映像∞文化のまち ねりま

ねりま映像人インタビュー

第21回 加藤和夫さん 後編

第21回 加藤和夫さん 後編

2023.03.27

こちらのコンテンツは音声でもお楽しみいただけます。

※現在の社会状況を考慮しビデオ会議システムを使用して収録いたしました。通信環境の状況により、音声が一部お聞き苦しい箇所がございます。ご了承ください
練馬にゆかりの映像人の皆様にお話を伺い、練馬と映像文化の関わりを紹介する「ねりま映像人インタビュー」。
今回のゲストも、東映ビデオのプロデューサー・加藤和夫さんです。
1980年代後半にレンタルビデオ市場の急速な発展を背景に、映画館でもTVでもない、ビデオを出口とした映画「東映Vシネマ」が誕生。その第1弾作品『クライムハンター怒りの銃弾』に、加藤さんはプロデューサーとして参加されました。
今回はその草創期に携わったVシネマのことや、関わった数々の映像作品についてお伺います。

—— 「東映Vシネマ」【1】は、どのような経緯で企画されたのでしょうか?

加藤:(当時の)レンタル市場がいろいろな意味で法の網からはみでたところがあって、そこで我々がメーカーとして組合を組んで、「海賊版を扱ってはいけない」「正業にできるようにする」会社として考えていたようなんです。
当時、回転寿司屋をやるよりも、レンタルビデオ屋のほうがめちゃくちゃ儲かるという状況だったんです。 それに対して、当時東映ビデオ【2】の副社長だった渡邊亮徳さん【3】が「新しい市場ができたのなら、市場に合わせた新しいものを作れ」との号令で始まりました。

—— その第1弾作品『クライムハンター 怒りの銃弾』【4】のプロデュースを担当されますが、どんなことを考えられたのでしょうか。

加藤:元々、『クライムハンター』は第1弾じゃなかったんです。
その前に1本、後に作られるVシネマ『ネオチンピラ 鉄砲玉ぴゅ~』【5】の前段階の話があって、これはのちに松竹で『泣きぼくろ』【6】のタイトルで映画化されましたが、それを先に制作する予定でした。
それが、クランクイン3日前に中止になり、『クライムハンター』が繰り上がったんです。

—— 『クライムハンター』も、並行して制作準備にはかかっていたのでしょうか。

加藤:そうです。これもまたいろいろな流れがありまして。
東映テレビ部で作品を手掛けられていた武居勝彦プロデューサー【7】から、脚本家の大川俊道さん【8】を紹介されたところからですね。大川さんは明治大学時代から自主映画を撮られていたんです。その作品をまとめた5分ぐらいのショートフィルムを見た武居さんが「彼にこういう映画を撮らせたら面白いんじゃないか」と。それで大川俊道さん監督で『クライムハンター』をやりたいという提案が、武居さん経由で僕のところに来たんです。
武居さんがプロデューサーを務めていたTVドラマ『ベイシティ刑事(ベイシティコップ)』【9】に大川さんは脚本家で参加していて、主演の一人が世良公則さん【10】
その流れで、『クライムハンター』は武居さんがプロデュース、大川さんが脚本、主演が世良さんでスタートしました。

—— 『クライムハンター』は日本のガンアクションを変えた、ガンアクションムービーとして非常に気合の入った映画だと思います。きっかけになった大川さんの自主映画は、そういう毛色を持っていた作品だったのでしょうか?

加藤:そうです。やっぱりディティールをちゃんと描きたいという話がありました。
日本で拳銃とかガンを描くのは、現実的に生活の中にないのですごく難しいんです。
アメリカとは全然違いますから、そこをどうやって成立させるか。
それで、ある架空の都市の設定を作りだしたんですね。英語と日本語がちゃんぽんになっている、公用語が2つあるイメージで。
それくらいの設定にしないと、拳銃が使えない。拳銃が出てきたときに「おかしい」という話になると考えました。
当時、英語のセリフに日本語の字幕が付くっていうのも、一つのスタイルとして雰囲気を作っているようで。面白いなと思いながら制作していました。

—— 「Vシネマの市場はいけるな」という実感は、いつごろ感じられましたか?

加藤:まず一つは『クライムハンター』が出来上がったときに、「こういう作品が量産されるのって、すごく楽しい」と思ったのが一つありますね。 元々アクション映画大好き、理屈じゃないものが好きっていうところもあったので、それはすごく嬉しかったです。 もう一つは、Vシネマのキャンペーンに行った時に、レンタル屋さんの反響を見られた時です。 当時は日本各地に販売会社さんあって、そこからお声がけいただいてあちこち行かせてもらうことが多かったんです。Vシネマを持って役者さんを連れてキャンペーンに行って、メディアに出たり、レンタル屋さんと挨拶をして、役者さんがサインをしたり、写真を一緒に撮ったり。 最初の頃は、レンタル屋さんの方々がジャンパー姿だったのですが、何回かやっていくうちに、みんなスーツに変わっていくんですよ。 その当時、バブル期の最後ぐらいですか、一つの大きいビジネスを作ってそれに対してどんどんどんどん享受する人たちが増えていく様を見たときに、「(Vシネマのように)「仕組み」から始まる映像ビジネスは、そうそうあるもんじゃない」と感じました。 今でも、ビジネスもクリエイティブも自由度の高いものをどうやって成立させていくのかというのは、僕がこの商売をやっていくなかで、ものすごく高い位置を占めていると思います。 この二点は、すごく大きかったですね。

—— 東映Vシネマが切り込み隊長になり、他社もビデオオリジナル作品を続々と作り始め、80年代末から90年代初頭の映像文化の重要な一翼を担うまでに成長しました。急激に広がったVシネマという文化を、どのようにご覧になっていたのでしょうか?

