—— 古川さんは練馬区とかなり縁が深いとお伺いしました。まず高校が、練馬区貫井の都立第四商業高等学校【1】。そこで、演劇に出会われたそうですね。
古川:演劇部に何気なく入ったんですけれども、演劇部の課外活動のように、皆でお芝居を見に行くわけです。そのときに舞台を見て、「舞台劇、舞台俳優って面白そうだな」と思い始めたきっかけですね。
—— その演劇に魅せられ、日本大学芸術学部【2】の演劇学科に進学されました。「殺陣同志会【3】」というサークルに入られたそうですね。
古川:キャンパスの中で殺陣同志会の人たちが立ち回りを稽古していて、それがかっこいいんですよ。でも、入会したら大変で、もう地獄のような特訓がありましたね。
大学にいる間はずっと、とにかく勉強よりも熱心にやりました。殺陣を自分でつけることができるから、みんな本格的に玄人的な感じでやっていましたね。刀、槍、薙刀も小太刀も鎖鎌まで、何でも一応一通りあるんです。芝居もやりますし、殺陣だけの構成殺陣って言って構成をしてやる場合もありました。
—— 大学を中退されて、「劇団現代」に入られます。
古川:(日藝の)卒業公演という時期に、舞台稽古の日だったと思うんですが、学校に行ってみたらキャンパスが机だとか有刺鉄線とかのバリケードでロックアウトされていて全然入れなくなっていたんです。学園紛争が激しすぎたんですよ。半年間ぐらい揉めに揉めて、「卒業証書を取得するためには、紛争が収束した後、半年通わなければならない」と。結局4年半通わなきゃならないということになったんです。ただ「4年間の学費と生活費は面倒見るけど、そこから先は自分で食っていけ」という厳しい親だったので、とにかく働かなきゃならない。だったらもう「劇団に入ってしまおう」とそのまま。中田浩二さん【4】が青年座を抜けてから作られた「劇団現代」の第1期生の募集に応募したんです。今は「櫂」という劇団になっています。
—— ここからは古川さんの数多くの出演作の中から、練馬区にゆかりの深い漫画家さんが原作の作品についてうかがいます。
NETFLIXで配信中。《手塚治虫さん【6】の『鉄腕アトム』【7】の代表的なエピソード「地上最大のロボット」をベースに、浦沢直樹さん【8】によってリブートされた漫画が原作。古川さんは、お茶の水博士を演じる》
—— お茶の水博士役のオファーを、どのように感じられたのでしょうか?
古川:一応、オーディションは受けたのですが、丸山正雄さん【9】は最初から予定してくださったそうです。「この歳で老け役をやらなかったら、老け役をやらずに死ぬぞ」みたいに感じていたので、ちょっと嬉しかったですね。
お茶の水博士は有名なキャラだし、それ自体は嬉しいのだけど、前に演じている人(勝田久さん【10】)がいるし、どうなのかな?みたいなことも思ったのですが、全然ビジュアルが違ったので安心しました。
丸山正雄さんは大プロデューサーで、本当に若い頃からお世話になっていて、いつも声をかけてくださるんです。恩人ですね。
丸山さんからは、「なにか優しさのようなものを、とにかく出してくれれば」というようなことを最初に言われました。
—— 収録中のことで特に印象的に覚えていることなどはありますか?
古川:犬のロボットを修理するシーンがあるのですが、音響監督の三間(雅文)さん【11】が(ブースの)中に入ってこられて、「古川さんはこの犬のことをロボットだと思っていませんか?」とおっしゃるんです。「これを生きた犬、古川さんが飼ってらっしゃるワンちゃんだと思って演じてください」と、レクチャーを受けたんです。この時はちょっとびっくりしましたね。そんな自明のことを今更言われてしまっている自分に驚いたんです。なるほどと思って、泣いてしまうのは駄目だから、泣くのをこらえている芝居を入れようと思い、嗚咽のようなものをひゅっと入れたらOKが出たんです。
「この歳になってこんな根源的なダメ出しをされるのか」と非常に衝撃的でした。悔しかったし恥ずかしかったです。でも、「すごい音響監督さんに出会ったな。これで良い現場になるだろう」そういう感じがしました。
《練馬区で活動されている漫画家・ゆうきまさみさん【13】が原作者集団・ヘッドギア【14】の1人で、漫画版も手掛ける。OVA一作目が1988年に発売されて以降、劇場版、TVシリーズなどを展開。現在も新作が作られている息の長い作品》
—— この作品の主人公・篠原遊馬を古川さんが演じられています。古川さんにとってパトレイバーはどんな存在でしょうか?
古川:大好きな作品です。とにかく若き才能集団・ヘッドギアなくしては生まれなかったであろうことは間違いないでしょう。『ガンダム』【15】もそうですけれども、アニメが「テレビまんが」というような言われ方でスタートした『アトム』など対象として子供が見るものという時代から、大人も含めた幅広いジェネレーションの鑑賞に耐えうるようなコンテンツの時代へと突入していく先駆けになったような作品の一つかなと思います。
—— 特車二課第2小隊【16】の面々、冨永みーなさん【17】の泉野明をはじめ、演じている皆さんのチーム感がとても楽しそうでした。どんな現場だったのでしょうか。
古川:特車二課の日常、事件が起きていないのんびりしたときですね、あの日常を再現したような現場でした。そのまんまですよ。個性的な声優揃いでしたしね。とにかく楽しい収録でした。あのキャラクターがみんな揃っているという印象で面白かったですね。スタジオ収録は楽しかったです。
とにかく個性が強い、演技の質も全く違うバラバラな人、全然違う演技論の方たちが集まっている、ごった煮のような感じでした。だから勉強にもなりましたね。なるべく自分でやれ!というような感じで、「篠原遊馬というのは古川遊馬か篠原登志夫か、自分とない交ぜにして自分自身が喋ってるような感じで良い」というような風潮でした。「なるべくアニメのセリフのようでなく、普通に自然に喋ろう」というような、暗黙の了解みたいなものがありました。
—— 先ほど「好きな作品です」とおっしゃられましたが、パトレイバーのどんなとこがお好きですか?
