映像∞文化のまち ねりま

ねりま映像人インタビュー

第39回 ちばてつや先生 前編

第39回 ちばてつや先生 前編

2025.08.28

こちらのコンテンツは、是非音声版でお楽しみください

練馬にゆかりの映像人の皆様にお話を伺い、練馬と映像文化の関わりを紹介する「ねりま映像人インタビュー」のダイジェストテキストです。
今回と次回のゲストは、漫画家・ちばてつや先生。
ちば先生は1962年から練馬区にお住まいになり、長年にわたり練馬区で活動されています。
生み出された作品の中には、『ハリスの旋風』『あしたのジョー』をはじめ、『おれは鉄兵』『のたり松太郎』などアニメ化された作品も数多くあります。 今回は練馬区の思い出と漫画作りについてお伺いしました。
なお、今回と次回は特別編として、動画付きでお届けします。是非、動画でもお楽しみください。

—— 最初に練馬区にお住まいになられたのは、いつごろでしょうか?

ちば:もう60年ぐらい前になりますかね。本格的に仕事をする場所を決めなくちゃいけないときに、当時の編集担当者さんがいろいろ探してくれて、「練馬にいい物件があるよ」と。後で聞いたら、その土地「練馬」には漫画家に限らず編集さんもたくさん住んでいたみたいで、わざわざ遠方に通うこともなく近所の漫画家さんのところに寄って、打ち合わせをしたり、原稿をやりとりするのに都合が良かったみたいです。
あとは手塚治虫さん【1】がいらしたってことが一番かな。あの方はいろんな出版社と仕事をしていましたからね。
うち(家)から線路を挟んだ反対側、歩いて行けるところぐらいにお住まいでした。

—— 先生の作品の中で練馬区の風景を描かれたことはありますか?

ちば:昔、『ハリスの旋風』【2】の中で、主人公の国松君が駅を降りて、商店街を歩いてくる場面があるんですが、あれは全く富士見台の駅です。昔はうちの最寄り駅が富士見台だったの(笑)。

—— 先生にとって練馬区で一番思い出のある場所はどちらですか?

ちば:昔はこの辺りも畑や田んぼがあって、広い自然がたくさん残っていました。石神井川の近くに小さな牧場があって、子どもを連れていって牛さんのお腹をなでたりなんかしていました。
石神井川も今とは違って、かわいい自然の小川でしたね。

—— 手塚先生をはじめ、いろいろな作家さんが近くにいらっしゃったそうですが、仲間内で野球をやられていたそうですね。

ちば:漫画家になったばかりの頃は、運動が好きじゃなかったんです。 漫画家は家の中に閉じこもって机に向かっているのが仕事ですから、天職だと思って喜んで仕事を始めたんだけど、2年ぐらい締め切りに追われているうちに病気になっちゃって。今でいうノイローゼですね。
その頃、『ちかいの魔球』【3】という野球漫画の話が来たんです。野球に詳しい編集さんを担当に付けるから、勉強しながら描いてくださいと。でも本当に野球を知らないから、ピッチャーマウンドを描き漏らしたり素人同然でした。それにびっくりした担当さんが真剣に野球を教えようと、グローブとボールを持ってきてキャッチボールから始めたんですよ。冬の一番寒い2月ぐらいでした。ガタガタ震えながら10分か15分ぐらいボールを投げていたら、自分の体からもうもうと湯気が出ているのがわかるわけ。担当さんも驚いてキャッチボールを止めて仕事に戻ったんだけど、今度は手が震えて描けないんですよ。その日はもう仕事にならないから寝ようと布団に入ったんです。いざ横になってみると、天井の板の目がすっきり見える。それじゃあ眠くなるまで仕事をしようと原稿用紙に向かったら、サラサラサラサラってあんなに滞っていた原稿が気持ちよく描けちゃったんですよ。(運動したことで)心と体が変わったんですね。その時はじめて運動不足が恐ろしい、ということがよくわかった。
それで私は、松本零士さん【4】とか、いろんな漫画家に声をかけて野球チームを作りました。
当時、手塚治虫さんも野球チームを持っていたので、夜中にユニフォームを着て試合を申し込みに行きました。原稿待ちの編集さん達には「この忙しい時に?帰ってくれ!」って怒られたけど、それを聞いた手塚さんが仕事場から降りてきてくれて「ちばくんどうしたの?野球の試合?いいですよ。球場決まったらまた連絡してください」と。優しいよね。
それで当時はとしまえん【5】に球場があったので、そこで手塚さんのチームと初めての試合を受けてもらいました。私の弟たちや松本さん、他の漫画家もたくさんいてアシスタントを入れて20人近くで。結果は残念ながら8対2で負けましたけど、本当にみんなも運動不足だったんでしょうね、目に見えて元気になったんですよ。当時は漫画家だけじゃなくて、いろんなジャンルの人たちがチームを作っていたので、対戦相手には事欠きませんでしたね。最近では将棋のチームなんかもライバル関係です。

—— ちば先生がお手本にした作家さんはいらっしゃいますか?