加藤:さっき申し上げた通り、すごく元気が出たし、元気をあげられるし、元気なビジネスだったんです。
けれど、あっという間に玉石混淆なってしまった。それが僕の中ですごく残念でした。
もちろん、いろいろ作らせてもらって、いろんなことにチャレンジしましたが、結果的にビジネスとしてちゃんと成立していたのはほぼ2年間です。
その後は各社からものすごい量が出てしまって。何がどれだかよくわからないくらいの話になってしまった。
何とかしたくて、もっとエッジが立ったものをと、ダンスアクションムービーとか、いろいろやってみましたが、結果的に、「ハダカ」と「ヤクザ」という定型にしかならなかった、という感じです。

—— 若い方たちに「ビデオレンタル屋の棚」という表現がご理解いただけるのか既にわからないですが、加藤さんは以前、「どの棚に入れるのかを考えるのではなく、新しく棚を作るのだ」と仰っていました。

加藤:『クライムハンター』はすごく特殊なタイトルだったのですが、当時は洋画も邦画もあまり調子が良くない時期でした。
そんな中で、ビデオレンタル屋の洋画の棚に『ダイ・ハード』【11】というアメリカらしい胸をすくようなアクション映画が出た。そこでレンタル屋さんは、洋画と邦画の間に棚を作って『クライムハンター』を置いたんですよ。これが棚になる一つのきっかけ。『クライムハンター』ってタイトルが、Vシネマという新しい棚になり、そこで売り上げが立つようになる。
映画は「影を売る商売」とも言われるんですが、ビデオレンタル屋さんに対しては、テープを売るモノ売る商売だったっていうところが一つ面白いところで。
壁面だったり、下に平置きになっている場所をどう取るかなど、エリアをいかに開拓していくのかが、面白いことになっていました。
その「棚」という視点から、「どこにどういうお客さんがいて、どこに今不満をもっていて、こういうことをやるとこれに食いつくのでは?そういう計算をしてみよう」という、新しい企画を考えるときの話ができるようになったと僕は思います。
それは、それまでの映画のプロデューサーにはない、Vシネマをやらせていただいた我々が持つ、一つの資質かなというふうに思います。
その結果、「棚理論」として人に話すことが多くなったのですが(笑)。

—— 1996年の『超力戦隊オーレンジャー オーレVSカクレンジャー』【12】から『スーパー戦隊』シリーズ【13】のVシネマ版が始まりました。これはどうして始めようと思われたのですか?

加藤:僕は東映テレビ部の武居さんと一緒に作品を作っていたので、割とテレビ部そのものと関係が近かったのが一つあります。
それから、東映ビデオのビデオグラムの販売を、長期間安定して支えてくれていたのが、『仮面ライダー』シリーズ【14】、『スーパー戦隊』シリーズだったんです。それで、Vシネマにしてみたら、商売になるのでは?と考えました。
でも『仮面ライダー』は我々が手を出すのはなかなかハードルが高い。でも、『スーパー戦隊』は、当時の吉川進プロデューサー【15】が、シンプルに「やってみようよ」と言ってくれたんです。 最初は単純に『オーレンジャー』だけのスペシャルアクトという企画でしたが、当時吉川さんの下についていたプロデューサーの髙寺成紀さん【16】に、「テレビで見るのと同じだとつまらない。例えば昔の映画『マジンガーZ対デビルマン』【17】みたいなことはできないか?」という話をしたら、「提案してみましょう」と。結果、1つ前のシリーズだった『カクレンジャー』を出そうということになりました。。
それで、「VS」という形になり、『カクレンジャー』から赤と白を出すことになったのですが、今度はほかの出演者たちが「タダでもいいから自分も出たい!」という話になり、結局5人全員に出演してもらいました(笑)。
その時強く思ったのは、ある時期彼らが1年間掛けて作ったものを、我々も大事にしないといけない。ということです。
今は「10 YEARS シリーズ」【18】、そして「20 YEARS シリーズ」を仕掛けていますが、基本的にメンバーが1人でも欠けたらやらない。
変身後だけでもというような話もありましたが、メンバー全員の素面が出てこないのは、ウチではやらないからと断っています。

—— 加藤さんのお仕事の中から印象的な三つの作品に絞ってお話を伺います。2000年の『ブギーポップは笑わない』【19】は制作協力として前回お話に出ました黒澤満さん【20】セントラル・アーツ【21】が入っています。加藤さんはどういう経緯で本作に参加されたのでしょうか?

