版 エースをねらえ!』
1979年に公開された劇場用アニメ。出﨑統監督の劇場映画初監督作品。アニメーション制作は東京ムービー(現 トムス・エンタテインメント)。
TVシリーズ(1973〜74年 全26話)の再編集ではなく、劇場用としてすべて新規に制作された。原作の長い物語を巧みに圧縮しているため、主筋は緊張感の続く展開となる。
原作:山本鈴美香、監督:出﨑統、作画監督:杉野昭夫、美術監督:小林七郎、撮影監督:高橋宏固
【14】『ガンバの冒険』
東京ムービー(現 トムス・エンタテインメント)が制作し、1975年に全26話が放送されたTVアニメ。
斎藤惇夫氏の児童文学作品「冒険者たち ガンバと15ひきの仲間」が原作。
ねずみのガンバと仲間たちが、とある島を支配する白イタチ・ノロイを倒すため冒険の旅に出る。圧倒的な強さのノロイに、ガンバたちは勝てるのか!?
原作:斎藤惇夫、監督:出﨑統、キャラクターデザイン・作画監督:椛島義夫、美術監督:小林七郎
※当サイトのアニメーションコンテンツ「練馬アニメーションサイト」内の「練馬区アニメイベント」では、練馬アニメカーニバル2015で実施された「放送40周年『ガンバの冒険 』記念ステージ」のレポートと動画を掲載しています
【15】サンリオ
「ハローキティ」や「マイメロディ」など、400を超えるファンシーキャラクターを持つことで知られる、グリーティングカード事業日本最大手の会社。その他に映画製作、出版事業、外食産業事業、テーマパーク事業も行っている。
【16】ピー・プロダクション
アニメ・特撮ドラマ・特殊映像などの製作会社。1960年に、漫画家・うしおそうじ氏が中心となって設立された。(うしお氏は戦前戦中に東宝の「線画室」に所属、「国策映画」や軍人教育用の「文化映画」の動画を担当。一時は円谷英二にも師事しており、『ハワイ・マレー沖海戦』(42)の制作にも協力している)
1961年の大映映画『釈迦』では、37カットの動画合成を担当。1964年にはTVアニメ『0戦はやと』を制作。また、漫画家時代に親交のあった手塚治虫氏からの依頼で、TVアニメ『鉄腕アトム』(63-66)の93~144話まで下請け制作を請け負った。1966年には手塚治虫氏原作の特撮TVドラマ『マグマ大使』を制作。また、ちばてつや氏原作の『ハリスの旋風』をTVアニメ化。両作とも人気を博した。そのほかの代表作に、特撮TVドラマ『スペクトルマン』(71-72)、『怪傑ライオン丸』(72-73)、『電人ザボーガー』(74-75)など。
【17】『風雲ライオン丸』
1973年に全25話が放送された、特撮TVドラマ。前作『快傑ライオン丸』(72-73)の好評を受け制作されたが、ストーリーやキャラクターには直接の繋がりはない。
時は戦国時代。日本征服を企むマントル一族の野望を阻止するため、若き忍者・弾獅子丸はライオン丸に変身し、マントルと戦う過酷な旅を続ける。
原作:うしおそうじ、監督:石黒光一・手銭弘喜・大塚莞爾・松本喜隆、出演:潮哲也・宮野涼子・新井つねひろ ほか
【18】日本アニメーション
1975年に設立された、アニメーション制作会社。代表作に、『フランダースの犬』(75)をはじめとすする「世界名作劇場」や、『未来少年コナン』(78)、『ちびまる子ちゃん』(90-92、95-放送中)、『南国少年パプワくん』(92-93)、『魔法陣グルグル』(94-95)などがある。
【19】『ピコリーノの冒険』
1976年4月から77年5月まで全52話が放送されたTVアニメ『ピノキオより ピコリーノの冒険』のこと。
アニメーション制作は、日本アニメーションが担当。丸山氏は、シリーズ構成と脚本で参加している。
原作:カルロ・コルローディ(「ピノキオの冒険」)、監督:遠藤政治、斉藤博、キャラクターデザイン・作画監督:櫻井美知代
【20】井上陽水(いのうえ ようすい)さん
日本を代表するシンガーソングライターの一人。
「闇夜の国から」は、1974年に発表された5枚目のシングル曲。ミュージッククリップは、アニメと実写による構成だが、出﨑統監督はアニメパートだけでなく、実写パートも手掛けている。
