TOPICS
©TEZUKA PRODUCTIONS
INDEX
—— 手塚プロダクションに入社された経緯をお教えください。
清水:はじめはアルバイトでした。1973年に虫プロダクション【3】 が倒産したあと、手塚は「もうアニメはやりません」と言っていたそうですが、その言を翻して、1978年に再びアニメ制作をすることになりました。そのとき制作していたのが、日本テレビ「24時間テレビ」の番組内で放映した『100万年地球の旅 バンダーブック』【4】(1978年8月27日放送)でした。久しぶりのアニメ制作ということで手塚プロダクション【5】では人員を募集していたんですね。当時、僕は苦学生だったので、高待遇につられてアルバイトに応募しました。ただ、入社して最初の数カ月はヒマでしたよ。穴開け機で動画用紙に穴を開ける作業をしたら、あとはお茶を飲んでいるだけ。こんなに楽してお金がもらえるなんて、なんていい仕事だと思っていました(笑)。なぜそれだけヒマだったのかというと、手塚から絵コンテが上がってこなかったからなんです。本当なら、とっくに作画に入っていなくちゃいけない時期だったんですよ。でも、当時の手塚は『ブラック・ジャック』だけじゃなくて『ブッダ』【6】『三つ目がとおる』【7】『ユニコ』【8】『火の鳥』【9】と連載を抱えていて、どうしても身内(手塚プロダクション)の仕事は後回しになる。ようやく絵コンテが上がってきたと思ったら2枚だけ。それをコピーして外注先のアニメスタジオに持っていっても、「これだけしかないの?」って怒られてしまう。あまりにもスケジュールが遅れていたので、そのうち制作担当デスクが恐れをなして逃げちゃった。そうこうするうちに、僕が押し出されるようにアルバイトの筆頭になり、進行の責任者のようになっていったんです。そこから放送開始までの3カ月は大変でしたよ。社内の床に毛布を敷いて、ごろっと3時間ほど寝て、起きたらまた仕事……みたいな感じでした。そんなやり方で、ギリギリ放送に間に合ったんです。
—— 『ブラック・ジャック創作秘話~手塚治虫の仕事場から~』【10】の第4話「アニメ地獄」では、『バンダーブック』の制作中、手塚先生からのリテイク(撮り直し)が多かったとのエピソードが描かれていました。
清水:『バンダーブック』にはブラック・ジャックが宇宙海賊の役で出てくるんですけど、その登場シーンが特にリテイクされましたね。「ブラック・ジャックはこんなふうに歩かないんですよ」と言われても、素人だった僕には何が違うのかさっぱりわかりませんでした(笑)。当時はソフト化や再放送の予定もないのに、放送終了後にもリテイクの作業をしましたよ。いまソフトや配信などでみなさんにご覧いただけるのは、そのリテイク後のものです。そのリテイク作業が終わった12月頃から、翌年の24時間テレビに向けて『海底超特急 マリン・エクスプレス』【11】(1979年8月26日放映)の準備が始まりました。企画書とか脚本なんてものはナシ。マンガの新連載のときもそうなんですけど、すべて手塚の頭の中でできあがっているんです。とはいえ、絵コンテがすべて上がってきたのは翌年の7月でしたけどね(笑)。僕は『バンダーブック』や『マリン・エクスプレス』以降も24時間テレビ用のアニメや『火の鳥2722 愛のコスモゾーン』【12】など、手塚プロ制作のアニメに関わっていきました。正式に入社したのは1981年です。アニメのことなどまったくわからない僕に、アニメのなんたるかを教えてくれたのは坂口尚さん【13】でした。
テレビ朝日ドラマプレミアム『ブラック・ジャック』 ©テレビ朝日/東映
—— 今回『ブラック・ジャック』は24年ぶりに実写化されます。手塚プロダクションでは映像化に際して、どのような基準を設けているのでしょうか。
清水:アニメーションと違い、うちでは実写は作れないものですから、テレビ局などからお話をいただいてから許諾をする、という流れですね。僕もシナリオのチェックはしますが、よっぽど公序良俗に反する表現がない限り、こちらから「ああしてほしい」とか「こうしてほしい」と言うことはありません。今度の高橋一生さん【14】が主演するドラマ【15】も同様で、こちらから「50周年だからドラマやりませんか」と企画したわけではなく、お声がけいただいたものなんです。
—— そうした手塚プロダクションの方針は、どのように定まったのでしょうか。
