—— 『うる星やつら』【1】で演じたラム【2】は、宇宙人ですが高校生でした。平野さんはどのような高校生生活をおくられたのでしょうか?
平野:小学校の頃から子ども向けのドラマなどに出ていましたので、学校が終わってから仕事場に行くのがいわゆる稽古事をするような感じでした。それがごく自然に自分の日課になっていましたので、高校に入ってラジオDJのお仕事をしている時もそれが普通でしたね。
ただ非常にありがたかったのは、高校の友達たちが特別視をしないで普通に付き合ってくれたんです。
仕事は仕事で、学校にいるときは普通のクラスメイトっていう。そんな同級生たちだったので、学校には勉強しに行くってよりも友達に会いにっていうような、いい高校でしたね。
都立校で男女共学、当時は練馬区、杉並区、中野区という三つの区の中学校から受けられるというシステムでした。
だから、家も近くて仲間と家同士で行き来することもありました。
『うる星やつら』に出てくるようなハチャメチャではありませんが、勉強はするけど遊びもかなり本気でやっていたような高校生活だったと思います。
高校3年生のときだったんですけど、男子サッカー部が「文化祭で一番最後に思い出を作りたい。『国定忠治』【3】をやりたい」と言い出したんです。私は当時児童劇団にいましたので台本とか頼まれたんですよ。
それで、児童劇団の先生を放課後に呼んで、文化祭用の稽古をして、NHKから衣装まで借りて、本格的にやりました(笑)。そうしたらちょっと目に触れたらしくて、今でいう夕方のテレビのワイド番組とかNHKの若者たちの番組とかで、彼らがその芝居を披露したって紹介されたこともありました。そういう意味では遊びの究極を高校で体験したってことですね。
『うる星やつら』と比べると遊びの質はちょっと違うかもしれませんが、かなり楽しいことをしていた記憶があって、今でも思い出すと大学の友達よりも高校の友人たちの方がいわゆる密でした。今でも付き合いがありますので。
『うる星やつら』のような高校生活が舞台っていうのは、それまでになかった作品でしたね。
それまでは『ドラえもん』【4】とか『アラレちゃん』【5】とか、子どもを対象にしたようなアニメーションだったのが、初めて高校生活が舞台で、SF的で、何でもありの、本当に新しいアニメだったのかなと感じますね。
—— 声優としてラム役が最初のお仕事と伺いました。そのきっかけは?
平野:ラジオのDJをやっていると、どうしても深夜放送をやりたくなるんです。ですので大学を卒業したときに深夜放送のオーディションを受けて、深夜の生放送をずっとやっていました。
それである時「文さん、アニメの声をやったらどうですか?」という葉書をいただいたんです。
深夜放送って受験生向けだから、「〇〇君、頑張って!」を、「看護婦さん風に言ってください」とか「新妻風に言ってください」とか、声のリクエストが来るんですよ(笑)。それに応えてたらそんなコーナーができちゃったんです。それを聴いていた方が、ひょっとしたらプロデューサー的な感覚で勧めてくださったのかな。
それで何かできるかもしれないなと思って、初めて受けたオーディションが『うる星やつら』の「ラムちゃん」だったんです。
—— 初めてのオーディションで主役に抜擢されるのは、なかなか難しいのでは?
平野:本人もそれは思っていました(笑)。とにかくアニメのオーディションを受けてみたいので何かあったらお願いしますとマネージャーに頼んでいたら、来た話でした。
とにかく受けることができるっていう楽しさの方が先行していて、そこで受かろうとか、その役をもらいたいとか、そういう気持ちはあまりなかったですね。
オーディションは、漫画の原作を渡されて「吹き出しを読んでください」というものだったんです。まだ絵も何もできていなかったので。A4で2枚ぐらいだったかなと思うんですけど、それを読みました。
—— ラムちゃん役に決まったときの心境はどんな感じだったんでしょうか?
平野:「ああ、受かったんだ」っていう、飛び上がって喜ぶようなことはなかったですね。
今までもいろんな仕事をしてきましたから、「そういう仕事の一つなんだ」というような、いつも通りの気持ちだったのではないかなと思います。
それで関係者の皆様に会いに行ったら「このアニメは当たるからね」とフジテレビの人がおっしゃって、それに対しても「そうなんだ」という感じでした。きっと怖いもの知らずだったんじゃないでしょうかね。
—— 初めて声優のお仕事をされる中で、大変だったことはありますか?