【21】『夏への扉』
1981年に公開された劇場用中編アニメ。アニメーション制作はマッドハウスと東映動画(現・東映アニメーション)が担当。
原作は、竹宮惠子氏が1975年に少女マンガ誌「花とゆめ」で発表した短編マンガ。
20世紀初頭のフランスで寄宿生活を送る秀才にして容姿端麗の少年・マリオンを主人公に、友情や恋愛、年上の女性への憧れなど、思春期の葛藤を描く。
丸山氏のクレジットは「設定」。
原作:竹宮恵子、演出:真崎守、脚本:辻真先、作画監督:富沢和雄
【22】『浮浪雲』
1982年に公開された劇場用アニメーション映画。ジョージ秋山氏の同名マンガを原作としている。幕末の江戸・東海道の宿場町・品川宿を舞台に、問屋を営む「夢屋」の主人・雲とその家族や、庶民の家の人間模様をコミカルかつシリアスに描いた作品。
アニメーション制作は東映動画。マッドハウスが制作協力で参加している。
丸山氏のクレジットは「設定」。
本作で描かれた坂本龍馬の暗殺場面は、鮮烈で印象的なシーンとして語られるが、このシーンは、絵コンテを村野守美氏、作画を川尻善昭氏が担当した。また、丸山氏がこのシーンのセルを塗ったという証言もある。
原作:ジョージ秋山、監督:真崎守、作画監督:冨沢和雄
【23】『はだしのゲン』
1983年に公開されたアニメ映画。原作は、広島出身のマンガ家・中沢啓治氏による、自身の被爆体験を元にした自伝的同名漫画。
戦中戦後の激動の広島を生き抜く主人公・中岡ゲンの姿が描かれる。
丸山氏のクレジットは「設定」。
原作:中沢啓治、監督:真崎守、作画監督・キャラクター設計:さかいあきお
【24】『時空の旅人』
1986年に公開されたアニメーション映画。原作は眉村卓氏の小説『とらえられたスクールバス』。アニメーション制作はマッドハウス。キャラクターデザインを、漫画家・萩尾望都氏が務めた。
戦国時代にタイムスリップした高校生らが、本能寺の変の驚愕の真相を目の当たりにする歴史巨編。
丸山氏のクレジットは「プロデューサー」。
原作:眉村卓、監督:真崎守、作画監督:野田卓雄、キャラクター設計・作画監督:冨沢和雄
【25】真崎守(まさき もり)さん
漫画家、アニメーション映画監督。本名・森柾(もり まさき)。1960年に「雨の白い平行線」、「暗い静かな夜」で貸本漫画家デビュー。1963年に虫プロに入社し、TVアニメ『ジャングル大帝』(65-67)や『佐武と市捕物控』(68-69)などの作品に携わる。その後、虫プロを退社し、再びマンガ家として活動をはじめる。1971年には「ジロがゆく」、「はみだし野郎の子守唄」で第2回講談社出版文化賞を受賞した。1980年代にはアニメーション制作にも復帰し、映画『夏への扉』(81)の演出を担当。映画『浮浪雲』(82)、『はだしのゲン』(83)、『時空の旅人』(86)では監督を務めた。
【26】川尻善昭(かわじり よしあき)さん
アニメーター、アニメーション監督。高校卒業後に虫プロダクションに入社し、TVアニメ『あしたのジョー』の動画などを担当する。その後、出﨑統氏と杉野昭夫氏の推薦を受け、TVアニメ『ムーミン』で原画へ昇格した。1972年に、虫プロ出身者によって結成されたアニメ制作会社マッドハウスへ移り、アニメーターとして数々の作品に参加。映画『夏への扉』(81)、『浮浪雲』(82)、『ユニコ 魔法の島へ』(83)では画面構成を担当する。1984年の映画『SF新世紀レンズマン』では、絵コンテで参加する予定だったが現場のアニメーターの指揮を任され、共同監督を務める。1987年の映画『妖獣都市』で実質的な監督デビュー。本作は原作者からも絶賛され、川尻氏の出世作となった。以後、TVアニメ、映画、OVAなどで、監督や演出、絵コンテなどで活躍を続けている。
【27】りんたろう さん
