—— TVドラマ『私の夫は冷凍庫に眠っている(1)』、怖い作品でした
本仮屋:観てると言ってくださるとありがたいのですが、「あんな怖いの、大丈夫?」って心配になるくらい怖い作品でした。
テレビ東京さんが新たにチャレンジする枠で、新番組としてインパクトのあるものを打ち出したい。それで、この企画のこの役でお願いしますとオファーをいただいたんです。
今まで、どちらかというと「親しみがある」「明るい」「優しそう」みたいな役柄が多かった私に、「夫を殺す女性」の役をオファーしてくれるチャレンジ精神がステキと思って、「是非やらせてください」とすぐにオファーを受けました。
—— 内に抱えた闇をずっと見せない役でしたが、感情表現など演じていて難しかったのでは?
本仮屋:なんて言ったらいいんだろう、すごく難しいな。普段生きている世界線には、あまり出会わない人たちなので、全然思考も変わるというか…。
演じた役は、自分が達成したいことに対して手段を選ばない女性ですが、その手段の選ばなさを振り切ると、人ってこういう体感をするんだなって。
感覚としては、ずっと水の中にいるような感じです。水が入っている風船の中に自分がいて、みんなが話している声とか、楽しそうなこととかが遠くに感じるような。
あの役をやったことで、本仮屋ユイカに戻って来ても、自分がすごく変わったと思います。
演技する時というのは、自分の持っている要素しか出せないと私は思っているんです。あの恐ろしいものも私の中に持っている。それをどうやって大きくしたり濃くしたりするかが、私の役者としての作業なんですね。それを一定の期間で終えて自分に戻って来ても、その要素は足されているから、もう演じる前には戻れない。1作品毎の役が、変化を与えてくれます。
『私の夫は冷凍庫に眠っている』の役をやってから、人のことをより理解できるようになりました。自分が分からない世界に住んでいる人って、たくさんいるんだなって。
「殺人を犯す」という、とても普通の社会では経験できないことを演じさせてもらって、人間の反対側に行ってしまったからこそ、より色々なバリエーションに対して受容できる自分になったなと思います。
だから、家族とか親友とか、近しい人は「かなり変わったよね?」って言いますね。「バランスよくなったね」とも言われます。
私も生きるのが楽になりました。夏奈(かな)って役柄を許せたように、それを演じた自分も許したし。いろんな選択を取る、周りにいる人や、見たことない人たちに対しても、少しずつ歩み寄れるようになったから、生活をするうえで人と会うのが楽になりました。俳優ってありがたいですね。
—— 『片恋グルメ日記(2)』は、楽しく美味しそうな作品でした
本仮屋:あれは私にしかできない役だと(笑)あれだけ食べられる女優は私しかいないと思います(笑)。
画角を変えて何度も撮るので、毎回フルで2人前は食べていました。
「箸上げ」と言って、食べ物に箸が入ってから画面の中央まで上げるカットは本来はADさんの仕事なんですが、私は情報番組を担当していたこともあるし、「絶対美味しい箸上げができる」って言って、自分は映ってないのに箸上げ担当もしていました。
食べることが大好きなので、それは画面に伝わるだろうと思って、気合を入れて撮りました。
あと、一緒に演じてくれたのが平岡祐太さん(3)。『スウィングガールズ(4)』でもご一緒させていただいた俳優さんです。当時は高校生で、しかも2人とも田舎の冴えない高校生役で、お芝居なのかドキュメンタリーなのか分からないような(笑)。今でも幼なじみみたいな感覚の人が、恋の相手になるってどんな感じなんだろう?と思ったんですけど、ひらっちじゃなかったらできなかったですね、あの役は。
毎話、妄想シーンがあるんです。その妄想は現実を飛び越えていて、いきなりセクシーな濃厚なシーンだったり、はたまた学生服を着た青春っぽいシーンだったり。そうなると、心の垣根が無い方が妄想の世界にダイブできるんです。気心が知れているひらっちだから、やりたいことをヨーイドンで出しあえて、より深くあの作品を作り上げられたと思います。ご一緒できて良かったです。
—— ラジオの仕事もされています。「ラジオはとても好きだ」とおっしゃられていますが、いつ頃から、どんな所に惹かれたのでしょうか
本仮屋:きっかけは、2011年に自分がニッポン放送の番組『笑顔のココロエ(5)』を担当することになった事が大きいです。
当時はラジオを聞いたことがなくて、でも「担当するなら聴いてみなくちゃ」と思って聴き始めたんです。完全にハマったのは、『王様のブランチ(6)』時代ですね。
その頃、私にとって1週間のゴールは土曜日で、「土曜のブランチを如何に無事に乗り切るか」というのを目指していたんです。その土曜のブランチを終えて、夜、TBSラジオの『ジェーン・スー 相談は踊る(7)』を聴いていました。
作詞家・コラムニストのジェーン・スーさんが、あらゆる相談ごとに答えていくという内容でしたが、私はそれを聴くのが大好きで。人との繋がりが見えて、スーさんの小気味よく切れ味のいい回答がスカッとするんです。
私はお酒が飲めないので、炭酸水をプシュって開けて、「頑張った!」と思いながらそのラジオを聴くのが至福の時間でした。
でも、そういう時間って誰にでもあるんだと思っていたのですが、3年くらい前にジェーン・スーさんのラジオ『生活は踊る(8)』に出演させていただいた時に、「あなたはただのラジオオタクだ。ラジオ廃人だ」って言われて、「私ってラジオがそんなに好きだったんだ!」って知ったんです。この2、3年で、自覚が生まれました(笑)。
—— 現在『地方創生プログラム ONE-J(9)』、『三菱地所レジデンス Sparkle Life(10)』のパーソナリティを務められています。大好きなラジオでお仕事をしていることを、どうお感じですか?
