—— 「東映Vシネマ」【1】は、どのような経緯で企画されたのでしょうか?
加藤:(当時の)レンタル市場がいろいろな意味で法の網からはみでたところがあって、そこで我々がメーカーとして組合を組んで、「海賊版を扱ってはいけない」「正業にできるようにする」会社として考えていたようなんです。
当時、回転寿司屋をやるよりも、レンタルビデオ屋のほうがめちゃくちゃ儲かるという状況だったんです。
それに対して、当時東映ビデオ【2】の副社長だった渡邊亮徳さん【3】が「新しい市場ができたのなら、市場に合わせた新しいものを作れ」との号令で始まりました。
—— その第1弾作品『クライムハンター 怒りの銃弾』【4】のプロデュースを担当されますが、どんなことを考えられたのでしょうか。
加藤:元々、『クライムハンター』は第1弾じゃなかったんです。
その前に1本、後に作られるVシネマ『ネオチンピラ 鉄砲玉ぴゅ~』【5】の前段階の話があって、これはのちに松竹で『泣きぼくろ』【6】のタイトルで映画化されましたが、それを先に制作する予定でした。
それが、クランクイン3日前に中止になり、『クライムハンター』が繰り上がったんです。
—— 『クライムハンター』も、並行して制作準備にはかかっていたのでしょうか。
加藤:そうです。これもまたいろいろな流れがありまして。
東映テレビ部で作品を手掛けられていた武居勝彦プロデューサー【7】から、脚本家の大川俊道さん【8】を紹介されたところからですね。大川さんは明治大学時代から自主映画を撮られていたんです。その作品をまとめた5分ぐらいのショートフィルムを見た武居さんが「彼にこういう映画を撮らせたら面白いんじゃないか」と。それで大川俊道さん監督で『クライムハンター』をやりたいという提案が、武居さん経由で僕のところに来たんです。
武居さんがプロデューサーを務めていたTVドラマ『ベイシティ刑事(ベイシティコップ)』【9】に大川さんは脚本家で参加していて、主演の一人が世良公則さん【10】。
その流れで、『クライムハンター』は武居さんがプロデュース、大川さんが脚本、主演が世良さんでスタートしました。
—— 『クライムハンター』は日本のガンアクションを変えた、ガンアクションムービーとして非常に気合の入った映画だと思います。きっかけになった大川さんの自主映画は、そういう毛色を持っていた作品だったのでしょうか?
加藤:そうです。やっぱりディティールをちゃんと描きたいという話がありました。
日本で拳銃とかガンを描くのは、現実的に生活の中にないのですごく難しいんです。
アメリカとは全然違いますから、そこをどうやって成立させるか。
それで、ある架空の都市の設定を作りだしたんですね。英語と日本語がちゃんぽんになっている、公用語が2つあるイメージで。
それくらいの設定にしないと、拳銃が使えない。拳銃が出てきたときに「おかしい」という話になると考えました。
当時、英語のセリフに日本語の字幕が付くっていうのも、一つのスタイルとして雰囲気を作っているようで。面白いなと思いながら制作していました。
—— 「Vシネマの市場はいけるな」という実感は、いつごろ感じられましたか?
加藤:まず一つは『クライムハンター』が出来上がったときに、「こういう作品が量産されるのって、すごく楽しい」と思ったのが一つありますね。
元々アクション映画大好き、理屈じゃないものが好きっていうところもあったので、それはすごく嬉しかったです。
もう一つは、Vシネマのキャンペーンに行った時に、レンタル屋さんの反響を見られた時です。
当時は日本各地に販売会社さんあって、そこからお声がけいただいてあちこち行かせてもらうことが多かったんです。Vシネマを持って役者さんを連れてキャンペーンに行って、メディアに出たり、レンタル屋さんと挨拶をして、役者さんがサインをしたり、写真を一緒に撮ったり。
最初の頃は、レンタル屋さんの方々がジャンパー姿だったのですが、何回かやっていくうちに、みんなスーツに変わっていくんですよ。
その当時、バブル期の最後ぐらいですか、一つの大きいビジネスを作ってそれに対してどんどんどんどん享受する人たちが増えていく様を見たときに、「(Vシネマのように)「仕組み」から始まる映像ビジネスは、そうそうあるもんじゃない」と感じました。
今でも、ビジネスもクリエイティブも自由度の高いものをどうやって成立させていくのかというのは、僕がこの商売をやっていくなかで、ものすごく高い位置を占めていると思います。
この二点は、すごく大きかったですね。
—— 東映Vシネマが切り込み隊長になり、他社もビデオオリジナル作品を続々と作り始め、80年代末から90年代初頭の映像文化の重要な一翼を担うまでに成長しました。急激に広がったVシネマという文化を、どのようにご覧になっていたのでしょうか?