アニメーション監督。1958年に東映動画(現 東映アニメーション)に入社。映画『白蛇伝』(58)では仕上げ、『西遊記』(60)からはアニメーターに転向して動画を務めた。演出家を志望し、虫プロダクション(旧)に移籍、TVアニメ『鉄腕アトム』(63-66)で演出デビューした。TVアニメ『ジャングル大帝』(65-66)でチーフディレクターに昇進(この頃までは、「林重行」名義)。その後もTVアニメ『佐武と市捕物控』(68-69)、『ムーミン』(69-70、72)などを手がける。その後フリー演出家として、古巣である東映動画のTVアニメ『ジェッターマルス』(77)にチーフディレクターとして参加。1978〜79年のTVアニメ『宇宙海賊キャプテンハーロック』でもチーフディレクターを務め、その第1話の試写を見た東映動画の今田智憲社長(当時)から、劇場版『銀河鉄道999』(79)の監督に指名される。この作品は1979年度の邦画の興行成績第1位となり、当時巻き起こったアニメブームを代表する作品の一つとなった。虫プロダクション時代の同僚・丸山正雄氏のマッドハウスに制作拠点を移し、角川映画のアニメ作品第1弾『幻魔大戦』(83)を監督。2001年には手塚治虫氏の同名マンガを原作とした映画『メトロポリス』を発表、海外でも高く評価された。
【28】『幻魔大戦』
1983年に公開された劇場用長編アニメーション映画。原作は平井和正氏と石森章太郎氏による共作同名マンガ及び、平井和正氏による同名小説。アニメーション制作はマッドハウス。漫画家の大友克洋氏が、キャラクターデザインと原画でアニメーション制作に初めて参加。角川アニメーション映画の第1作。 地球を侵略しようとする破壊者”幻魔”と超能力戦士たちとの戦いを描く。
丸山氏のクレジットは「設定」。
原作:平井和正・石森章太郎、監督:りん・たろう、作画監督:野田卓雄
【29】手塚治虫(てづか おさむ)さん
「鉄腕アトム」、「ブラック・ジャック」、「火の鳥」など数多くの代表作を持ち、〈漫画の神さま〉と評された。1946年に「マアチャンの日記帳」(4コママンガ)でデビュー。1947年の描き下ろし単行本「新寶島」は大ヒットとなる。1950年からはマンガ雑誌において「ジャングル大帝」、「鉄腕アトム」、「リボンの騎士」などの作品を次々と発表する。アニメーションに興味を持っていたことから、東映動画(現・東映アニメーション)より 「ぼくの孫悟空」を原案とする長編アニメ映画『西遊記』(60)制作の企画打診がありこれに参加。1961年には自らアニメスタジオ「株式会社虫プロダクション」を立ち上げた。ここで、1963年から日本初の30分枠連続TVアニメ『鉄腕アトム』などの作品を制作。手塚氏はその後もマンガ家としても精力的に作品を発表し続けた。1989年逝去。
※当サイトのアニメーションコンテンツ「練馬アニメーションサイト」内の「練馬にいた!アニメの巨人たち」第21回第22回第23回と、「練馬のアニメスタジオの遺伝子 虫プロダクション編」では、手塚治虫氏についても詳しく紹介しています
【30】石ノ森章太郎(いしのもり しょうたろう)さん
萬画(まんが)家。SFマンガから学習マンガまで幅広い分野で作品を量産し、〈漫画の王様〉、〈漫画の帝王〉と評された。1985年に画業30年を機に「石森章太郎」から「石ノ森章太郎に改名。1989年には、多様なマンガ表現を追求し、無限の可能性を表す言葉〈萬画〉を提唱した。代表作は「サイボーグ009」、「仮面ライダー」、「さるとびエッちゃん」、「人造人間キカイダー」、「HOTEL」など。『仮面ライダー』シリーズを始め、特撮作品の原作者としても活躍した。1998(平成10)年没。
【31】大友克洋(おおとも かつひろ)さん
漫画家、映画監督。1973年に漫画アクション掲載の短篇「銃声」で、マンガ家としてデビュー。代表作に「童夢」(80-81)、「AKIRA」(82-90)など。緻密な描漫画き込みや複雑なパースを持つ画面構成などの作風は、世界中のクリエイターに大きな影響を与えた。1988年には自らが監督を務める劇場用アニメ映画『AKIRA』を制作。国内外で高い評価を得た。その後は、映画『MEMORIES』(総監督/95)、『スチームボーイ』(04) 、『蟲師』(実写/07)、『SHORT PEACE』(オムニバスの1編『火要鎮』を監督/13)など、アニメや実写など映像作品で活躍している。