加藤:要はVシネマが不振になり、単館でもいいから映画にしないとキャストも集まらない、売り上げも上がらないという状態になったんです。
だったら小さい映画を作ろうよという話をする中で、ジュヴナイル【22】はVシネマでは全く手をつけていないジャンルなので、これはいいんじゃないかと思ったんです。
勧められたり、一緒にやろうという話もいただいて、「これなら勝負できるな」と思ってスタートしました。

—— 『ブギーポップは笑わない』は、今で言う人気ライトノベルという感じですね。

加藤:当時もライトノベルと言われていました。「ジュヴナイル」と言ったのは、NHK少年ドラマシリーズ【23】のようなジュヴナイルドラマやジュヴナイル小説を浴びるように見て育ち、まだその脳みそでモノを作っている人間からすると、やはりジュヴナイルにはちょっとこだわりたいなと思っていて。
自分が映画であったりドラマであったり、映像作品によって自分の人生を変えられてきたように、「自分が作った作品で、みんなの人生をねじ曲げてやる」という気持ちでいつも作品を作っているんです。
だから「ジュヴナイルである」ということも含め、『ブギーポップは笑わない』はすごく大事に作りました。

—— ちょっと変わった作品ですが、2015年の『東京無国籍少女』【24】押井守監督【25】とのご縁から受けたようなところがあるでしょうか?

加藤:一般の人たちが作品を送ってくる「ガン&アクション・ビデオ・コンテスト」【26】というのがあって、押井さんは最初の頃から審査員で、そのあとに僕も審査員で入っていました。2012年のコンテストに同名の作品があって、それを押井さんが気に入って、僕も「これは素晴らしいね」って話をしていたら、表彰式の壇上で押井さんが僕に向かって「これのリメイクやろうよ、加藤さん」と突然発言して。逃げられない状況になり、「酷いな」と思いながら笑顔で「やりましょう!」と(笑)
でも元々の『東京無国籍少女』【27】自体も非常にエンタテインメント性が強い作品だったのでリメイクしてみたいと思いましたし、「押井さんとガッツリ組めるのは面白いな」と思って始めました(笑)。

—— 2021年の『スーパー戦闘 純烈ジャー』【28】にエグゼクティブプロデューサーとして参加されていますが、これはどんな経緯だったのでしょうか。

加藤「純烈」【29】自体が非常に我々に近しい人たちなんですよ。リーダーの酒井一圭さん【30】を含めて。
小田井涼平さん【31】も、モデルをやっているときにウチの宣伝部の忘年会に来たことがあったりとか。
酒井くんは『百獣戦隊ガオレンジャーVSスーパー戦隊』【32】『忍風戦隊ハリケンジャーVSガオレンジャー』【33】をやったときに、こちらの企画を面白がってくれたし、こちらも彼らが面白くて、それ以降、本当に長い付き合いなんです。
彼とはいろいろな局面でお話をしていたんですが、その中で「ムード歌謡ってありだよな」という話を聞いたこともあって。本当にムード歌謡をやるとは思ってなかったから驚きましたね。
それで、『NHK紅白歌合戦』【34】が決まるか決まらないかという頃に、銭湯のおじちゃんおばちゃんに訴求してはいるけど、特撮出身者として「特撮ファンにも訴求できることをやりたい」「変身したい」という話が出て、「それじゃあやってみよう」と映画を制作することになったんです。

—— この作品も実は東映東京撮影所【35】所内での撮影が多いそうですね

加藤:本当にお金がないからロケに出づらくて、所内で相当やったようでした。
(作品制作が)難しいところに来ているんですよ。
東映ビデオは小さい映画を数多く作るのを得意にしていたのですが、コストがかかるようになってしまったんです。
最近で一番大きなのは、やはりコロナですね。コロナ対策で人を増やさなきゃいけない、撮影中に休みを入れて空気を入れ替えなきゃいけない。一つ局面が変わりました。でもこれは悪いことじゃないと思います。
良きものを良きように作るための一つの課題を我々が受け取ったわけなので。
前回も話したデジタル合成や特撮に関しても、ここ十数年あまり進んでいなかったことが進まざるを得なくなりました。
ロケーションに出られないのなら撮影所内でやるしかない。そうすると今度は、LEDウォール【36】を使って何ができるの?という話になる。バーチャルスタジオという形でどういうことをやっていけるのか、そうすると脚本の作り方も変わっていくし、役者から演出家の発想も変わってくるでしょう。
今、非常に大きい端境期が来ていると思います。

—— 長く映像制作の現場を見ていらっしゃった立場から、今後の映像制作の現場はどのようになっていくと感じられますか?あるいはどのようになっていくべきと思われますか?

加藤:スタートとしては多分二極化すると思います。
一つは大規模なデジタルを使ったもの。
それこそ押井守監督が昔から仰っていた、「いつか2Dと3Dの区別がなくなる」という感じで、実像と絵が混ざり合っていくだろうなと思います。
おそらく人間の顔自体もただの印、「アバター」でしかない。だからどこまで本当の人が本当にお芝居をしなきゃいけないの?というような状況になっていくようになるでしょう。
もう一つは、映像制作が多分「同人クラス」までいく。PCのデスクトップ上で全てのことが行われるということ、そしてよりプライベートな「作品」になると思うんです。
新海誠さん【37】も、1人でアニメを作っていたわけじゃないですか。それが今、もっと簡単にできるようになった。 YouTube上では同人的なそういう動きが増えています。どんどん自分でできることが増えてきて、仕上がりも物凄く良くなりました。なにより時間も短縮されてきている。アマチュアが作った作品が、大作ゲームのオープニング映像と比べても遜色ないものになってきていて、もう仕事としてできています。
この動きは進んで、クリエイターが増えていく。
物事全てのことが同人化していくみたいなことが、やすやすとあるだろうと思います。
だから、そういうことが起きることを予測して、誰とどれぐらいの時期に話をして、どういうものを武器として持ってその人たちと立ち向かい、「こういうことをやりませんか?」と提案できるところまでいけるかどうか?というのが大事になると思いますね。

