—— 日藝【1】の江古田、そして東映東京撮影所【2】の大泉と、練馬区と関わりが深いと思いますが、思い出の場所や好きなところなどありますか?
高野:大学が江古田にありましたし、演劇の稽古も基本的に西武線沿線周辺の石神井公園や練馬高野台などに行きました。
思い出深いお店は、江古田の「ふくふく食堂」というご飯屋さんです。大学生って腹が減るんですよ。どれだけ低価格で高カロリーが得られるかっていうことだけを考えている。ふくふく食堂は、ランチが(当時)650円とかで、ご飯の量も選べました。学生だけが選べる学盛というのがあって、普通、大盛、特盛のその上なんです。それで、そのお店に鬼のように通っていました(笑)。
店長がいるとよくしゃべっていたのですが、大学を卒業するときに万年筆をくれたんです。嬉しかったですね。
—— 高校時代に劇団を作られましたが、かなりハードルが高いのではないでしょうか。どうして劇団を作ろうと思ったのですか?
高野:演劇をやりたい人がいっぱいいる特殊な高校だったんです。神奈川総合高校【3】の普通科に通っていたのですが、単位制で自分で授業が選べるんです。その中に演劇の授業もあり、単位を取ることができたんです。演劇部も割と強かったりしたし、自分以外にも劇団として立ち上げて学校で活動してる人もいました。そういうところもあって、実はハードルは低かったんです。
—— 演劇部とは別に、劇団を作ったということですね。何人ぐらいで旗揚げされたのですか?
高野:それが、劇団と名乗りつつ、劇団員は1人も入れたことがなくて。プロデュース公演に近いです。
—— プロデュース公演の都度、作品に適した役者さんを集めて芝居をやる感じですか?
高野:そうです。最終的にたどり着いたのは、「人から薦められた人と一緒にやるのが一番いい」。不思議とそういうふうになりました。でも、本当に仲良くなった人とは、何度も一緒にやりましたね。
—— 同じ事務所の高橋悠也さん【4】の『LUPIN THE IIIRD 次元大介の墓標』【5】を見たときに、キャラがすごく立っていて、舞台出身の方が、役者を立てる書き方に近いなと感じました。舞台経験は書き方に特徴が出るように思います。
高野:本当にその通りです。高校のときから、舞台は友達と一緒にやっていましたが、(出演するからには)みんなに楽しくやってほしいし、出て良かったと思ってほしい。そうなると、出した人全員に見せ場が欲しい。それが10人くらいになると10人分全部分けなきゃいけない。なので、役者を立てる書き方を常にやっていました。これは演劇の経験です。
キャラクターを立てるのは、自然とやらなきゃいけないという強迫観念みたいなものがベースにあります。
—— 何故、日藝の演劇学科に進学したのですか?
高野:僕は中学生の頃から三谷幸喜さん【6】が大好きだったんです。中学校の時には「三谷さんと同じところに行きたい」と思っていて、大学は日藝に行くと決めていました。それだけで、日藝演劇学科の劇作コースに入った感じです。
今はコースの名前が違いますが(現・舞台構想コース劇作専攻)、三谷さんの頃も別の名前だったんです。でも、とにかく劇作専攻だったのは知っていたので、同じコースに行きたいと思って、演劇学科の劇作コースにしました。
三谷さんは小中学校の頃から好きで、『ラヂオの時間』【7】とか大好きだったし、父親と母親も映画が大好きでいろいろ見せてもらっていました。
中学校のときに脚本を初めて書いたのですが、どうしようかなと思って「学級裁判の話がいいんだ」みたいなことを話していたら、父親からまずこれをと見せられたのが『十二人の怒れる男』【8】という名作映画。その後に見せられたのが三谷さん脚本の『12人の優しい日本人』【9】で、とても面白かった。これをパクらせていただいて、人生で初めて書いたのが、『12人のイカれた中学生』という脚本なんです(笑)。
やはり三谷さんには影響を受けています。
—— 日藝での劇作コースの授業は、座学なのか実技なのか、演劇についてどういうふうに学びを得るのでしょうか?
高野:基本的には座学もありますが、「映画を見ろ」と言われて何かまとめるとか、「脚本書いてきてね」と言われて、短編の脚本を書くというのもありました。
実技だと「舞台総合実習」というのがあって、いろんなコースの人たちが集まって先生の指示のもと、1本作品を作ることもありました。でも僕は基本的にそのほぼ全てに馴染めず、基本1人で勝手にやっている感じでした。
僕は『キングオージャー』【10】を書く人間だから、「どエンタメ」の人間なんです。三谷幸喜さんが大好きでコメディとかを書く本当に直球のエンタメ人間(笑)。
エンタメの人間を、演劇学科っていうのは歓迎しない、あまり評価してくれないんです。
—— 学校の方向とはまた別に、自分で書いて舞台を作ってということを積み重ねて、経験を積まれたという感じですか?
高野:「自分でやる」が基本です。「現場で」というと格好良い言い方ですが、ひたすら自分でやるという感じでした。その経験は間違いなく今も生きています。
だからこそ、書いているときも「このセリフだけだとつまらないかな?」とか、「こういうシーンを書くと撮影大変かな?」みたいなことを考える癖がついているのは、間違いなく演劇の現場でいろいろな経験を積んだというのがありますね。
—— 高野さんは、どういうきっかけで映像の脚本の道に入られたのですか?
高野:演劇は物語を作品にする上で、実はめちゃくちゃコスパが良い。
僕は基本的にはアニメが好きだし、漫画が好きだし、映画が好きですが、例えば映画を作ろうとすると、自主制作で海辺に佇んで喋っているだけの映画でも100万円とか掛かったりします。
でも演劇なら、「ここは宇宙!」と言ったらステージが“宇宙”になる(笑)。だから、書くものの幅が実はすごく広くて、何でも書けるんです。
結果的に、コストパフォーマンスも考えて演劇をやっていたんです。あと、僕は皆で作るのが好きだったので。
僕の大学の後輩のお母さんの友達が、今の事務所のマネージャーの高野さんで、大学卒業のときにやった演劇公演の直前に、たまたま(映像脚本の)新人を探していらして、連絡をいただいたんです。「ちょうど公演がある」と話したら見に来ていただけて、それがきっかけで事務所に入ることになりました。
映像をやりたかった僕としては望んでいた道だったので、本当に運が良かったです。願ったり叶ったりでありがたい限りでした。
明日の勇気につながる1作高野水登さんのおススメ!
『マッドマックス 怒りのデス・ロード』
(2015年/オーストラリア・アメリカ/監督:ジョージ・ミラー/脚本:ジョージ・ミラー、ブレンダン・マッカーシー、ニコ・ラサウリス/出演:トム・ハーディ、シャーリーズ・セロン、ニコラス・ホルト、ヒュー・キース・バーン ほか)
石油も、そして水も尽きかけ荒廃した世界。愛する家族を守れなかったトラウマを抱え、本能だけで生きながらえている元・警官マックスは、資源を独占し、恐怖と暴力で民衆を支配する独裁者イモータン・ジョーの軍団に捕われてしまう。
高野:大好きな映画です。
でも「明日の勇気につながる」なんてお題が出てくる時点で、今の日本の人たちは、疲れているどころか、ちょっと世界に絶望していると僕は思っているんです。
ビジュアルを見ると、とても信じられないかもしれませんが、今の日本だと思ってみるとすごく沁みると思うんです。絶望の中でも、それでもクサらずに生きるんだ!という力をもらえます。
本当に勇気が湧く、普遍的でピュアなメッセージが込められた素晴らしい作品です。映画としても完璧だと思いますので、ぜひ!