平野:それまでにラジオドラマや人形劇の声などもやっていたのですが、とても救われたのはチェリー/錯乱坊(さくらんぼう)役の永井一郎さん【6】とずっと仕事をご一緒していたことです。
私がスタジオに入ったら、永井さんが「おお、文。今度はお前さんかぁ!」とおっしゃってくださって。「声優としては新人だけど、このコをよろしく頼むね」と、永井さんから皆様に紹介していただいたところがありましたので、ずいぶん助けられたと思います。
他の出演者の方は、仕事に対して非常に真摯な方が多かったので、いい意味で緊張感のあるスタジオの雰囲気でしたね。
初めてゲストでいらっしゃる方々には、初めに私の方からご挨拶にいきました。
野沢雅子さん【7】が金太郎の役でいらしたときも、ご挨拶に行って「よろしくお願い致します」と言ったら、野沢さんが「うん、わかった!」と。私も昔から知ってますから、「この声だ!」と(笑)。
そういうようなやり取りなども覚えています。
—— 高校が舞台のお話ですけが、ご自身の高校時代の経験が活きたようなところはありますか?
平野:メガネさん【8】たち男同士のやり取りは、中学とか高校のときに必ずあるようなシーンでしたし、あとは買い食いですね、「私もやったやったやった!」というような。だから、自分の中の体験したことの中での1ページ、1ページっていうのが時折ポンと出てきて、「これだからわかるわ~」というようなシーンはずいぶんありましたね。
当時のファンの方は、中学生、高校生、大学生、いわゆる制服を着ている前後の世代の方がほとんどでした。
だからみんな、やっぱりこういうのに共感するんだろうなと感じていました。
—— その中のヒロイン・ラムを演じるにあたって、ラムを演じるからこそ大事にしたところはありますか?
平野:私たぶんマイペースなんですよ。『うる星やつら』をやることになっても、この役だからこうしなきゃいけないとか、良い意味でも悪い意味でも重圧感というのがなくて。
そして、野沢雅子さんもおっしゃっていましたけど、絵を見たら「この絵のコはこんな声なんだろうな」というのが、フっと出てくるんですよ。ラムちゃんが動いてれば、自然に自分の感情がついてくるんです。
また、共演者がベテランの方たちばかりだったのも大きいと思います。
私が絵に向き合って縦方向で演技をしていると、横に立っていらっしゃる方たちが、ちゃんと横からもボールを投げてくださるんです。
隣にいつも古川登志夫さん【9】がいらして、こっちの隣には神谷明さん【10】や千葉繁さん【11】がいらして、ベテランの方たちがものすごく良い演技を横でなさるんです。
横からの良いボールがどんどん来るものだから、それを受け止めなきゃ、受け取らなきゃって、どんどん自分を上げていただいていたっていうのがありました。
上手な方たちと一緒に演じていると、下手でも腕が上がってくるんですよね。今思うと、それで非常に助けていただいたところがあります。
それと、一番尽力いただいたのは、音響監督【12】さんです。
アニメーションには、音楽なりSEなり私たち声に関しての一切を受け持ってくださる音響監督さんがいらっしゃいます。『うる星やつら』は斯波重治さん【13】がご担当くださってました。
古川登志夫さんも新人の頃から見いだして育てて、千葉繁さんもそうですね。ポテンシャルがある方をグっと引き上げて、トップに持っていくことが自然にできる音響監督さんです。その当時はわかっておりませんでしたが。
そういう音響監督さんもいらしたおかげで、何のストレスもなくのびのびとやらせていただいていたんだろうなあと、感謝しかありません。
—— 放送が始まると、すごく反響があったのではないでしょうか
平野:まず、『うる星やつら』のファンレターは事務所に郵袋(ゆうたい)で届いていました。郵便の大きな袋でドンっと来るんですよ。私はラジオの経験があるから全部拝読させていただいて、返事を書けるものは書こうというつもりでおりました。
またスタジオの収録では、どこでどうやって調べるのか、終わったらうわーって皆さんお待ちなんですよ。でも我々に声をかけるでもなく、サインをねだるでもなく、花道が出来ていて「お疲れ様でした」みたいに帰していただくというような。
やっぱりその高校生ぐらいの男子たちが一番多くて。ウチにも紙袋一つ持って「結婚してください」っていらしたこともありました(笑)。
—— 『うる星やつら』は4年半にわたって放送がありましたが、長く続く作品の主役を演じ続けたことを今はどのように感じてますか?