本仮屋:好きなことができて良かったなと思います。「仕事だけど、仕事じゃない」みたいな。
TV番組は楽しいですけど、1分くらいの尺で、始まりからオチまで持って行って、かつ観ているすべての人が「面白い」とか「変だな」というある一定の感想を抱くようなエピソード、トークをするのがとても難しいんです。
ラジオだと、「最近、面白いことがあってさ」って話し始めたのに、結果、悲しい話だった。とかもアリなんですよね。そういう、ひだを拾ってくれるメディアって他には無くて。
そういうひだを拾って人と繋がれる場所に自分がいられることは、すごく幸せだなと思います。
TVは画面の向こう側で、絶対に面白いことが起こっている。だからこそ安心して観られるメディアなんです。
ラジオはそうではなく、一緒に体験して、自分事として楽しめるメディアだと思うんですよね。
だからこそ、自分の人生がちょっとだけ豊かになる。少しだけ人と多く繋がれた気持ちになる。血が通った場所だなって思っているので、やってて楽しいですね。
誤解なく自分の言葉が人に伝わるって安心感と、やってすぐに反響が来るという達成感があって、遊びながら、もっともっと深めていきたいと思っています。
—— 10月24日に配信開始された「HAPPY WEEKEND LOVE(11)」のリリースから歌手「ゆいか」としての活動も始まりました。憧れだった歌手活動、どのように感じられていますか?
本仮屋:こんな夢みたいなことが、人生に起こるんだなって、日々不思議な感じがしています。
まだ、たった1曲しか出していないですけれど、アーティストというものを体験した今、女優業とかパーソナリティ業に戻って来ると、すごく良い影響があるなと感じています。
女優って、いちばん最後にオファーしてもらえる場所だと思うんです。脚本があって、監督が決まって、いろんなことが準備された中で、「じゃあ、あなたにお願いします」って最後に参加する人たち。決まった役割を完璧にこなして、バトンを繋ぐというイメージなんです。
それに応えるのももちろん楽しいですけど、何もないところから自分のやりたいように作って良いという自由度の高さ。しかも、役柄というフィルターではなく、ただの「ゆいか」として歌って良い幸せ。本当にやっていて楽しいです。
あとは、私自身ラジオを聴くのが好きで、アーティストの方がパーソナリティだったら、その人にライブで会いに行けるけど、そうじゃないパーソナリティだとなかなか会えない。いつも耳で聴いている師であり、友達であり、家族みたいに思っている人と、どこかで会いたいという憧れがあるんです。
だからもしかすると、パーソナリティをしている私に会いたいという人がいるかもしれないので、会える機会を作りたいと思っています。
私の小さな野望は、アルバムを作って、ライブをする。そして、それをライフワークにしていきたいです。
—— 様々なフィールドで活躍している本仮屋さんにとって、日芸時代はどんな意味があると思いますか?
本仮屋:今、私がこうしていろんな場所で「自分のやりたいことをやる」という基礎を作ったのは、日芸(12)にいたからこそだと思います。
オタクの友達がいっぺんにできた場所でもありました。それぞれ好きな分野に対して熱くて、不思議なアプローチを取っていて、自分のクリエイティブな方法を炸裂させている友人に逢えたのは、とっても大きいです。
今でも歌手活動の報告をしたら、彼女たちはその妄想力を駆使して「じゃあライブはどこでやる」とか「グッズはこの展開にしない?」とか(笑)。
でも、そういう日常のクリエイティブな遊びから実現することもたくさんあったりして。そうやって好きな事を働くことに繋げて行く、働くことで好きな事をどんどん見つけて行くという、今の自分が持っている力は、日芸時代に培われたなと。
それは、東京にあるけれど、なんとなくのんびりしている、懐の深い練馬に日芸があったからこそ、感性が育まれたんだなと思います。
—— 練馬区では『映像∞文化のまち』として区内外に発信していきます。練馬区の映像文化の取り組みに対して一言いただけますでしょうか
本仮屋:大学時代の親友のグループの中に練馬区出身の子がいて、私は彼女から練馬のことをたくさん教わったんです。練馬大根とか練馬あるあるネタとか。そんなに区の情報をたくさん持っている人に会ったのは初めてだったんです。だから、住んでいる方が誇りに思える場所ってステキだなって思っていました。
そして私自身、映像に関わっていますし、クリエイティブなことに対して開かれた場所というのはありがたいし、他の地域に住む方にとっても、すごく身近に感じてもらえるきっかけになるんじゃないかなと感じました。
—— 最後にメッセージをお願いします
本仮屋:30代になって、ようやくやりたいことを声に出して、かつそれが実現できるっていう、すごく楽しい季節に入ってきています。
これから先も、やりたいことに対して貪欲に、ワクワク気負わず挑戦していけたらなと思っております。
ありがとうございました。