【32】角川春樹(かどかわ はるき)さん
実業家、映画監督、映画プロデューサー。1965年、角川書店に入社し、1975年には社長に就任する。翌年、『犬神家の一族』から映画製作に乗り出し、70年代から80年代にかけて『人間の証明』(77)『野性の証明』(78)『戦国自衛隊』(79)『復活の日』(80)『セーラー服と機関銃』(81)『幻魔大戦』(83)『時をかける少女』(83)『里見八犬伝』(83)『カムイの剣』(85)『火の鳥 鳳凰編』(86)『ぼくらの七日間戦争』(88)など、ヒット作、話題作を次々と公開する。監督としても、『汚れた英雄』(82)『愛情物語』(84)『天と地と』(90)『REX 恐竜物語』(93)などを手掛けている。
2005年から映画製作に復帰し、『男たちの大和/YAMATO』(05)『神様のパズル』(08)などを制作。2020年、『みをつくし料理帖』を自身最後の監督作として公開した。
【33】今 敏(こん さとし)さん
漫画家・アニメーター・アニメ監督。1985年、武蔵野美術大学在学中に「カーヴ」で漫画家デビュー。影響を受けていた大友克洋氏のアシスタントも務める。1990年、大友克洋氏が原作・脚本・メカデザインを担当した劇場用アニメ映画『老人Z』で、美術設定としてアニメ制作に初参加。以後、映画『機動警察パトレイバー2 the Movie』(93)、OVA『ジョジョの奇妙な冒険』(93~94)、映画『MEMORISE』(3話オムニバスの1篇『彼女の想いで』)(95)などの作品にアニメーターとして関わる。1998年に初監督作品となる劇場用アニメ映画『PERFECT BLUE』が公開され国内外で大きく評価された。その後映画『千年女優』(02)、『東京ゴッドファーザーズ』(03)が続けて公開される。2004年には初TV作品『妄想代理人』の総監督を務めた。2006年、念願だった筒井康隆原作の映画『パプリカ』を発表する。次回作『夢みる機械』の制作に取りかかるが、2010年8月24日に膵臓癌のため永眠。享年46歳。
※当サイトのアニメーションコンテンツ「練馬アニメーションサイト」内の「アニメニュース」では、2015年に行われたトークイベント「いま再び 今 敏監督を語り合おうー『千年女優』編レポート」を掲載しています
【34】片渕須直(かたぶち すなお)さん
アニメーション映画監督。日本大学芸術学部映画学科在学中から、宮崎駿監督によるTVアニメ『名探偵ホームズ』(84)の脚本に参加。映画『魔女の宅急便』(89)では演出補を務めた。TVアニメ『名犬ラッシー』(96)で監督デビュー。その後、長編映画『アリーテ姫』(01)を監督する。2009年に公開された映画『マイマイ新子と千年の魔法』は口コミで評判が広がり、異例のロングラン上映とアンコール上映を達成。2016年公開の映画『この世界の片隅に』では、第40回日本アカデミー賞において最優秀アニメーション作品賞を受賞した。2019年12月には『この世界の片隅に』に、250カット(約38分)に及ぶ新エピソードを追加し、〈新たな映画〉として生まれ変わった『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』が公開された。
※当サイトのアニメーションコンテンツ「練馬アニメーションサイト」内の「練馬ほっとキャスト」第3回第4回と、「練馬にいた!アニメの巨人たち」第1回第2回第3回第4回では、片渕須直監督をとりあげています
また、「アニメニュース」特集記事「アニメ映画『この世界の片隅に』制作支援メンバー募集に大反響! 片渕須直監督 特別インタビュー!」や、「練馬区アニメイベント」内の「練馬アニメカーニバル2015」「練馬アニメカーニバル2017」「練馬アニメカーニバル2018」「練馬アニメカーニバル2019」では、『この世界の片隅に』及び『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』を紹介しています