—— 貴重なお話をありがとうございました。最後にメッセージをお願いします

加藤:実は就職活動で東映に落ちたのですが、「東映ビデオって会社があるんだけど」と紹介されたんです。
僕はTVドラマの『探偵物語』【38】が大好きで、エンドロールに「東映ビデオ」のクレジットが出ていたのを覚えていたので、「『探偵物語』を作った会社ですか?じゃあ行きます!」みたいないい加減なところから物事が始まって、なんだかんだで40年この商売をやってきました。
先ほど申し上げましたが、今、一つ大きな潮目が変わってきています。この先、この仕事に長く付き合っていくかどうかはわからないですが、そういうことに対応できる人材であったり、知恵だったり、少しでも残していければいいなと思って過ごしています。
一つでも楽しいものが増えるといいな、人生に対して楽しめるものが増えてよかったな、というものを提供していきたいですね。 ありがとうございました。

音声版では、更にいろいろな話が出てきます。
是非お聴きください。

プロフィール

加藤和夫(かとう かずお)
東映ビデオのプロデューサー・常務取締役。
1983年に東映ビデオに入社以降、実写、アニメを問わず、数々の映像作品に携わる。
1989年には「東映Vシネマ」の第1弾作品『クライムハンター 怒りの銃弾』をプロデュース。以後、プロデューサーとして実写映画『ブギーポップは笑わない』(00)、『仮面ライダー THE FIRST』(05)などに参加。近作にエグゼクティブプロデューサーとして『スーパー戦闘 純烈ジャー』(21)、『ツユクサ』(22)など。
現在は常務取締役として、後進たちの映像制作を支えている。