平野:半年に1枚アルバムを出すとか、年に一度コンサートをするとか、そのようなのことをやるは今でこそ当たり前ですけれども、おそらく『うる星やつら』が、はしりだったと思うんです。
コンサートでは、武道館がいっぱいになるんですよ。でもそれは平野文じゃなくて、「ラムちゃん」に会いに来てる人たちなんだと。この人たちに対してはちゃんとしなきゃっていう思いがありましたね。プライベートでも変なことをしてはいけないとか、ラムちゃんを傷つけるような信用を失うことはしてはいけないという自覚はありました。
レコード会社の担当の方と地方のキャンペーンに行った時に、ご自身のウエストポーチを指して、「これはね、中に300万円入ってるの。もし何かの関係で東京に帰れなかったとき、これでヘリを頼んで文を東京に帰すためのお金なんだ」とおっしゃるんです。
それだけ大事にされているラムちゃんは凄いんだなと。気をつけなきゃ、ちゃんとしなきゃと、強く思いました。
—— ラムちゃんの役を4年半で終わることになったときのお気持ちは、どんな感じだったんでしょうか?
平野:終わったらつまらないな、と思いました。
仲が良かった杉山佳寿子さん【14】とか古川さんたちと会えなくなる。4年半、毎週土曜日の朝10時から同じスタジオに行って、斯波さんたちと一緒に収録していましたので、それがなくなるってことに対して、つまらないなというのが一番強かったですね。高校を卒業するときと同じです。
「またいつかできたらいいな」と思いつつも、つまらないなという思いでした。
—— 放送終了の2年後に劇場版5作目が、その後も6作目の映画やOVAが2010年まで断続的に作られましたが、それはどのようにお感じになりましたか?
平野:もうなんか同窓会の雰囲気ですよね。「また会えたっちゃ」という感じの(笑)。
やっぱり嬉しいのは、皆さんのお声が変わらないことです。絵が出てきた途端にその声で皆さん演じられているというのは、何かスイッチがパーンと切り替わるんですよ。やっぱり声ってすごいんだなと思いました。
本当にすごい方たちと4年半もご一緒できていたんだということを、改めて痛感しました。
—— 結果的にラム役を40年近く演じてこられましたが、改めてラムという役は平野さんにとってどんな存在でしょうか?
平野:「決して裏切ってはいけないもの」です。
今でも当時のことを言ってくださる方とか、「ラムちゃん見てました」という方にお仕事をいただいたりする年代になりました。そうすると、やっぱり自分の中でちゃんとしててよかったなって。
高橋留美子先生【15】に対してもそうですし、ラムちゃんに対しても、それからその関わってくださった方たち全員に対しても、絶対的に裏切ってはいけない、そういう存在ではないかなと思っています。
明日の勇気につながる1作平野文さんのおススメ!
『プリティ・ウーマン』
(1990年/アメリカ/監督:ゲイリー・マーシャル/出演:リチャード・ギア、ジュリア・ロバーツ ほか)
ウォール街きっての実業家・ルイス。商談に訪れたロサンゼルスで、気まぐれに一週間のアシスタント契約を結んだのは、コールガールのビビアンだった!
平野:私なりに「こういうことがあるなら頑張れるかもしれない」と感じたのが『プリティ・ウーマン』。ジュリア・ロバーツとリチャード・ギアの、いわゆる現代版シンデレラストーリーです。
この2人のやり取りも好きなんですけれど、ルイスがビビアンと泊まるビバリーヒルズの超高級ホテルの支配人・バーニーがとても良いんです。
ヘクター・エリゾンドさんが演じるバーニーが、コールガールからすごく綺麗になろうとするビビアンを、要所要所で何気なく手助けするんですよ。テーブルマナーを教えてあげたり、お洋服を買いに行くとき、裏でブティックに電話をいれておいたり。
人生の中で、ひょっとしたら私達にもそうやって助けてくれる人がいるんだろうなって。
そこがこの映画で一番好きなところなんです。
エレガントな中でも人間的にふっと手助けをするっていうことを、とても洒落たセンスで演じていらっしゃいます。
ストーリーの主役だけではなく、支配人・バーニーの姿もぜひ見ていただきたいなと思います。