【35】『うしろの正面だあれ』
虫プロダクション(新)が制作し、1991年に公開された劇場用アニメ映画。落語の林屋一門のおかみさんとして知られる海老名香葉子氏が、太平洋戦争中の自身の体験を綴った同名小説が原作。
画面構成として、片渕須直氏が参加している。
原作:海老名香葉子、監督:有原誠治、作画監督:小野隆哉、画面構成:片渕須直
【36】ジブリ
スタジオジブリのこと。『天空の城ラピュタ』制作時の1985年に、『風の谷のナウシカ』を製作した出版社・徳間書店が中心となり設立したアニメーション・スタジオ。以後、高畑勲・宮崎駿両監督の劇場用アニメーション映画を中心に制作してきた。当初は作品ごとにスタッフを集め、完成と共に解散する従来の制作スタイルだったが、後に人材育成のためにアニメーターを正社員化・固定給制にするなど、高品質で安定した作品作りの拠点となった。
【37】レイアウト
レイアウト(画面構成)は、日本のアニメ制作の工程の1つ。1カットの完成画面を想定し、背景の構図とキャラクターの配置や動きを決め、緻密に描かれた〈設計図〉となるものをレイアウト(画面構成)という。この、レイアウトを軸としてアニメを制作することを、〈レイアウトシステム〉と呼ぶ。日本で初めて本格的にレイアウトシステムで作られたのは、1974年放送のTVアニメ『アルプスの少女ハイジ』といわれており、宮崎駿氏が全カットのレイアウトを担当した。
【38】STUDIO4℃
映画『となりのトトロ』(88)『魔女の宅急便』(89)のラインプロデューサーを務めた田中栄子氏が主宰する、アニメーションをはじめとする映像作品制作会社。劇場用アニメ映画では、『スプリガン』(98)、『アリーテ姫』(01)、『ベルセルク 黄金時代篇』三部作(12)などの代表作がある。1995年に公開された『MEMORIES』の1篇である、『大砲の街』(大友克洋監督)の制作には、技術設計として片渕須直氏も参加している。
【39】『MEMORIES』
大友克洋氏が総監督を務めた1995年公開の劇場用アニメ映画。森本晃司監督『彼女の想いで』、岡村天斎監督『最臭兵器』、大友克洋監督『大砲の街』の3話からなるオムニバス形式の作品。
【40】『大砲の街』
上記の映画『MEMORIES』の3話目にあたる。大友克洋氏自らが、監督・原作・脚本・キャラクター原案・美術をつとめた。アニメーション制作はSTUDIO4℃。
大砲を撃つためだけに作られた街の、とある一日を描いた作品で、全編20分を1カットのみで構成した異色作。
監督・原作・脚本・キャラクター原案・美術:大友克洋、キャラクターデザイン・作画監督:小原秀一、技術設計:片渕須直
【41】『BLACK LAGOON』(ブラック・ラグーン)
2006年に第1期・第2期計24話が放送されたTVアニメ。広江礼威(ひろえ れい)氏の同名マンガが原作。2010年にはアニメ第3期としてOVA『BLACK LAGOON Roberta’s Blood Trail』(全5巻)も制作された。アニメーション制作はマッドハウス。
東南アジアの架空の都市・ロアナプラを舞台に、荒事を請け負う運び屋〈ラグーン商会〉と、裏社会に属する組織や人物たちが繰り広げるドラマを描く。 丸山氏のクレジットは「企画」。
原作:広江礼威、監督・シリーズ構成・脚本:片渕須直、キャラクターデザイン・総作画監督:筱雅律
【42】『マイマイ新子と千年の魔法』
2009年公開に公開されたアニメーション映画。芥川賞作家・髙樹のぶ子氏の自伝的小説「マイマイ新子」が原作。
昭和30年の山口県防府市を舞台に、空想好きで多感な少女・新子の日常を、東京から来た転校生・貴伊子や仲間たちとの交友を軸に描く。
『この世界の片隅に』と共通する部分も多く、片渕監督自身が〈姉妹作〉と語っている。『この世界の片隅に』の大ヒットを受け、各地で再上映が行われた。