登場する作品名・人物名等の解説

【1】東映Vシネマ
東映ビデオが1989年より制作・発売を開始した、劇場公開を前提としないビデオレンタル専用映画。
1989年3月に発売された世良公則主演『クライムハンター 怒りの銃弾』が、東映Vシネマの第1弾作品。(ビデオオリジナル作品は、他社に数本の先行作品がある)
『クライムハンター 怒りの銃弾』、同年8月に発売された仲村トオル主演『狙撃 THE SHOOTIST』、1990年に発売された哀川翔主演『ネオチンピラ 鉄砲玉ぴゅ~』が大ヒットとなり、続々と制作されることになる。
当時の邦画は低迷していた時期だったが、長谷部安春氏や高橋伴明氏といったベテラン監督や、清水崇氏や三池崇史氏をはじめとした新人監督、そして哀川翔氏や竹内力氏など多くの俳優たちにとっての活躍の場となった。
1990年代には同業他社も多数参入し、レンタルビデオ店を席捲。「Vシネ」として一大ジャンルを築いた。
【2】東映ビデオ
劇場用映画をはじめ、TVドラマ、アニメ、Vシネマなどのビデオ・DVDソフトの製作・販売活動を行う、東映出資の子会社。近年は映像作品の製作や配給のほか、エンタテインメントに関する事業を幅広く展開している。
主な制作作品:【Vシネマ】『クライムハンター』シリーズ(89-90)『ネオチンピラ 鉄砲玉ぴゅ〜』(90)、【劇場映画】『仮面ライダー THE FIRST』(05)『HK/変態仮面』(13)『百円の恋』(14)『ツユクサ』(22)、【TVドラマ】『探偵物語』(79-80)、『Sh15uya』(05)など。
【3】渡邊亮徳(わたなべ よしのり)さん
1952年に東映に入社。東映テレビ部に在籍時には、『仮面ライダー』(71-73)や『秘密戦隊ゴレンジャー』(75-77)の企画に携わった。1989年に東映株式会社副社長、1994年には東映ビデオ株式会社代表取締役社長に就任した。2019年89歳で逝去。
【4】『クライムハンター 怒りの銃弾』
1989年に東映Vシネマ第1弾として発売されたオリジナルビデオ作品。 アメリカ・リトルトーキョーを舞台に、日本人刑事ジョー・カワムラ(通称:ジョーカー)の活躍を描く。
本作の売りともいえるガンアクションは、それまでの日本のガンアクションとは一線を画しており、以降の日本のガンアクション演出は、大きくレベルアップすることとなった。
続編として、『クライムハンタ-2 裏切りの銃弾』(89)、『クライムハンタ-3 皆殺しの銃弾』(90)が製作された。
監督・脚本:大川俊道/出演:世良公則、又野誠治、田中美奈子、竹内力、ハント敬士、片桐竜次、原田芳雄 ほか
【5】『ネオチンピラ 鉄砲玉ぴゅ~』
1990年に発売されたオリジナルビデオ。安部譲二氏の連作小説「泣きぼくろ」が原作。なお、タイトルにある「ぴゅ~」は、ヤクザ用語で逃げることを意味する。
駆け出しのチンピラ・水田順公(通称じゅんこう)は、ある日、所属する暴力団の幹部に呼び出され、ヒットマンに指命されてしまう。できることなら「ぴゅ~」っと逃げ出したいのだが…。 36,000本を売り上げる東映Vシネマ最大のヒット作となった。
原作:安倍譲二/監督:高橋伴明/脚本:西岡琢也/出演:哀川翔、峰岸徹、山田辰夫、青山知可子、宍戸錠 ほか
【6】『泣きぼくろ』
1991年に松竹の配給で公開された映画。原作は、安部譲二氏の同名連作小説。 泣きぼくろの女を探すべく旅する三人のアウトローたちの姿を描くロードムービー。
原作:安部譲二/監督・脚本:工藤栄一/共同脚本:松本功、田部俊行/出演:山崎努、木村一八、石田えり、井川比佐志、松田優作 ほか
【7】武居勝彦(たけい かつひこ)さん
プロデューサー。東映テレビ部で、『特捜最前線』(77-87)、『ベイシティ刑事』(87-88)、『さすらい刑事旅情編』(88-95)、『八丁堀の七人』(00)などの作品を担当。
『ベイシティ刑事』でアクション作品としての手ごたえを掴んだことが、東映Vシネマ第1弾『クライムハンター 怒りの銃弾』(89)制作のきっかけとなった。
【8】大川俊道(おおかわ としみち)さん
脚本家・映画監督。1982年にTVドラマ『太陽にほえろ!』(72-76)で脚本家デビュー。『誇りの報酬』(85-86)、『あぶない刑事』シリーズ(86-16)、『ベイシティ刑事』(87-88)、『刑事貴族』シリーズ(90-92)などの刑事ドラマの脚本を多数手がける。
明治大学在学中から撮った自主製作映画を、東映テレビ部の武居勝彦プロデューサーに見せたことをきっかけに、1989年に東映Vシネマ第一弾『クライムハンター 怒りの銃弾』で監督としてもデビュー。同シリーズ3作をはじめ、『ダブル・デセプション〜共犯者』(01)、『KILLERS キラーズ』(02/オムニバス/『CANDY』を担当)などの映画を発表している。
【9】『ベイシティ刑事(ベイシティコップ)』
1987~88年に全24話が放送されたTVドラマ。横浜を舞台に、港町署に設置された捜査課の左遷部署「別動班」に所属する刑事たちの活躍を描く。
ガンアクションに重点が置かれ、主人公の刑事たちの拳銃には愛称がつけられるなどの独特な演出も話題となった。また、東映Vシネマ第1弾『クライムハンター 怒りの銃弾』制作のきっかけになった作品でもある。
監督:黒沢直輔、成田裕介、村川透 ほか/脚本:柏原寛司、日暮裕一、永原秀一、大川俊道 ほか/出演:藤竜也、世良公則、いかりや長介、石川秀美、神山繁
【10】世良 公則(せら まさのり)さん
ロックミュージシャン・ボーカリスト・俳優・ナレーター。1977年にロックバンド「世良公則&ツイスト」を結成し、「あんたのバラード」でレコードデビュー。翌78年には音楽番組に頻繁に出演し、多くのファンを獲得。7月に発売したデビューアルバムは、日本のロックバンドのデビューアルバムとはしては初となるオリコン第1位を獲得した。
