—— どのような経緯で京都撮影所【1】に所属しながら、東京撮影所【2】での作品にも参加するようになったのですか?
橋本:『忍風戦隊ハリケンジャー』【3】が最初ですね。これは、『科捜研の女』【4】に携わっていたプロデューサーが『ハリケンジャー』にも携わっていて、そのご縁で「ちょっとやってみませんか?」と声を掛けていただきました。この手の作品はどっちかというと好きだったので、「面白そうだ。是非」と参加したんです。「スゴイ世界だな」と思いながら撮っていましたね(笑)。
その後が、『相棒』【5】の第2シーズンです。これも京都で別のミステリー物でご一緒したプロデューサーから声を掛けてもらいました。
最初はお試しで1本だけ。その後、1シーズンだけお休みをいただきましたが、コンスタントに続けて呼んでいただいています。
—— 京都と東京、仕事のやり方などの違いはありましたか
橋本:一番違っていたのは、スタッフですね。
京都では、東映京都撮影所以外では仕事をしていない人が多かったのですが、東京は他で仕事をしている人が多く、同じチームが撮影所の中で歩いていて「また会ったね!」なんてことはあまりなかったです。
それから京都では、撮影所からの集合・出発が基本なんですよ。
東京の場合は、新宿だったり渋谷だったりに集合して、解散も新宿や渋谷って感じで。
京都では撮影所で支度をしてバスに乗って出発して、撮影が終わったら撮影所に戻って来るので、撮影所にベースがある。
東京は撮影所に司令塔があるけれど、実際にはいろんなところから集まって来る。
そこが、全然違うところだと思います。
—— 東映東京撮影所に通っていることの、練馬の思い出はありますか?
橋本:京都から東京に来ている時って、ほぼほぼ大泉学園なんですよ。大泉にある東映の寮に泊まっていて、そこから新宿や渋谷の集合に行っていたので、やはり大泉学園界隈ということになりますね(笑)
—— ドラマ『相棒』にはseason2から参加され、season15からずっとパイロット【6】を担当されています。特に大事にしていることはありますか?
橋本:これは初めて参加したときに、プロデューサーの方に「どんな感じなんですか?どんなふうにしてたらいいでしょう?」って尋ねたんです。
その時に言われたのが、「何していただいても結構です。ともかく2人が魅力的だったら、どんなことがあっても結構。ともかく、このコンビが際立つ面白い話、撮り方であれば、どんなことでも結構ですから、何の遠慮もいりません」ということでした。
すごく楽な気分で始めたのを覚えています。そのことは、今も忘れないようにしていますね。
—— 劇場版も2本を担当されていますが、テレビと違うところはありますか?
橋本:僕はテレビの劇場版は結構多いんですけれども、やっぱりテレビのお客さんを裏切っちゃいけないっていう部分もあります。かといって、初めて見るお客さんもやっぱり取り込んでいきたいし、観ていただきたいってのもある。
ここを1から説明するわけにもいかないけれども、初めて見るお客さんには「こういう世界でこういう人なんです」っていうのを伝えなきゃいけない。
そこのバランス感は、すごく気遣うところで難しいですね。
—— 『探偵はBARにいる』【7】も、非常に評価が高い作品です。本作を監督することになった経緯は?
橋本:『相棒』で最初に声をかけてくださったプロデューサーの方から、「こういう映画をやってみたいんだけど」って言われて、それで「やりたいです!」って(笑)。
北海道が舞台の探偵ものですが、北海道に行ったこともなかったので、すごくワクワクしながら準備から進めました。
ハードボイルド。それでアクションもあり、バイオレンスもあり、ちょっとエロティックな部分もあるみたいな。この映画の主役が大泉洋さん【8】であるっていうところが、これをどうするかっていうところが、勝負所だったと思うんですよね。
初めて大泉さんにお会いしたときに、サービス精神旺盛なコミカルな方であると同時に、根はやっぱり非常にハードルボイルドな方だなと。
こっちもそのつもりで「かっこいいです!かっこいいです!」って言いながら撮っていたのが、すごく思い出深いです。
—— 松田龍平さん【9】とのコンビがすごく良かったですね
橋本:あれがね、最初のイメージと全然違ったんですよ。
もっと多弁なっていうか、ペラペラ喋って掛け合いがちゃんとうまくやれるイメージっていうので始まったんです。初日に初めて2人が掛け合いしたら、まぁ、かみ合わないんですよ。見事に。これが面白くって(笑)。「これだよ!」って話になって、ポンポン行くよりもこの間のずれ方っていうか、ペラペラ喋る大泉さんと、ワンテンポ遅れて返事する松田さんの面白さは絶妙だった。
これはね、なかなか字面で思いつかないテンポだなと思って。実際2人が顔を合わせて1枚掛け合わせてみてこそ何か生まれた感じだなあと思いましたけれども。
—— 監督の作品では、物語冒頭で既にいなかったりとか、最初の方でいなくなった方たちの思いが、後半で沸き上がってくる作品が多いように思えます。
橋本:特に意識しているわけじゃないですけど、映画ってばっちり顔が出てない人こそ大事だっていうのは、常になんとなく僕の中ではありますね。年を取れば取るほどそういうふうになっていくわけですから。
別れがあった事によって、そういう人たちへの想いにとらわれながら生きていくっていうのは、すごく人間としての性根の部分というか、本質の部分だと思うんです。
