—— 日大芸術学部【1】への入学希望はいつ頃固めたのでしょうか?
佐藤:高校のときにアニメーションの仕事をしたいなと思っていたんです。いくつか候補を挙げたのですが、その中で一番行きたかったのが日藝でした。親からは「少なくとも大学にしろ」と言われていたので専門学校の選択はなく、他の大学だとアニメーションそのものを勉強できる講義がなく、(当時は)日藝しか選択肢がない状態でした。
—— 池田宏先生【2】や月岡貞夫先生【3】の講義を受講されていますが、どんなことを教わったのでしょう?
佐藤:池田先生はアカデミックで、順序立てて1から理論的に教えてくれる感じでした。月岡先生は割と実技派というか、実際に作画をしたり絵を描きながらの授業なのですが、東映動画時代の自分のやんちゃ話をいっぱい話してくれるのが面白かったですね。
—— そのほかの先生からは、どんな講義を受けたのでしょう?
佐藤:一番驚いたのは「映画鑑賞批評」という、映画学科の生徒が大講堂に集まって毎週1回映画を見て、その批評を提出するという授業です。僕は映画少年ではなく、そこまで日本映画を見る機会はなかったので、ここでいろんな映画を知ることができたのはやはり大きかったですね。
印象に残って忘れられないのが、仲代達矢さんの『切腹』です。衝撃的でびっくりしました。
—— そのほかに印象に残っている授業はありますか?
佐藤:映画鑑賞批評の先生の別の講座で、映画の文化的なところだけではなく、ビジネスまわりの話をしてくれたことがあって。その話が今でも自分が作品を作るときの参考になっています。
簡単に言うと、映画の全盛期は、例えば10本作ったら6本ヒットする時代だったのでいろんなチャレンジができた。対して斜陽期では10本作って1本しかヒットしないからチャレンジができなくなる。 新しいことにチャレンジしていかないと、だんだんクリエイティビティは痩せていく。という話でしたが、それがずっと心に残っていて、自分の作品作りに関しては、それをずっと反芻しています。
—— 東映動画【4】時代のお話も伺います。スタジオのある大泉での生活が長かったと思いますが、平成版『悪魔くん』【5】や、『セーラームーン』【6】をやっていた頃は、どんな生活サイクルだったのでしょうか?
佐藤:1987年に結婚したのですが、その前後は、家になかなか帰れない日もあったりしました。『悪魔くん』の頃になると子供もいたので、ちゃんと帰っていたと思います。
—— 『悪魔くん』ではシリーズディレクターを担当されましたが、主にどんな仕事だったのでしょうか?
佐藤:基本的には立ち上げのところですね。 当初のシナリオ打ち合わせに参加して、方向を決めるときに意見を出したり、キャラクターデザインの方や美術の方たちと打ち合わせをして、どういうものが必要か確認して発注したり、全体のレール作りみたいなものが主な仕事です。
—— 大泉に通われていた頃の、印象的な出来事や場所などはありますか?
佐藤:『悪魔くん』の頃だったかな、大泉の近辺がどんどん変わっていくんですよ。 今、LIVIN OZ【7】があるところには昔は東映東京撮影所【8】のオープンセットがあって、向かいのシネコンのところには食堂がありました。奥には広い駐車場があるのですが、たまにそこにでかい岩山なんかが作ってあって、特撮の爆発シーンを撮っていたりして、そういう我々が普通見ることがない風景を見ることができました。
それから、昔の東映の刑事ものなどを見ていると、「これ東映動画の建物だよね?」ということがよくありました。東映動画の建物の前に警察だったり、病院の看板を建てて撮影していたんですよ。それも面白かったですね。
—— 『美少女戦士セーラームーン』『おジャ魔女どれみ』【9】『ケロロ軍曹』【10】『カレイドスター』【11】など、大ヒットシリーズのディレクターを務められていますが、立ち上げの時はどういうところを軸にして考えていくものなのでしょうか?