清水:これは、日本の寿司がなぜワールドワイドになったか、という理由と同じなんですよ。それまでの寿司職人は、日本では「飯炊き3年、握り5年」と修行を積むものでしたが、「そうじゃなければ本当の寿司ではない」などと言っていたら、これほど世界的に受容されることはなかったでしょう。アメリカの西海岸でアボカド巻きやカリフォルニアロールなどが生まれて、そうした変化を許容したからこそワールドワイドになったんだと思います。うちのライセンスに対する考え方も、基本はこれと同じ。僕はアボカドとカリフォルニアの名前を取って「アボ・カリ」システムって呼んでるんですけどね(笑)。どんどん(原作から)変えてもらったほうがいい。あたらしいものを次々に作っていってもらったほうがいいと思っています。だから『ブラック・ジャック』も、いろいろな人に料理してもらう。幸いにも手塚の作品は、そのどれもが「名作」と呼べる域に達しているので、「料理したい」という人がたくさん出てきたのでしょう。料理人が「やりたい」というものを「どうぞ」とやってもらうのが手塚プロダクションの方針です。
—— その方針は、いつ頃から定まったのでしょうか。
清水:手塚が亡くなってからすぐに、手塚のマネージャーだった松谷孝征【16】(現・代表取締役社長)らと話し合って決めました。割とすぐ、でしたね。それまでは手塚がいたから「(手塚)先生がやりたいことをやらせてあげよう」という意識で動いていました。しかし、これからはそうはいかない。アニメを作ってセールスするだけではなく、それ以外にも仕事の幅を増やしていかなければいけない。展覧会をやれたり、イベントをやれたり、芝居も作れる、ライセンスの仕事もできる……と。『ブラック・ジャック』がはじめてアニメ化されたとき(1993年)には、もう「作り手に任せる」という方針が定まっていたので、最初の会議のときに「どのエピソードを選ぶかは、出﨑(統)【17】監督次第だよね」と松谷と話したことをおぼえています。出﨑監督は原作にないものをいろいろと取り入れましたが、そこはもう「監督にお任せしよう」と。まあ、1話20ページ前後のものを30分アニメにするには、ちょっと短いという事情もありましたからね。
—— 手塚プロダクションが常に新しい企画にチャレンジをすることにも、そうした方針が影響していますか。
清水:そうですね、常に「先開発」ということを意識しています。DVDにしても配信にしても、新しいメディアが出てきたら、とにかくうちが最初にやるんだ、と。新しいメディアに『ONE PIECE』【18】とか『NARUTO』【19】なんかが参入してきたら、うちは勝てないですから(笑)。いかに先にやっていくか、という発想です。AI技術を駆使して手塚の“新作”を生み出そうとした『ぱいどん』【20】や、『ブラック・ジャック』【21】の新作を生成AIで作るプロジェクトも、そうして生まれました。今、うちのテーマは「コラボ」なので、新しいものづくりはコラボが中心になっています。
—— 改めて『ブラック・ジャック』の魅力はどこにあるとお考えですか。
清水: 『ブラック・ジャック』は2023年に連載50周年を迎えました。この50年の間、医療の技術はめざましく発展しましたが、作品は古びることがありません。それは、ブラック・ジャックは天才的な外科手術の技術を持っていますが、作品としてはそこを売りにしているわけではなく、その技術を使う人間の方を問うているからです。だから何年経っても古びないんでしょうね。僕が特に好きなのは「オペの順番」という回です。イリオモテヤマネコ、赤ん坊、代議士をどの順番で手術するかが問題になり、ブラック・ジャックは代議士をいちばん後回しにするんですよ。普通だったら代議士を先に……なんて思っちゃうところですけどね。現在ではトリアージ(傷病の緊急度や重症度に応じて治療優先度を決めること)の考え方が一般的になっていますけど、それを40年も前に描いていた。ようやく時代が追いついてきてるんですよ。そうした古びない魅力が、『ブラック・ジャック』にはあると思うんですよね。ですから、何か新しいものを作るときは前述した「アボ・カリ」の精神ですが、それと並行して、全集でも配信でも電子書籍でも、手塚の原作はいつでも読める状態にしておくことも大事なんです。やはりそこが原点ですから。手塚の描いた原作に触れてもらえれば、と思っています。
プロフィール
©テレビ朝日/東映
ドラマ情報
前の記事
次の記事
アニメーターの技術と思考過程に触れられる「太田晃博 作画展2nd -イメージを具現化するアニメーターの仕事 -」が開催中2026年08月10日
梶原一騎の“聖域”が開かれた日――練馬・大泉の豪邸、最初で最後の一般公開【見学レポート】2025年11月06日
貴重な資料でアニメ産業をふり返る展覧会「練馬とアニメーション アニメ製作のいまむかし」が開催中2025年07月25日
映画『砂の器』と松本清張原作映画【練馬在住時代】2025年07月02日
石神井公園ふるさと文化館で開催中!~大漫会の漫画家たち~展示レポート2024年10月08日