加藤:さっき申し上げた通り、すごく元気が出たし、元気をあげられるし、元気なビジネスだったんです。
けれど、あっという間に玉石混淆なってしまった。それが僕の中ですごく残念でした。
もちろん、いろいろ作らせてもらって、いろんなことにチャレンジしましたが、結果的にビジネスとしてちゃんと成立していたのはほぼ2年間です。
その後は各社からものすごい量が出てしまって。何がどれだかよくわからないくらいの話になってしまった。
何とかしたくて、もっとエッジが立ったものをと、ダンスアクションムービーとか、いろいろやってみましたが、結果的に、「ハダカ」と「ヤクザ」という定型にしかならなかった、という感じです。
—— 若い方たちに「ビデオレンタル屋の棚」という表現がご理解いただけるのか既にわからないですが、加藤さんは以前、「どの棚に入れるのかを考えるのではなく、新しく棚を作るのだ」と仰っていました。
加藤:『クライムハンター』はすごく特殊なタイトルだったのですが、当時は洋画も邦画もあまり調子が良くない時期でした。
そんな中で、ビデオレンタル屋の洋画の棚に『ダイ・ハード』【11】というアメリカらしい胸をすくようなアクション映画が出た。そこでレンタル屋さんは、洋画と邦画の間に棚を作って『クライムハンター』を置いたんですよ。これが棚になる一つのきっかけ。『クライムハンター』ってタイトルが、Vシネマという新しい棚になり、そこで売り上げが立つようになる。
映画は「影を売る商売」とも言われるんですが、ビデオレンタル屋さんに対しては、テープを売るモノ売る商売だったっていうところが一つ面白いところで。
壁面だったり、下に平置きになっている場所をどう取るかなど、エリアをいかに開拓していくのかが、面白いことになっていました。
その「棚」という視点から、「どこにどういうお客さんがいて、どこに今不満をもっていて、こういうことをやるとこれに食いつくのでは?そういう計算をしてみよう」という、新しい企画を考えるときの話ができるようになったと僕は思います。
それは、それまでの映画のプロデューサーにはない、Vシネマをやらせていただいた我々が持つ、一つの資質かなというふうに思います。
その結果、「棚理論」として人に話すことが多くなったのですが(笑)。
—— 1996年の『超力戦隊オーレンジャー オーレVSカクレンジャー』【12】から『スーパー戦隊』シリーズ【13】のVシネマ版が始まりました。これはどうして始めようと思われたのですか?