丸山氏のクレジットは「企画」。
原作:髙樹のぶ子、監督・脚本:片渕須直、キャラクターデザイン・総作画監督:辻繁人
【43】『この世界の片隅に』
2016年に公開され大きな話題を呼んだアニメーション映画。監督は片渕須直氏。戦時中の広島・呉を舞台に、主人公・すずが送る日々を丁寧に描く。原作は、こうの史代氏の同名マンガ。国内外で高く評価されており、日本アカデミー賞最優秀アニメーション作品賞、キネマ旬報ベスト・テン日本映画第1位、アヌシー国際アニメーション映画祭長編部門審査員賞、富川国際アニメーション映画祭長編コンペティション部門グランプリをはじめ、数々の映画賞を受賞。
丸山氏のクレジットは「企画」。
2019年12月には『この世界の片隅に』に、250カット(約38分)に及ぶ新エピソードを追加し、〈新たな映画〉として生まれ変わった『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』が公開された。
原作:こうの史代、監督・脚本:片渕須直 監督補・画面構成:浦谷千恵 キャラクターデザイン・作画監督:松原秀典
※当サイトのアニメーションコンテンツ「練馬アニメーションサイト」内の「アニメニュース」特集記事「アニメ映画『この世界の片隅に』制作支援メンバー募集に大反響! 片渕須直監督 特別インタビュー!」や、「練馬区アニメイベント」内の「練馬アニメカーニバル2015」「練馬アニメカーニバル2017」「練馬アニメカーニバル2018」「練馬アニメカーニバル2019」では、『この世界の片隅に』及び『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』を紹介しています
【44】細田守(ほそだ まもる)さん
アニメーション映画監督。1991年に東映動画(現・東映アニメーション)に入社し、アニメーターとしてキャリアをスタートさせる。1996年に社内で演出採用試験が初めて実施され、これに合格。翌年、TVアニメ『ゲゲゲの鬼太郎』第4シリーズ(96-98)で演出家としてデビューした。1999年には『劇場版 デジモンアドベンチャー』の監督に抜擢され、2000年の『劇場版 デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』で大きな注目を集めた。東映アニメーションを退社後、マッドハウスの丸山正雄氏(当時)の元で映画『時をかける少女』(06)を監督し大ヒット。国内外の映画・アニメ賞など23冠を受賞した。続いて、自身初となるオリジナル作品映画『サマーウォーズ』(09)を発表。126万人を超える観客動員数を記録する。2011年に自身のアニメーション映画制作会社「スタジオ地図」をプロデューサーの齋藤優一郎氏とともに設立。映画『おおかみこどもの雨と雪』(12)、『バケモノの子』(15)、『未来のミライ』(18)、『竜とそばかすの姫』(21)と、ヒット作を生み出し続けている。
※当サイトのアニメーションコンテンツ「練馬アニメーションサイト」内の「練馬にいた!アニメの巨人たち」第12回第13回第14回では、細田守監督をとりあげています
【45】『時をかける少女』
2006年に公開された、細田守監督による劇場用アニメ-ション。アニメーション制作はマッドハウス。筒井康隆氏の小説「時をかける少女」が原作であるが、原作の出来事から約20年後を舞台とした物語となっている。
高校2年生の紺野真琴は、理科実験室に落ちていたクルミをうっかり割ってしまったことがきっかけとなり、時間を飛び越えて過去に戻る力「タイムリープ」を手に入れる。
丸山氏のクレジットは「企画」。
監督:細田守、キャラクターデザイン:貞本義行、作画監督:青山浩行、久保田誓、石浜真史
【46】『サマーウォーズ』
2009年に公開された、細田守監督による劇場用アニメ。アニメーション制作はマッドハウス。 高校2年生の小磯健二は、夏休みに憧れの先輩・夏希に連れられ、長野にある彼女の実家へ向かう。そこには曽祖母・栄の90歳の誕生日を祝うべく26人の親族が集まっていた。時を同じくして、世界中を混乱に陥れる事件が発生。栄の指揮の元、健二と夏希は親族と共に事件に立ち向かう。