1981年のバンド解散後、ソロ活動を続けながら俳優業にも進出。TVドラマ『太陽にほえろ!』(ボギー刑事役/82-84)、『チョッちゃん』(87)、『ベイシティ刑事』(87-88)、『マルモのおきて』(11)『カムカムエヴリバディ』(21-22)などに出演。映画『極道の妻たち』(86)、『カンゾー先生』(98)では日本アカデミー賞優秀助演男優賞を受賞している。 1989年に主演した東映Vシネマ第1弾『クライムハンター 怒りの銃弾』はヒット作となり、Vシネマブームの先駆けとなった。
【11】『ダイ・ハード』
1988年に公開されたアメリカ映画。別居中の妻に会うため、ロサンゼルスにやってきたニューヨーク市警のジョン・マクレーン刑事は、妻の会社のパーティに招かれる。だが、その会場に現れたテロリスト集団が、会場ごと高層ビルを占拠。一人難を逃れたマクレーンは外部と連絡を取りつつ、テロリストに立ち向かう。
原作:ロデリック・ソープ/監督:ジョン・マクティアナン/脚本:ジェブ・スチュアート、スティーヴン・E・デ・スーザ/出演:ブルース・ウィリス、アラン・リックマン、ボニー・ベデリア、レジナルド・ヴェルジョンソン ほか
【12】『超力戦隊オーレンジャー オーレVSカクレンジャー』
『スーパー戦隊』シリーズ20周年を記念して1996年に制作された、『スーパー戦隊』シリーズ初となるVシネマ作品。
『超力戦隊オーレンジャー』(95-96)と、その前作『忍者戦隊カクレンジャー』(94-95)とのクロスオーバー作品となっている。本作をきっかけに、「VSシリーズ」(基本的に、発売年のスーパー戦隊と、別作品のスーパー戦隊の共演が主な内容)として現在も制作されるシリーズ(2009年からは劇場映画に移行)となっている。
原作:八手三郎/監督:東條昭平/脚本:曽田博久/アクション監督:山岡淳二/特撮監督:佛田洋/出演:宍戸勝、正岡邦夫、合田雅吏、麻生あゆみ、珠緒(現・さとう珠緒)、小川輝晃、広瀬仁美、土田大、河合秀、ケイン・コスギ ほか
【13】『スーパー戦隊』シリーズ
東映制作の特撮TVドラマシリーズ。1975~77年に放送された『秘密戦隊ゴレンジャー』から始まり、現在まで途切れることなく放送が続いている。2023年3月放送開始の『王様戦隊キングオージャー』で47作となる。
【14】『仮面ライダー』シリーズ
東映制作の特撮TVドラマシリーズ。 第1作目は、1971年4月放送開始。また、2000年放送の『仮面ライダー クウガ』以降、毎年新シリーズが放送され続けている。
【15】吉川進(よしかわ すすむ)さん
プロデューサー。1958年に東映に入社。1972年に『人造人間キカイダー』で特撮作品に初参加。1975年には『秘密戦隊ゴレンジャー』に参加、スーパー戦隊シリーズの立ち上げに携わり、長期シリーズ化、海外進出に寄与。1982年には『宇宙刑事ギャバン』を担当し、メタルヒーローシリーズの立ち上げにも携わるなど、1990年代前半までの東映特撮作品を総合的にプロデュースした。1994年には『忍者戦隊カクレンジャー』で『スーパー戦隊』シリーズのプロデューサーに復帰。次作『超力戦隊オーレンジャー』(95-96)の終了後に東映ビデオに異動。1996年の『超光戦士シャンゼリオン』が東映での最後のプロデュース作品となった。2020年84歳で逝去。
【16】髙寺成紀(たかてら しげのり)さん
プロデューサー。東映でプロデューサーとして『仮面ライダークウガ』(00-01)『激走戦隊カーレンジャー』(96-97)など特撮アクション作品の担当。『忍者戦隊カクレンジャー』(94-95)『超力戦隊オーレンジャー』(95-96)ではサブプロデューサーを務めていた。
のちにKADOKAWAに移籍し『大魔神カノン』(10)などをプロデュース。
【17】『マジンガーZ対デビルマン』
1973年に公開されたアニメーション映画。永井豪が原作を担当したTVアニメ『マジンガーZ』と『デビルマン』が共闘するクロスオーバー作品。
悪の天才ドクター・ヘルとデーモン族が、互いの宿敵を倒すために手を結んだ。マジンガーZの操縦者・兜甲児とデビルマン・不動明は、襲い掛かる機械獣・妖獣連合軍に立ち向かう。
原作:永井豪とダイナミックプロ/監督:勝間田具治/脚本:高久進/出演:石丸博也、田中亮一、松島みのり ほか
【18】10 YEARS シリーズ
『忍風戦隊ハリケンジャー』(02-03)のキャスト陣の熱意から、東映Vシネマとして2013年に製作された『忍風戦隊ハリケンジャー 10 YEARS AFTER』をきっかけに立ち上がった新シリーズ。
『特捜戦隊デカレンジャー 10 YEARS AFTER』(15)、『炎神戦隊ゴーオンジャー 10 YEARS GRANDPRIX』(18)が製作されている。
【19】『ブギーポップは笑わない Boogiepop and Others』
2000年に公開された映画。原作は上遠野浩平氏による同名小説。 ある高校で女子生徒の連続失踪事件が発生。時を同じくして「口笛を吹きながら人を殺す」死神「ブギーポップ」の噂も流れ始める。この事件の謎を巡り、4つの物語が進行していく…。
原作:上遠野浩平/監督:金田龍/脚本:村井さだゆき/出演:吉野紗香、黒須麻耶、川岡大次郎、酒井彩名、三輪明日美 ほか
【20】黒澤満(くろさわ みつる)さん
映画プロデューサー。東映ビデオ代表取締役副社長、セントラル・アーツ代表取締役を務めた。
元々は日活の出身で、調布のにっかつ撮影所(現・日活撮影所)の所長として辣腕をふるったが、1977年に退職。当時の東映社長・岡田茂氏の誘いを受け、岡田氏が設立した東映セントラルフィルムの製作部門にプロデューサーとして就任した。
