—— 田﨑監督は、撮影所で、数々のシリーズ作品に監督として参加しています。その中で若いキャストがシリーズの中でどう育っていくのか、そのポイントはどこにあるのでしょうか。
田﨑:前回、「キロバイトがギガバイトになっていく」と話しましたが、お芝居はまさにその中核。
たとえば、「仮面ライダー アギト」(1)の津上翔一(2)の台詞は脚本家の井上敏樹(3)さんが書かれていますが、作品の中では“津上翔一”が話しているわけです。台本に描いてあるセリフを、キャラクターとして言葉に出すには、エモーションというか動機を作らないとならない。普通の会話なら難しくはないでしょうけど、感情を乗せるときには、そのエネルギーがどこから来るのか探さなきゃならない。お芝居がちゃんと見えるようにするには、内面を作らなきゃならない。
俳優さんのお仕事っていうのは、内面を作ってカメラの前に立つことだと思うんです。
経験値によって芝居も上手くなるんだと思いますが、それが徐々に上がるのではなく、ある一点でポーンと上がるのが良い役者さんじゃないかと思うんです。
それは、仮面ライダー(4)の現場で、何度も経験しています。
昨日までは平たかった所に、今日、富士山が出来るという感覚。それがこの仕事の面白いところですね。
—— 若いスタッフの成長についてはいかがでしょうか?
田﨑:視聴者の皆さんから見てわかりやすいのは、若い役者さんの成長ぶりだと思いますが、それと同じように、若いスタッフも成長しています。
たとえば「仮面ライダー」を僕一人で監督していると、意外と育たないかもしれません。
でも実際は4、5人の監督が入れ代わり立ち代わり演出していますから、若いスタッフも洗礼を受ける。監督によって演出も全然違いますからね。この監督で通用したことが、違う監督では通用しない。そういうことを経て、成長していくんだと思います。僕自身も「仮面ライダーBLACK」(5)のときがそうだったので。
—— 撮影所で1年間のシリーズ作品、それを複数年にわたって参加するということが、ご自身にとってどういう価値があったでしょうか?
田﨑:僕がこの仕事に就いたころは、1年間続く作品が多かったと思います。「特捜最前線」(6)など東映で作っていましたし。そこに参加するということは、勇気がいった気がします。
撮影スタッフって、9時~5時で終わる仕事じゃないわけで、そこで1年間働くって事に、大変な責任を感じました。
同じ撮影所で複数作品が並行して複数本動いていた時代で、他の作品の助監督と比べられたりもするので、すごいプレッシャーもありました。
ゆりかごであり、競争の場であり。なるべく早く、サードからセカンド、チーフに上がりたいと思っていましたね。
—— 1年間のシリーズ作品は、今の日本の映像文化にとってどういう価値があるのでしょうか?
田﨑:「POWER RANGERS」(7)でアメリカに行った時に、1年間ほぼ休みなく30分のアクション作品を量産し続けることに対し、非常に驚かれました。
アメリカのTVドラマはシーズン制で、「POWER RANGERS」も秋にスタートして夏は再放送の期間になるんです。ほかにも放送休止期間があったり、月金で新作を毎日放送したり、視聴習慣の違いがありました。
なので、1年間続くということの価値を、逆にアメリカの方から教えていただいた気がします。
そもそも、撮影所ってシステムは、「人を育てよう」と考えた人が作ったんじゃないかと僕は思うんです。
僕は職人になりたかった人間なので、撮影所での「修業」はありがたかったし、優れたシステムと思っています。
—— 練馬区では昭和初期以降、実写・アニメを問わず映像をつくる環境が整っており、数多くの作品がこの練馬の地から作り出されてきました。こうした状況を背景に練馬区では『映像∞文化のまち』として区内外に発信していきます。練馬区の映像文化の取り組みに対してメッセージいただけますでしょうか。
田﨑:練馬に通い始めて30年経ちますが、特撮こども番組のマザー(母)であるし、育んでくれた聖地だと思います。
仮面ライダーが色んなロケ地に行って戦えるのは、(撮影所が)練馬区東大泉にあり、関越道や外環道の入口も近くにある交通の要衝だったりすることが大きいです。
これからもヒーローが生まれていく聖地として、よろしくお願いします。
—— 田﨑監督から最後に一言お願いします。
田﨑:最初に呼んでいただいて光栄です。
練馬区は映像の聖地として、(作品を)作るだけでなく、良い映画館もあります。
練馬区で撮影隊を見かけた時には、暖かい目で見てやってください。
よろしくお願いします。