—— 練馬区のことで、パッと思い出すことは?
沖田:やはり、江古田の日芸(1)ですかね。江古田で良く行ったごはん屋さんや居酒屋さんを覚えています。日芸では「珈琲研究会」に所属していました。喫茶店に行ったり、部室でコーヒーを淹れたり、豆の味を知るために、豆を直接かじったり、意外と硬派なサークルでした(笑)。
—— 書籍「森田芳光全映画」(2)への寄稿文によると、『家族ゲーム』に衝撃を受けたそうですね
沖田:高校に入った頃、仲間たちとビデオカメラを回して遊んでいたんです。編集したり音楽を入れたりしてたんですけど、5分くらいにしかならない。それで、「2時間ある映画ってすげえな!」って興味が出て、近くのレンタル屋さんでビデオを借りて、映画を観るようになったんです。
その時、森田芳光監督(3)の『家族ゲーム』(4)に出会いました。夕暮れのシーンを見て、ぶったまげたというか、こんな面白いのがあるんだと、ずっと笑い転げてた感じでしたね。
それまで映画って、「別世界のもの」と思っていましたが、『家族ゲーム』は自分たちの世界の話のような気がして、共感があったんです。「こういう映画だったら全然面白い!こんなことできるんだ!」って思って、他にも面白い映画がないかと探したりしました。
その頃から「映画を仕事にしてみたい」「自分で物語を書いてみたい」と思い始めていたんです。
—— そして、日芸の映画学科へ入学されました
沖田:偶然にも、通っていたのが日大の付属校で。日芸に映画学科があると知り、試験や面接を受けて、無事に撮影・録音コースに入りました。1年生では撮影と録音について学び、その後、撮影コースに進みました。
映画を作りたいという気持ちもありましたが、監督になれるとは思っていなくて、手に職を付けた方がよいと思い、カメラや機材に触れる撮影コースを選んだんです。高校の写真部で現像もしたりしていたので興味もあったので。
大学の授業や実習も面白いものもありました。でも、だんだん自分で物語を作りたいという気持ちが大きくなってきて、コースとのズレを感じはじめてしまい、あまり学校に行かなくなっちゃったんです。
3年生実習と卒業制作で、監督コースの人と組んで作品を撮るという課題があったのですが、監督コースの人とは組まずに、8mmフィルムで自主映画を撮っていました。映画の大学に入ったのに、自主映画を撮るために大学に行かなくなっちゃった(笑)。
ただ、撮影コースに行ったので、自分で作品を作りたくなった時に、それを撮れる人がまわりにいたんです。
僕の場合は、授業というよりも、映画好きの仲間たちと出会えたのが一番良かったですね。
大学で得た仲間たちとは、その後も何作か自主映画を作りました。
—— 自主制作の短編映画『鍋と友達』が映画祭でグランプリを獲りましたね
沖田:大学に行かずに撮った映画があまり面白くなく気が滅入っちゃって、その後はあまり撮っていなかったんです。
卒業後はフィルムの現像のアルバイトとかをしていたんですが、2年くらい経った頃に友達の家で鍋をつついていたら「不登校児が無理やり鍋を囲まされてキレる」という話を思いついて急に撮りたくなって。脚本を書いて2、3日で撮ってみたんです。『鍋と友達』(5)という20分くらいの作品ですが、これが映画祭のコンペでグランプリを獲って自分でも驚きました。
ここで、「誰かに作品を観てもらう」という体験をしたんです。400人くらいのお客さんに観てもらって、すごく笑いが起きたのが嬉しくて。その後も、この作品を観た方から声を掛けてもらったりすることもありました。中には今でも一緒に仕事をしている方もいます。
『家族ゲーム』のプロデューサー・佐々木史朗さん(6)も、たまたま観に来られていて。高校時代にレンタルビデオを借りていた頃は、佐々木史朗さんの名前が「間違いない」という記号のような感じだったので、神様に声を掛けてもらったような気持になって嬉しかったです。
—— 『南極料理人』の前に、ドラマを2本撮影されました