1978年に松田優作氏を主演とした映画『最も危険な遊戯』を東映セントラルフィルムの旗揚げ第一作として制作。好評を得て『遊戯』シリーズとして全3作を製作した。その後も、TVドラマ『探偵物語』(79-80)、映画『野獣死すべし』(80)などの松田優作主演作品を制作。80年代半ばからは映画『ビー・バップ・ハイスクール』シリーズや、TVドラマ・映画『あぶない刑事』シリーズなどを手がけ、「東映Vシネマ」の作品などを多数制作した。2007年には第5回文化庁映画賞映画功労表彰部門を受賞している。2018年、85歳で逝去。
【21】セントラル・アーツ
映画・テレビ制作プロダクション。東映グループ構成企業の一社で、前述の黒澤満氏が代表取締役を務めた。東映セントラルフィルムの企画・製作部門が、1980年代後半にセントラル・アーツとなった。代表作に、映画『ビー・バップ・ハイスクール』シリーズ(85-88)、TVドラマ・映画『あぶない刑事』シリーズ(86-16)、映画『オルゴール』(89)、Vシネマ『狙撃』シリーズ(89-94)、『カルロス』(91)、映画『ブギーポップは笑わない』(00)、映画『北のカナリアたち』(12)など。
【22】ジュヴナイル
少年・少女や青少年向け冒険SFなどのフィクション作品を指す。
【23】NHK少年ドラマシリーズ
1972~83年にかけて放送された、小中学生向けのTVドラマシリーズ。『タイム・トラベラー』(72)、『夕ばえ作戦』(74)、『なぞの転校生』(75)、『七瀬ふたたび』(79)、『ぼくとマリの時間旅行』(80)など、99作品が放送された。
【24】『東京無国籍少女』
2015年に公開されたアクションサスペンス映画。山岸謙太郎監督の同名自主制作映画を、押井守監督がリメイクした作品。 芸術高校の特待生・藍は、ある事故で心身に傷を負う。才能に嫉妬する同級生たちにいじめを受けながらも新しい作品に打ち込むが、ある日高校が武装集団に襲撃され、藍は壮絶な戦いに身を投じる…。 監督:押井守/脚本:山邑圭/原案:山岸謙太郎/出演:清野菜名、金子ノブアキ、りりィ、本田博太郎 ほか
【25】押井守(おしい まもる)さん
アニメーション監督、映画監督、演出家、脚本家、小説家。タツノコプロダクションのTVアニメ『一発貫太くん』(77)で演出家デビュー。スタジオぴえろに移籍し、TVアニメ『うる星やつら』(81-86)のチーフディレクターを第106回まで務め、劇場版『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』(84)を監督した後フリーに。1988年にOVA『機動警察パトレイバー』に監督・脚本として参加。同シリーズの劇場版2作も監督した。1995年に日米英で同時公開された『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』は国内外のクリエイターに大きな影響を与えた。実写作品にも意欲的に挑戦を続けており、『THE NEXT GENERATION パトレイバー』シリーズ(14-15)の総監督も務めた。
【26】ガン&アクション・ビデオ・コンテスト
かつて開催されていたアマチュア向けのビデオコンテスト。通称「ガンコン」。押井守監督、をはじめ、大川俊道氏、加藤和夫氏など、ガンアクション作品に関わっているプロフェッショナルが審査員を務めていた。辻本貴則氏、河田秀二氏、山岸健太郎氏などこのコンテストでの入賞をきっかけにプロデビューを果たした作家も多い。『東京無国籍少女』は、このガンコンを引き継いだ、「ハードボイルドヨコハマ アクションムービーコンペティション2012」で審査員特別賞を受賞している。
【27】元々の『東京無国籍少女』
2012年に発表された、山岸健太郎監督による自主制作映画。 日本の高校で目覚めた浅倉マミは、ある男子との出会いにより、学園生活に馴染んでいく。だがフランス語を話す謎の少女サラからのメッセージを受けて、記憶が蘇る。そして…
「ハードボイルドヨコハマ アクションムービーコンペティション2012」で審査員特別賞を受賞したことをきっかけに、押井守監督によりリメイクされた。
監督:山岸謙太郎/出演:鈴木ふみ奈、今野ゆきみ、福田智行、小沢和之
【28】『スーパー戦闘 純烈ジャー』
2021年に公開された特撮映画。特撮作品出身者を中心に活動する、歌謡コーラス・グループ「純烈」の主演作品。
温浴施設を守るヒーロー「純烈ジャー」の仮の姿であるムード歌謡グループ「純烈」。彼らが温浴施設でマダムたちを歓喜させている中、「連続イケメン温泉失踪事件」が多発していた。純烈ジャーは調査を始めるが、まだヒーローではないメンバー・後上翔太に魔の手が迫っていた! 前日譚を描くスピンオフ配信ドラマ『純烈のラブ湯〜 全国名湯巡り』(21)や、続編映画『スーパー戦闘 純烈ジャー 追い焚き☆御免』(22)も制作された。
監督:佛田洋/脚本:久保裕章/アクション監督:竹田道弘/ナレーション :鈴村健一/出演:後上翔太(純烈)、白川裕二郎(純烈)、小田井涼平(純烈)、酒井一圭(純烈)、小林幸子(特別出演)、前川清(特別出演)ほか
【29】純烈
男性ムード歌謡コーラス・グループで、現・メンバー、元・メンバーの多くが特撮作品の出身者という特徴をもつ。
リーダーの酒井一圭(さかい かずよし)氏は、『百獣戦隊ガオレンジャー』(01-02)の牛込草太郎/ガオブラック役。メインボーカルの白川裕二郎(しらかわ ゆうじろう)氏は『忍風戦隊ハリケンジャー』の霞一甲/カブトライジャー役。2022年に卒業した小田井涼平(おだい りょうへい)氏は『仮面ライダー龍騎』の北岡秀一/仮面ライダーゾルダ役。2023年から加入の岩永洋昭(いわなが ひろあき)氏は、『トミカヒーロー レスキューフォース』の石黒鋭二/R5 役、『仮面ライダーオーズ/OOO』の伊達明/仮面ライダーバース 役を務めている。