古川:例えば作品全体に繋がる世界観としては、言葉の編み方、セリフの編み方が面白い。非常に純文学的な文脈だったり、それと全く対極にある、もっと一般的な軽い表現が綯い交ぜになって、それが惜しげもなくどんどんどんどん繰り出されてくる。僕はその言葉遊びのようなところが面白かったですね。伊藤(和典)さん【18】の脚本も本当に秀逸で、本編の映画【19】は特にそうでした。
《高橋留美子【21】さんによる同名漫画が原作。1981年からTVシリーズが放送され空前の大ヒット。シリーズは4年半続き、その後も劇場版、OVAと制作され続けた。2023年からは再アニメ化もされている》
—— 古川さんは、主人公・諸星あたる役を演じていますが、演じる側として当時の大ヒットをどのように感じたのでしょうか?
古川:手応えというのか、ファンレターがものすごい数来るようになったのと、スタジオの出待ち入り待ちの女子高生の皆さんの数がものすごくて、これは何だ?とびっくりしました。スタジオからスタジオに移動するときは僕らは電車で移動していましたし、ファンの子たちも一緒に電車に乗り込んでくるんですよ。それで話をしながらスタジオに行ったりとか、終わったら台本をその子たちにあげちゃったりとか。今思うとそれとんでもないですけど、そんな時代でした。だからすごい反響というのは、そういった風景を見ていて実感しましたね。
—— 高橋留美子先生のお名前とともに大きく育った作品である一方で、押井守監督【22】のお名前もこの作品から急激にクローズアップされました。特に劇場版『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』【23】で、内外に印象づけられたと思いますが、押井守監督の演出にどんな印象をお持ちでしょうか?
古川:エンターテインメントとしてのアニメという媒体ということを、押井監督はいつも探っていてよく知り尽くしていたし、そのアニメの面白さみたいなものを見事に開花させた監督という印象がありますね。新しさみたいなのをいつも追いかけている感じだったと思います。独特の世界観ですよね。『ビューティフル・ドリーマー』は特にそうですけれども、誰にでもある原点、高校時代の例えば学園祭前夜のような話ですよね。そういうもので多くの人に共感を受けたんじゃないでしょうか。
—— 高橋先生からいただいたお言葉などで、覚えてらっしゃることってありますか?
古川:これはもう何度も話していますが、『うる星やつら』が始まったときに、「諸星あたるの声ぐらい合ってない声はない。あんなものは降ろせ」みたいな話や手紙がたくさんいっぱい来たんです。そんな感じだったときに、あるアニメ雑誌で留美子先生が「『うる星やつら』の声優陣はみんなピタッと合っている。とりわけ諸星あたるの古川さんが良いですよ」みたいなことを書いてくださったんです。そうしたら、そういう手紙が来なくなって。それがなかったら実際に降ろされていた可能性もある、ちょっと覚悟していたような時だったので、そういう留美子先生の優しさみたいなものが染みましたね。
—— 現在放送中の再アニメ化では、諸星あたるの父役を担当されていますが、大事にしていること、意識していることはありますか?
古川:(オリジナル版であたるの父を演じた)緒方賢一さん【24】のあの芝居が僕は大好きなんです。真似してもできるものではなく、あの味は出せないし、似せていると言われたらむしろ負けるに決まっているわけで、「似せないでやろう」と。これはルパン【25】の時と同じスタンスですね。古川登志夫の「ルパン」でいい。古川登志夫の「父」でいい。というような感じで、今は演じています。
—— ありがとうございました。古川さんの今後の活動についてお伺いできればと思いますがいかがでしょうか?
古川:そうですね。これまでやりたい役はほとんどやらせていただいてきたという感じもしますし、そうした仕事は今後ももちろんオファーがある限りやり続けていくと思います。
日本のポップカルチャーコンテンツというのが、世界中で高い評価を得て、それをコンセプトにした海外コンベンションもたくさん行われています。それに僕たちもゲストとして呼ばれることがかなり頻繁にあるんです。スケジュール的になかなか行けないのですが、今年はどこかに行ってみたいなと思います。そうした異文化交流とか、文化の架け橋というのか、ソフトパワー外交的なという大げさな言い方をする方もいらっしゃいますが、そんなことの一翼になるような仕事がやれたらいいかな。というような思いもあります。
あとは青二塾の塾長みたいなことを担当させられておりますので、そちらでの後進の育成も、本業以外としては、やっていけたらなと思っております。
—— 短い時間でしたが、濃い話をありがとうございました。最後に、本日の感想なども含めご挨拶いただけますでしょうか
古川:1回目のときも言いましたけれども、こんな丁寧な取材をしていただいて本当に感謝です。「わが青春のメモリアル的な場所」なんて言いましたけれども、そういった練馬という地域に根ざしたアニメ文化の開花も嬉しいですね。イベントなどでこちらの関係で参加させていただけたらと願っております。
聞いてくださった皆さん、そしてこのコンテンツの関係者の皆さん、スタッフの皆さん、本当にありがとうございました。