沖田:当時所属していたピクニックという会社の春藤忠温さん(7)から、『南極料理人』(8)の企画をいただいていたのですが、なかなか準備が進んでいなかったんです。
その頃会社に、「MUSIC ON!TV」(9)が10周年を迎えるので記念にドラマを作りませんか?という話が来て、『南極料理人』の前哨戦のような形で僕が監督することになりました。
いつもミュージックビデオをたくさん流している音楽チャンネルで、急に親子モノのドラマが流れたら凄いんじゃないか?という企画意図もあって、それではと脚本を書きました。オリジナルの企画だったので、自由にやらせてもらえましたね。それが、『後楽園の母』(10)『青梅街道精進旅行』(11)です。
—— そしていよいよ『南極料理人』で商業映画を初監督されます
沖田:『南極料理人』の脚本を書いているうちに、「これは面白いじゃないか」とだんだん話が大きくなってきて、東京テアトルの西ヶ谷寿一さん(12)が春藤さんと一緒になって色々と動いてくださって。
カメラマンの芦澤明子さん(13)も最初に紹介していただきました。芦澤さんには先行した2本のドラマから参加してもらったんです。
すべてが『南極料理人』のために段階を踏ませてもらった感じでありがたかったです。
北海道のロケは、2月の一番寒い-15度くらいの時でしたが、ベテランの俳優さんが多かったので、かなり緊張しながら撮影したのを覚えています。
—— 映画撮影の経験も反映した、『キツツキと雨』(14)についてお聞きします
沖田:「村に撮影隊が来る」という話が作りたかったんです。
最初は、「昔活躍した監督が村に来るので、その監督が好きな青年が一緒に映画を撮ろうと張り切るが、監督はやる気を失っていて途中で消えてしまう。それで、残された映画を皆で撮る」という話を考えていました。でも、プロデューサーの佐々木史朗さんたちと話しをしているうちに、「逆の方が面白いんじゃないか?」ってことになったんです。それで、「25歳の映画監督」を思いつき、設定を書きなおして進めたんです。
「映画作り」はモチーフにしていますが、本来は交流の生まれようのない2人の人間の距離が近づいていく「異文化交流」を大事にしたいという気持ちで臨みました。
—— 新人監督が現場から逃げ出し、追いかけてきたベテラン助監督に「お前は監督をやらせてもらってるんじゃねぇか」と頭を叩かれるシーンなど、映画作りの実感が入っているように見受けられました
沖田:『どこかしらで「自分ではない」と思いながらも、「25歳の映画監督」という設定にしてから、ちょっとずつ自分の体験が入りこんでいくということがありました。
映画のスタッフさんって結構厳しいですけど、基本的に映画が好きで、現場も「面白くないとイヤだ」って気持ちを持っている人が多いと思います。
キャメラマンが「レールを敷いて良いか?」ってシーンも、自分で脚本を書いてて笑っていたんですが、いざ撮影してみたら、あんなに良いシーンになるとは思って無かったです。
気持ちが伝わると、良いシーンになるんだなと気づかされました。
—— 山﨑努さん(15)が演じるベテラン大物俳優が、監督に「また呼んでよ」というシーンも印象的です
沖田:『南極料理人』を撮った時に、僕はどうしても上手く行かなかったと思っていたのですが、出演していただいた生瀬勝久さん(16)が、打ち上げで「また呼んでよ」って言ってくださって。
それがすごく嬉しくて、『キツツキと雨』の脚本に書き起こしたんです。
明日の勇気につながる1作沖田修一監督のおススメ!
『モリのいる場所』
(2018年/日本/監督・脚本:沖田修一/主演:山﨑努、樹木希林)
沖田:自分の作品ですが、自宅から30年出なかった画家さんの1日の話です。
コロナ禍で出かけられなかった時に、花がすごく綺麗に見えたり、ちょっとしたことが気になったりしていて、皮肉にも豊かな時間を過ごしてしまって。
もしかすると、『モリのいる場所』は「豊かな時間」の雰囲気があった映画だったんだなと、我ながら思いました。
良かったら観てください。