丸山氏のクレジットは「企画」。
監督:細田守、キャラクターデザイン:貞本義行、作画監督:青山浩行、藤田しげる、濱田邦彦、尾崎和孝
【47】東映
東映動画(現・東映アニメーション)のこと。日本を代表するアニメーション製作会社のひとつ。代表作には『ドラゴンボール』シリーズ、『セーラームーン』シリーズなど、誰もが知る超ヒット作が並び、現在も『ONE PIECE』や『プリキュア』シリーズなど、世代を超える人気コンテンツを生み出し続けている。
1958年の日本初の長編カラーアニメ映画『白蛇伝』を皮切りに、数々の名作アニメを製作。79年には映画『銀河鉄道999』が大ヒットし、爆発的なアニメブームを引き起こした作品のひとつとなる。コンピュータによるアニメ製作、自社コンテンツの海外販売などにも早くから取り組み、日本のアニメ産業のけん引役ともいえる存在となった。98年には東映アニメーション株式会社と社名変更し、現在へと至っている。
※当サイトのアニメーションコンテンツ「練馬アニメーションサイト」内の「練馬にいた!アニメの巨人たち」第18回第19回第20回と、「練馬のアニメスタジオの遺伝子 東映動画編」では、東映動画についても詳しく紹介しています
【48】『おジャ魔女どれみ』
2002~03年まで全51話が放送されたTVアニメ『おジャ魔女どれみドッカ〜ン!』のこと。東映アニメーションが制作したオリジナル魔法少女アニメ『おジャ魔女どれみ』シリーズの第4期にあたる。
魔女に憧れる小学生・春風どれみ。ひょんなことから本物の魔女・マジョリカに出会ったことから、彼女は仲間たちとともに“魔女見習い”として修業に励むことになる。
細田守氏は、シリーズ終盤の第40話『どれみと魔女をやめた魔女』と第49話『ずっとずっと、フレンズ』の演出を担当。
シリーズディレクター:五十嵐卓哉(第1期~第4期)、佐藤順一(第1期)、山内重保(第2期)、キャラクターコンセプトデザイン・総作画監督:馬越嘉彦
【49】「魔女を卒業した魔女」のお話
細田守氏が演出した、『おジャ魔女どれみドッカ〜ン!』第40話『どれみと魔女をやめた魔女』(2002年11月放送)のこと。ゲストキャラクター・佐倉未来を、1983年の実写映画『時をかける少女』で主役を演じた女優・原田知世氏が演じたことも話題になった。
【50】原田知世さん
女優、歌手。1982年に「角川映画大型新人募集」に応募。特別賞を受賞し、芸能界入り。1983年には、大林宣彦監督の『時をかける少女』で主演を務めスクリーンデビュー。第7回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞した。本人が歌った主題歌も大ヒットし、青少年層を中心に多くのファンを獲得した。
同年のアニメ映画『幻魔大戦』にもタオ役で出演している。
現在も、映画やTVドラマで活躍。歌手活動にも取り組んでいる。
代表作に、映画『天国にいちばん近い島』(84)『私をスキーに連れてって』(87)『落下する夕方』(98)『あなたの番です 劇場版』(21)、TVドラマ『おひさま』(11)『半分、青い。』(18)『あなたの番です』(19)など。
【51】筒井康隆(つつい やすたか)さん
小説家。SFやスラップスティック・コメディを得意とする。代表作に、「時をかける少女」(67)、「日本以外全部沈没」(73)「七瀬ふたたび」(75)、「夢の木坂分岐点」(87)、「わたしのグランパ」(99)など。星雲賞、泉鏡花文学賞、谷崎潤一郎賞、川端康成文学賞、日本SF大賞など、多数の受賞歴を持つ。2006年には、マッドハウスがアニメーション制作を担当した『時をかける少女』と『パプリカ』の2本の劇場用長編アニメ映画が公開された。『パプリカ』には声優として特別出演している。
【52】『パプリカ』