佐藤:一番大事なのは、「これ、誰が見るんですか?」ということ、ターゲットですね。「この人たちは何を楽しむのだろう?」「どんなことを考えて生活しているんだろう?」「何が好きなんだろう?」みたいなことを含めてリサーチして、方向性を考えるのが最初の仕事です。
—— 佐藤監督が抜けた後もシリーズが続いていますが、シリーズが成功し定着するための一番大事なことは、どんなことだと思われますか?
佐藤:最初に「こういう人たちに見せるよ」「ここはちゃんと守ろうね」という土台をちゃんと作っておいて、「もうあとは好きにやってください」と言えるところまで準備をしておくんです。好きなように暴れられる土俵をちゃんと作ってあげるということですね。
あとは作品の世界観やギャグをどれぐらい入れるかもですけど、作品を作るために事前にどういうことをやっていけばいいかを決めておくんです。「『セーラームーン』らしくなる」「『どれみ』らしくなる」というものを土俵も含めて作っておくことが、一番重要かなと思います。
—— 佐藤監督が『セーラームーン』を手掛けられたのはとてもお若い頃ですが、どこからそれを得られたのでしょうか?
佐藤:自分の作品作りの姿勢というか、最初から子供向けのものを作りたいと思って入ってきているので、「子供たちが何を楽しむかな?」ということが先にあるのだと思います。
あと、前回お話した籏野義文プロデューサー【12】が僕をかわいがってくれたと同時に、いろんなところに連れて行ってくれたんです。 僕はその当時まだ助手でしたが、玩具チームとの打ち合わせやオーディション前のキャスティングの打ち合わせ、ビジネスチームが脚本家とプロデューサーとガチバトルしているところにも立会いました。見ているだけではありますが、その場にいたことで自然とスキルが高くなったというのはあると思います。特に今は演出さんもそんな打ち合わせの現場に行くことはないですし、でもああいう現場を1回見ておくということは本当にためになります。商業アニメーションは、ちゃんとお客さんがいて物を売るという仕組みの中で作るものですからね。
—— 話が前後しますが、日藝在学中に東映動画の研修生試験を受けられました。躊躇はなかったのですか?
佐藤:なかったですね。 そもそもアニメーションの仕事をするのが目的でしたので。
学校で得られるものも多かったのですが、親の財力では学費で無理をさせているのはわかっていたんです。そういうのもあって、「辞めて、働いて、しかもアニメができるのなら一石三鳥」でした。
—— だからこそ旗野プロデューサーとの出会いもあり、佐藤順一という日本のアニメーション界における大きな存在が生まれたように思います。
佐藤:『セーラームーン』だって、僕にこなかった可能性がいくらでもあるわけですが、たまたま僕に来てそこで評価されましたから。 作品と人の出会いには相当恵まれたなと思います。
—— これからの野望のようなものがあればぜひお伺いしたいです。
佐藤:そもそもが「子供たちに向けて作品を作りたい」というスタートだったのですが、昨今は子供の数が減っていたりもして、子供向けの番組自体が昔よりも減ってきてはいるんです。 ただなくなってはいないし、日本では少なくなったかもしれないけれど、ターゲットを世界に広げたらまだまだ子供たちはいるので、「世界の子供たちが同じアニメーションを見て楽しんでいる」ということができたら、それは大きな未来に繋がると思うんです。できればそのようなアニメーションを作れたらいいなと思っています。
—— 最後にご挨拶をお願いします。
佐藤:令和版『悪魔くん』【13】を最後まで見ていただけるとわかると思いますが、すごく続編を見たくなる作品になっております。ぜひ見ていただいて、皆さんの応援をいただけたら、「また次も!」ということもあるかもしれませんので、応援のほどよろしくお願いいたします。『悪魔くん』を作ったスタッフたちも、今は別の作品を作っておりますので、そういった作品もぜひぜひ見ていただけると我々の力になりますし、また新しいアニメーションの表現も広がると思います。視聴者あってのアニメーションですので、ぜひぜひ見ることでお力をいただければなと思っております。
—— ありがとうございました。