ちば:私が子どもの頃は、勉強しなくなるから漫画は読んじゃ駄目と言われていたんです。だから漫画を初めて知ったのは、中国から引き揚げてきてから。当時住んでいた千葉県の田舎の田んぼで「豆本」というちいさな漫画の本を拾ったんです。キャラメルか何かの付録で、こんな手の中に入るくらいのものなのですが。今思えば杉浦茂さん【6】の漫画だったのだと思うけどそれがとても面白くてね、道端であっという間に読みました。それで弟たちにも見せてやろうと飛んで帰って。そうして顔を寄せ合って一緒に見ていたら、夕餉の支度をしていた母親に見とがめられて、あっという間にビリビリと引き裂かれ、七輪の火の中にくべられちゃった。少し残念な漫画との出会いでしたね。そのうちに漫画の好きな友達ができて、漫画を読んだり、ちょっと描いてみたりするようになりました。その頃に読んだ『のらくろ』【7】とか『ロボット三等兵』【8】とかにも影響を受けました。本格的に漫画を描くようになってからは、出版社から漫画雑誌などを送ってくれるようになるんですが、それを読んでみると他の漫画家がみんなそれぞれ上手いんですよ。本当に、いろんな人から様々な影響を受けましたね。

—— 作品を描き始めるときは、ご自分でアイデアを着想したり、または編集者から勧められたりということがあると思いますが、どちらが多いですか?

ちば:最初は編集さんから「今、こういう話が喜ばれてますよ」とか、いろいろ制作上のヒントをもらってましたけれどもそのうちにだんだんと自分で考えるようになりました。
その当時「主人公」と言えば、みんなかっこ良くて、優等生で、運動神経抜群。勉強もできるし、友達思いだし、欠点は何もないスーパーマンのように描かれるのが一般的でした。私も最初の頃はそういう主人公を一生懸命に描いていましたけど、だんだん主人公の脇で馬鹿なことをして足を引っ張っるようなことをするキャラとか、ちょっと意地悪そうなライバルがとか、そういうのを描いているのが楽しくなっちゃって。
それで編集さんに「一度、欠点だらけの人間を主人公に描いてみたい」と話したら、ビックリして、そんな話、読者に受けるわけがない、と止められたけれど必死にお願いすると「試しに2本か3本描いてみて、駄目だったら諦めてください」っていうことで始めたのが『ハリスの旋風』だったんです。早弁はするし、いつも遅刻、宿題はやらないし、喧嘩っぱやい。そういう欠点だらけの人間なんだけど、彼なりの正義感に合わないことは絶対にしない破天荒なキャラクター設定にしたら、私自身がすごくのびのびとした気分で描けたのが良かったんでしょうね。すごく人気が出て私の作品で初めてアニメーション化もされました。

次回も引き続き、ちばてつや先生にお話を伺います。どうぞお楽しみに。

明日の勇気につながる1作ちばてつやさんのおススメ!

『生きる』
(1952年/日本/監督:黒澤明/脚本:黒澤明、橋本忍、小國英雄/出演:志村喬、小田切みき、藤原釜足、日守新一、金子信雄 ほか)
仕事への情熱を忘れ、無気力な日々を送っていた市役所の市民課長・渡辺勘治は、ある日胃癌で余命幾ばくもないと知る。人生に絶望する渡辺だったが、ある女性との出会いをきっかけに、人間が生きる意味を考え始める…。

ちば:病気でもう寿命がいくつっていう、それまでいい加減に生きていた人が、自分の命が限られたことになった途端に、真剣に何かやり出すでしょ。あれを見て、「人間ってみんなそうなんだよな」と。あれは本当に素晴らしい作品だった。私も影響を受けましたね。
本テキストは音声版のダイジェストです。
是非音声版でお楽しみください。

プロフィール

ちばてつや
漫画家。1939年東京生まれ。少女漫画から青年漫画まで幅広く活躍。1968年に連載を開始した『あしたのジョー』(原作:高森朝雄※梶原一騎氏の別名義)は、時代を象徴する一大社会現象となった。そのほかの代表作に、『ハリスの旋風』『おれは鉄兵』『のたり松太郎』など。
2017年に練馬区名誉区民として顕彰された。2018年には日本漫画家協会会長に就任。
現在も練馬区に在住し、ビッグコミック誌にて『ひねもすのたり日記』を連載中。