加藤:僕は東映テレビ部の武居さんと一緒に作品を作っていたので、割とテレビ部そのものと関係が近かったのが一つあります。
それから、東映ビデオのビデオグラムの販売を、長期間安定して支えてくれていたのが、『仮面ライダー』シリーズ【14】、『スーパー戦隊』シリーズだったんです。それで、Vシネマにしてみたら、商売になるのでは?と考えました。
でも『仮面ライダー』は我々が手を出すのはなかなかハードルが高い。でも、『スーパー戦隊』は、当時の吉川進プロデューサー【15】が、シンプルに「やってみようよ」と言ってくれたんです。
最初は単純に『オーレンジャー』だけのスペシャルアクトという企画でしたが、当時吉川さんの下についていたプロデューサーの髙寺成紀さん【16】に、「テレビで見るのと同じだとつまらない。例えば昔の映画『マジンガーZ対デビルマン』【17】みたいなことはできないか?」という話をしたら、「提案してみましょう」と。結果、1つ前のシリーズだった『カクレンジャー』を出そうということになりました。。
それで、「VS」という形になり、『カクレンジャー』から赤と白を出すことになったのですが、今度はほかの出演者たちが「タダでもいいから自分も出たい!」という話になり、結局5人全員に出演してもらいました(笑)。
その時強く思ったのは、ある時期彼らが1年間掛けて作ったものを、我々も大事にしないといけない。ということです。
今は「10 YEARS シリーズ」【18】、そして「20 YEARS シリーズ」を仕掛けていますが、基本的にメンバーが1人でも欠けたらやらない。
変身後だけでもというような話もありましたが、メンバー全員の素面が出てこないのは、ウチではやらないからと断っています。
—— 加藤さんのお仕事の中から印象的な三つの作品に絞ってお話を伺います。2000年の『ブギーポップは笑わない』【19】は制作協力として前回お話に出ました黒澤満さん【20】のセントラル・アーツ【21】が入っています。加藤さんはどういう経緯で本作に参加されたのでしょうか?
加藤:要はVシネマが不振になり、単館でもいいから映画にしないとキャストも集まらない、売り上げも上がらないという状態になったんです。
だったら小さい映画を作ろうよという話をする中で、ジュヴナイル【22】はVシネマでは全く手をつけていないジャンルなので、これはいいんじゃないかと思ったんです。
勧められたり、一緒にやろうという話もいただいて、「これなら勝負できるな」と思ってスタートしました。
—— 『ブギーポップは笑わない』は、今で言う人気ライトノベルという感じですね。
加藤:当時もライトノベルと言われていました。「ジュヴナイル」と言ったのは、NHK少年ドラマシリーズ【23】のようなジュヴナイルドラマやジュヴナイル小説を浴びるように見て育ち、まだその脳みそでモノを作っている人間からすると、やはりジュヴナイルにはちょっとこだわりたいなと思っていて。
自分が映画であったりドラマであったり、映像作品によって自分の人生を変えられてきたように、「自分が作った作品で、みんなの人生をねじ曲げてやる」という気持ちでいつも作品を作っているんです。
だから「ジュヴナイルである」ということも含め、『ブギーポップは笑わない』はすごく大事に作りました。
—— ちょっと変わった作品ですが、2015年の『東京無国籍少女』【24】は押井守監督【25】とのご縁から受けたようなところがあるでしょうか?
加藤:一般の人たちが作品を送ってくる「ガン&アクション・ビデオ・コンテスト」【26】というのがあって、押井さんは最初の頃から審査員で、そのあとに僕も審査員で入っていました。2012年のコンテストに同名の作品があって、それを押井さんが気に入って、僕も「これは素晴らしいね」って話をしていたら、表彰式の壇上で押井さんが僕に向かって「これのリメイクやろうよ、加藤さん」と突然発言して。逃げられない状況になり、「酷いな」と思いながら笑顔で「やりましょう!」と(笑)
でも元々の『東京無国籍少女』【27】自体も非常にエンタテインメント性が強い作品だったのでリメイクしてみたいと思いましたし、「押井さんとガッツリ組めるのは面白いな」と思って始めました(笑)。
—— 2021年の『スーパー戦闘 純烈ジャー』【28】にエグゼクティブプロデューサーとして参加されていますが、これはどんな経緯だったのでしょうか。
加藤:「純烈」【29】自体が非常に我々に近しい人たちなんですよ。リーダーの酒井一圭さん【30】を含めて。
小田井涼平さん【31】も、モデルをやっているときにウチの宣伝部の忘年会に来たことがあったりとか。