死んでしまった人とか、いなくなっちゃった人への想いが、最後にそれがバーッと、全キャラクターはそれに向かって動いてたんだなっていうのがほどける瞬間って、なんかすごく気持ちがいいというか、共感もしやすいっていう感じがするんですよね。
「あいつの想いを今、彼は晴らしたのね」とか「彼はそれを受け止めたんだね」っていうのって、すごく映画的というか人間的な話になってるんじゃないかなとは思います。やっぱりそういう映画に僕も弱いっていうかなんか、こう共感してしまいます。
特に『臨場』【10】というドラマは、「死ぬと本当に物になっちゃう。でもそれは肉体としてであって、心は残していくべきだし残っていく」というテーマにすごく乗れましたし、そこに向かって僕らもドラマを作っていきました。
本当に僕らも死んじゃったら燃やされて終わりなので、どっかで残ってくれると嬉しいじゃないですか。
だから、亡くなるってこの世からいなくなるってちょっと寂しいですけど、でも、僕が作ったものはちゃんと残ってくれる。前回『七人の侍』【11】ってタイトルを出しましたけど、何年前の映画ですかっていう話ですよね。
それが、今も不変のパワーを持って、新しい世代たちが見て、何か感銘を受けるっていうのは良いことだし素晴らしいことだし、やっぱり人間ってそういうものなのかなと。
常に何か自分の想いを、次の人たちへ残していけるっていうのが素晴らしいことだなと思っています。
—— 昨年公開された『HOKUSAI』【12】では、非常に挑戦的な絵作りをされいて、北斎という題材にものすごく合っていたと思います
橋本:キャメラマンが良い意味での遊びが好きな方だったで、「普通の時代劇じゃやらないようなことをやりましょう」って、いろんな手を使って大変面白く撮ってもらいました。
ワイヤーを張り巡らして、普通じゃできないようなカメラワークとかいっぱいやっていただいて、撮影自体も楽しかったですね。
「映画自体が歳を取ったらどうなるだろう」っていうのもやってみたかったんです。
北斎が若い頃のシーンには、そういうカメラワークをいっぱい突っ込んで、歳を取るにつれどっしりとしたカメラワークでカット数も少なくなっていくみたいな。
だから前半は本当カットが多いわ、ややこしいカメラワークが多いわで、現場は大変だったんですよ。
—— 監督の長いキャリアで様々な作品、現代劇も時代劇も撮られている中で、改めて日芸【13】時代がどういう意味を持っていたとお考えでしょうか?
橋本:前回でも申し上げた通り、現場に行ったら「学校で学んだことなんて」っていう側面もあるにしても、やっぱりあの学校でいろんな仲間たちと触れ合い、いろんな映画を見て、先生方に教えられ、そこで実際実習なんかで撮ったことによって得たものっていうのは、最終的には今、糧になっていると確信しています。
歳を取って、いろんなことを載せたり積み重ねたりはしていますけれど、基本はあのとき、僕がやりたいこととか、こういうふうにやろうとか思っていたことをなぞっているという気はしますね。
だから驚くほど、「学生時代に撮ってたカットと同じだ!」みたいな瞬間があったりするんです。そんな時に、「あのときの思いのまま、俺はやってるんだな」って感じます。
—— 京都、東京を含め、「東映撮影所」という場で育ったことは、今、監督にとってどういう意味があると思いますか?
橋本:今でも東京でやっていますし、機会があればまた京都にも戻りたいと思ってまして、過去形じゃないですね。
やっぱり育ての親ですよね。なんだかんだいって、京都もそうだし東京もそうです。僕にとっては大半をここでやっていますから。やっぱり大事な育ての親だし、大切にしていきたいと思っています。
—— 練馬区では『映像∞文化のまち』として区内外に発信していきます。練馬区の映像文化の取り組みに対して一言いただけますでしょうか
橋本:大変素晴らしい事だと思いますし、さっき申し上げた通り、後々まで残していける形のあるものっていう映像文化は、本当に大切であるし大事だと思います。
ですので、僕たちも後世までちゃんと残していける、残す価値があるものを常に作りたいし、掘り起こしたいと思っています。
そういう側面もありながら、映像の中に残されている街を観て、「あのときはこんな店があったんだ」とか、「あのときここって建物なかったんだ」というのは、素晴らしい体験だと思います。
ですので、練馬という街で撮っているときは、皆さんもちょっとご協力いただいて、僕たちが撮った作品を何年も後になって見返して、「あんな風になっていたんだね」というのを楽しんでいただけたらと思います。
僕たち作り手以外に、受け止める方たちも一緒になって、何かこういったことを盛り上げて行っていただけると、僕は嬉しいなと思います。
—— 最後にメッセージをお願いします
橋本:常に僕自身も新しいこと、新しいもの、今撮っているものだけじゃない、何かにチャレンジしていきたいと思っています。
コロナとかで、なかなか新しい事にチャレンジするのが難しい時代になってきているとは思うんですけれども、やがてこれは過ぎ去ると僕は思っていますので、またそうなったら、共に新しい映画、新しいドラマで、心おきなく自由にみんなで触れ合えるような世の中になっていけたらいいなと思ってますし、そうなるように皆で頑張っていきましょう。
ありがとうございました。