2006年に公開された、今 敏監督による劇場用アニメ映画4作目。アニメーション制作はマッドハウス。 原作は、現実と夢が交錯する幻想的な世界が広がる筒井康隆氏の同名SF小説。筒井作品のファンでもある今 敏監督が、緻密で豪華な映像美とトリッキーな場面転換で、難しいとされてきた本作の映像化を現実のものとした。ヴェネツィア国際映画祭のコンペティション部門への正式出品や、東京国際映画祭animecs TIFF 2006 × digital TIFF 共同オープニング作品として上映されるなど国内外で話題となり、多数の映画賞を受賞。
丸山氏のクレジットは「企画」。
【53】齋藤優一郎(さいとう ゆういちろう)さん
アニメーションプロデューサー。1999年にマッドハウスに入社。丸山正雄氏に師事し、りんたろう氏、杉井ギサブロー氏、平田敏夫氏、川尻善昭氏、小池健氏、浅香守生氏などの監督作品をプロデュースする。
2006年の『時をかける少女』、2009年の『サマーウォーズ』で細田守監督作品を手掛けたことをきっかけに、2011年に細田監督とともに「スタジオ地図」を設立し、代表取締役に就任した。
【54】スタジオ地図
マッドハウスで『時をかける少女』、『サマーウォーズ』のプロデューサーを務めた齋藤優一郎氏が、マッドハウス退社後に細田守監督とともに2011年に設立したアニメーション映画制作スタジオ。
『おおかみこどもの雨と雪』(12)、『バケモノの子』(15)、『未来のミライ』(18)、『竜とそばかすの姫』(21)と、細田監督作品の制作拠点となっている。
【55】宮崎 駿(みやざき はやお)さん
アニメーション映画監督。1963年東映動画(現・東映アニメーション)へ入社。1971年に高畑勲氏、小田部羊一氏と共にAプロダクションに移籍、映画『パンダコパンダ』(72)に原案・脚本・画面設定として参加する。ズイヨー映像(のちの日本アニメーション)に移籍後は、TVアニメ『アルプスの少女ハイジ』(74)全カットの場面設定・画面構成を担当。『未来少年コナン』(78)でTVアニメを初監督。テレコム・アニメーションフィルムに移籍し、『ルパン三世 カリオストロの城』(79)で長篇映画監督デビューを果たす。その後、映画『風の谷のナウシカ』(84)を経て1985年にスタジオジブリを設立し、多数の作品を監督・プロデュースする。2001年に公開された映画『千と千尋の神隠し』は、興行収入300億円を超え、日本歴代興行収入第1位(当時)を達成した。2013年の映画『風立ちぬ』公開後の9月に、長編映画制作からの引退を発表するも、2016年にこれを撤回。現在、最新作となる映画『君たちはどう生きるか』を制作中。
【56】鈴木敏夫(すずき としお)さん
映画プロデューサー。1972年に徳間書店に入社。アニメ雑誌『アニメージュ』の編集部に異動し、宮崎駿氏執筆の漫画「風の谷のナウシカ」の連載に尽力。同作の映画化が決定すると、高畑勲とともに制作を支えた。1989年10月にスタジオジブリへ移籍して以降は、同スタジオのほとんどの作品で映画プロデューサーを務めている。代表作に、『おもひでぽろぽろ』(91)『紅の豚』(92)『平成狸合戦ぽんぽこ』(94)『もののけ姫』(95)『ホーホケキョ となりの山田くん』(99)『千と千尋の神隠し』(01)『ハウルの動く城』(04)『崖の上のポニョ』(08)『風立ちぬ』(13)『かぐや姫の物語』(13)など。
【57】「仲良くケンカしな」
1964年に発表された、TVアニメ『トムとジェリー』日本版の主題歌にある「トムとジェリー、なかよくケンカしな」というフレーズのこと。『トムとジェリー』を象徴するフレーズとして、公式でも使用されている。
『トムとジェリー』は、アメリカの映画会社MGMが1930年代後半に、ウィリアム・ハンナとジョセフ・バーベラ(のちにハンナ・バーベラ・プロダクションを設立)に依頼して誕生した、ネコのトムとネズミのジェリーが主人公のドタバタギャグアニメ。
日本では1964年よりTBSで放送されたのをはじめ、各局でシリーズが放送されている。
ページトップ