酒井くんは『百獣戦隊ガオレンジャーVSスーパー戦隊』【32】や『忍風戦隊ハリケンジャーVSガオレンジャー』【33】をやったときに、こちらの企画を面白がってくれたし、こちらも彼らが面白くて、それ以降、本当に長い付き合いなんです。
彼とはいろいろな局面でお話をしていたんですが、その中で「ムード歌謡ってありだよな」という話を聞いたこともあって。本当にムード歌謡をやるとは思ってなかったから驚きましたね。
それで、『NHK紅白歌合戦』【34】が決まるか決まらないかという頃に、銭湯のおじちゃんおばちゃんに訴求してはいるけど、特撮出身者として「特撮ファンにも訴求できることをやりたい」「変身したい」という話が出て、「それじゃあやってみよう」と映画を制作することになったんです。
—— この作品も実は東映東京撮影所【35】所内での撮影が多いそうですね
加藤:本当にお金がないからロケに出づらくて、所内で相当やったようでした。
(作品制作が)難しいところに来ているんですよ。
東映ビデオは小さい映画を数多く作るのを得意にしていたのですが、コストがかかるようになってしまったんです。
最近で一番大きなのは、やはりコロナですね。コロナ対策で人を増やさなきゃいけない、撮影中に休みを入れて空気を入れ替えなきゃいけない。一つ局面が変わりました。でもこれは悪いことじゃないと思います。
良きものを良きように作るための一つの課題を我々が受け取ったわけなので。
前回も話したデジタル合成や特撮に関しても、ここ十数年あまり進んでいなかったことが進まざるを得なくなりました。
ロケーションに出られないのなら撮影所内でやるしかない。そうすると今度は、LEDウォール【36】を使って何ができるの?という話になる。バーチャルスタジオという形でどういうことをやっていけるのか、そうすると脚本の作り方も変わっていくし、役者から演出家の発想も変わってくるでしょう。
今、非常に大きい端境期が来ていると思います。
—— 長く映像制作の現場を見ていらっしゃった立場から、今後の映像制作の現場はどのようになっていくと感じられますか?あるいはどのようになっていくべきと思われますか?
加藤:スタートとしては多分二極化すると思います。
一つは大規模なデジタルを使ったもの。
それこそ押井守監督が昔から仰っていた、「いつか2Dと3Dの区別がなくなる」という感じで、実像と絵が混ざり合っていくだろうなと思います。
おそらく人間の顔自体もただの印、「アバター」でしかない。だからどこまで本当の人が本当にお芝居をしなきゃいけないの?というような状況になっていくようになるでしょう。
もう一つは、映像制作が多分「同人クラス」までいく。PCのデスクトップ上で全てのことが行われるということ、そしてよりプライベートな「作品」になると思うんです。
新海誠さん【37】も、1人でアニメを作っていたわけじゃないですか。それが今、もっと簡単にできるようになった。
YouTube上では同人的なそういう動きが増えています。どんどん自分でできることが増えてきて、仕上がりも物凄く良くなりました。なにより時間も短縮されてきている。アマチュアが作った作品が、大作ゲームのオープニング映像と比べても遜色ないものになってきていて、もう仕事としてできています。
この動きは進んで、クリエイターが増えていく。
物事全てのことが同人化していくみたいなことが、やすやすとあるだろうと思います。
だから、そういうことが起きることを予測して、誰とどれぐらいの時期に話をして、どういうものを武器として持ってその人たちと立ち向かい、「こういうことをやりませんか?」と提案できるところまでいけるかどうか?というのが大事になると思いますね。
—— 貴重なお話をありがとうございました。最後にメッセージをお願いします
加藤:実は就職活動で東映に落ちたのですが、「東映ビデオって会社があるんだけど」と紹介されたんです。
僕はTVドラマの『探偵物語』【38】が大好きで、エンドロールに「東映ビデオ」のクレジットが出ていたのを覚えていたので、「『探偵物語』を作った会社ですか?じゃあ行きます!」みたいないい加減なところから物事が始まって、なんだかんだで40年この商売をやってきました。
先ほど申し上げましたが、今、一つ大きな潮目が変わってきています。この先、この仕事に長く付き合っていくかどうかはわからないですが、そういうことに対応できる人材であったり、知恵だったり、少しでも残していければいいなと思って過ごしています。
一つでも楽しいものが増えるといいな、人生に対して楽しめるものが増えてよかったな、というものを提供していきたいですね。
ありがとうございました。