コーラスの後上翔太(ごがみ しょうた)氏は特撮作品への出演はない。(『スーパー戦闘 純烈ジャー』では純グリーン役を演じた)
2007年に結成し、約3年のボイストレーニング・下積みを経て、2010年に『涙の銀座線』でメジャーデビュー。健康センターやスーパー銭湯などで地道に活動を続け、認知度を得るようになる。
2018年には9枚目のシングル「プロポーズ」で日本レコード大賞日本作曲家協会選奨を受賞。NHK紅白歌合戦にも初出場し、大きな話題になった。
【30】酒井一圭(さかい かずよし)さん
俳優、歌手、作詞家、プロデューサー。1985年にTVドラマ『逆転あばれはっちゃく』の主役・5代目桜間長太郎役で子役としてデビュー。その後、休止期間を経て1994年より芸能活動を再開。2001~02年には『百獣戦隊ガオレンジャー』(01-02)の牛込草太郎/ガオブラック役を演じた。2005年からはレスラーとしてプロレス興行「マッスル」に参戦、「酒井一圭HG」のリングネームで活躍する。2006年には新宿ロフトプラスワン・プロデューサーに就任し、多数のイベントを企画・構成、レギュラー化させた。2007年に映画『クラッシャーカズヨシ』の撮影中の事故で入院。その際に、ムード歌謡コーラスグループを作ることを思い立ち、「純烈」結成のきっかけになった。
純烈では、プロデューサー、リーダー、作詞を担当。
【31】小田井涼平(おだい りょうへい)さん
俳優、声優、モデル 、歌手。純烈の元メンバー。 大学卒業後、仙台で家電メーカーに勤務する傍らモデル活動を開始、モデルの面白さに目覚め、会社を退社し東京に主軸を移す。2002年には『仮面ライダー龍騎』のメインキャラクターのひとり・北岡秀一/仮面ライダーゾルダ役で俳優デビュー。以降、TVドラマや映画、CMなどで活躍する。2007年に酒井一圭氏に誘われ「純烈」に参加、2010年のメジャーデビューよりコーラスとして活躍する。2022年には純烈メンバーとしては初のソロアルバムを発売した。同年大晦日のNHK紅白歌合戦出場をもって純烈を卒業。今後はソロとして、芸能活動を続ける。
【32】『百獣戦隊ガオレンジャーVSスーパー戦隊』
スーパー戦隊25作記念作品として2001年に発売された、スーパー戦隊Vシネマ第8弾。
『ジャッカー電撃隊』(77)のビッグワン、『超獣戦隊ライブマン』(88-89)のレッドファルコン、『星獣戦隊ギンガマン』(98-99)のギンガブルー、『救急戦隊ゴーゴーファイブ』(99-00)のゴーイエロー、『電磁戦隊メガレンジャー』(97-98)のメガピンクからなる「ドリーム戦隊」と、ガオレンジャーが共闘する。
クライマックスでは、それまでの歴代のレッド24人が登場する。 原作:八手三郎、石ノ森章太郎/監督:竹本昇/脚本:赤星政尚/アクション監督:竹田道弘/特撮監督:佛田洋/出演:金子昇、堀江慶、柴木丈瑠、酒井一圭、竹内実生、宮内洋、照英、東山麻美、柴田賢志、嶋大輔 ほか
【33】『忍風戦隊ハリケンジャーVSガオレンジャー』
2003年に発売されたスーパー戦隊Vシネマ第9作。『忍風戦隊ハリケンジャー』と『百獣戦隊ガオレンジャー』のクロスオーバー作品。
原作:八手三郎/監督:竹本昇/脚本:酒井直行/アクション監督:竹田道弘、石垣広文/特撮監督:佛田洋/出演:塩谷瞬、長澤奈央、山本康平、白川裕二郎、姜暢雄、金子昇、堀江慶、柴木丈瑠、酒井一圭、竹内実生、玉山鉄二 ほか
【34】『NHK紅白歌合戦』
1951年からNHKが毎年大晦日に放送する、大型音楽番組。通称『紅白』。
純烈は2018年の第69回に初出場、2022年まで5年連続の出場を果たしている
【35】東映東京撮影所
東京都練馬区東大泉に所在する、東映株式会社の映画スタジオ。
【36】LEDウォール
大型のLEDディスプレイのこと。デジタルサイネージなどで使用されるほか、映像制作の現場では「インカメラVFX(ICVFX)」などで使用されている。これは、巨大なLEDウォールにコンピューターグラフィックスによる背景画像をカメラの位置や方向に同期させて表示し、被写体を同時に撮影する手法。ブルーバックやグリーンバックによるクロマキー合成と比べ不自然な映り込みを防げるほか、編集工程を簡略化できる利点もあり、映像制作の現場で注目を集めている。
【37】新海誠(しんかい まこと)さん
脚本家、アニメーター、アニメーション監督、小説家。大学卒業後、ゲーム制作会社に勤務する傍ら、自主制作アニメーションを制作、1998年の『遠い世界』でeAT’98特別賞、2000年の『彼女と彼女の猫』で第12回CGアニメコンテストでグランプリを獲得。2002年に短編フルデジタルアニメ『ほしのこえ』で商業作品デビューを果たす。本作は監督・脚本・演出・作画・美術・3DCG・撮影・編集・声の出演というほとんどの作業を1人でおこなっており、この「1人で制作した」という事実が大きな話題となり、新海氏の名前を知らしめることとなった。
代表作に、『雲のむこう、約束の場所』(04)、『秒速5センチメートル』(07)『言の葉の庭』(13)、『君の名は。』(16)、『天気の子』(19)、『すずめの戸締まり』(22)などがある。
【38】『探偵物語』
1979~80年に全27話が放送されたTVドラマ。私立探偵・工藤俊作が、様々な依頼を解決するため活躍する様を描く。
主演の松田優作氏のアドリブや、内容がエスカレートしていく次回予告などは、現在でも語り草となっている。
監督:村川透、西村潔、澤田幸弘、長谷部安春 ほか/出演:松田優作、成田三樹夫、山西道広、竹田かほり、ナンシー・チェニー ほか
ページトップ