※当サイト及び当サイトのアニメーションコンテンツ「練馬アニメーションサイト」では、ちばてつや先生に関連した記事を多数掲載しています
〈映像∞文化のまち ねりま〉
「ねりま漫画サロンinゆめりあホール」レポート
ねりま映像人インタビュー 第39回 ちばてつや先生 前編
ねりま映像人インタビュー 第40回 ちばてつや先生 後編

〈練馬アニメーションサイト〉
「あしたのジョー、の時代展」開催記念 ちばてつや先生特別インタビュー!
「ちばてつや、あしたのジョーを語る」が開催されました
練馬区独立70周年記念式典で、ちばてつや先生が名誉区民として顕彰されました
ちばてつや先生も来場!連載開始50周年記念《あしたのジョー展》開催中!
第22回手塚治虫文化賞 贈呈式・記念イベントが開催されました

ダイジェストテキストに登場する作品名・人物名等の解説

【1】手塚治虫(てづか おさむ)さん
漫画家、アニメーション制作者。代表作に『新寳島』『鉄腕アトム』『リボンの騎士』『火の鳥』『ブラック・ジャック』など。
1961年に「手塚治虫プロダクション動画部」(1962年に「虫プロダクション」に改称)を設立し、実験アニメ『ある街角の物語』を発表。1963年には日本初の30分枠連続TVアニメ『鉄腕アトム』を制作し大ヒット、TVアニメブームの先駆けとなった。『どろろ』『ブラック・ジャック』『陽だまりの樹』などを始め、多くの作品が実写・アニメを問わず映像化されてきた。1989年2月9日逝去。
逝去から30年以上経ちながら、『ばるぼら』『火の鳥』など氏の作品を原作とした映像作品が近年も数多く生み出されている。
※当サイト及び当サイトのアニメーションコンテンツ「練馬アニメーションサイト」では、手塚治虫先生についてや手がけた作品、映像化された作品などについて紹介しています。

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〈映像∞文化のまち ねりま〉
コラム「映像を刺激する“漫画の神様”手塚治虫」
TOPICS「連載50年『ブラック・ジャック』とその映像化の歩み」

〈練馬アニメーションサイト〉
「練馬にいた!アニメの巨人たち」第21回 手塚治虫さん その1
「練馬にいた!アニメの巨人たち」第22回 手塚治虫さん その2
「練馬にいた!アニメの巨人たち」第23回 手塚治虫さん その3
「練馬のアニメスタジオの遺伝子」第3回 虫プロダクション編 前編
「練馬のアニメスタジオの遺伝子」第3回 虫プロダクション編 後編
【2】『ハリスの旋風(かぜ)
週刊少年マガジンにて1965年から1967年まで連載された、ちばてつや氏による漫画。地元の中学を追い出され、名門・ハリス学園へ転入した暴れん坊・石田国松が、類まれな運動神経を見込まれて、様々な運動部の助っ人として奮闘する姿を描く。
1966年にモノクロでTVアニメ化され全70話を放送、最高視聴率31.8%の大ヒットとなる。
1971年にはカラーリメイク作『国松さまのお通りだい』全46話も制作された。
【3】『ちかいの魔球』
週刊少年マガジンで1961年から1962年まで連載された、原作:福本和也・作画:ちばてつやによる野球漫画。甲子園の夢を絶たれた富士高校のエース・二宮光が、「魔球」を武器に巨人軍に入団。相棒の久保田吾作とバッテリーを組み、プロ野球で活躍する姿を描く。ちばてつや氏の少年誌デビュー作でもある。
【4】松本零士(まつもと れいじ)さん
漫画家。1970年代後半から80年代にかけての熱狂的なアニメブームの代表作『銀河鉄道999』や『宇宙海賊キャプテンハーロック』の原作者としても知られる。60年以上も練馬区の大泉に住み、四畳半もの「男おいどん」、戦場もの「スタンレーの魔女」など多様なジャンルにおいて膨大な数の傑作漫画を生みだした。2008年には練馬区名誉区民として顕彰された。2023年2月13日逝去。
※当サイト及び当サイトのアニメーションコンテンツ「練馬アニメーションサイト」では、松本零士先生に関連した記事を多数掲載しています

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コラム「松本先生のワガママ」

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【5】としまえん
練馬区向山に、1926年より戦時中の一時期を除き94年間営業していた遊園地。(1980年に「豊島園」から改名)。2020年8月に東京都による防災公園の事業化を受け閉園。跡地には2023年5月に「練馬城址公園」が一部開園。6月には「ワーナー ブラザース スタジオツアー東京 – メイキング・オブ・ハリー・ポッター」がグランドオープンした。
【6】杉浦茂(すぎうら しげる)さん
漫画家。1932年に短編『どうも近ごろ物騒でいけねえ』でデビュー。その後、短中編や単行本などで活躍するが、1937年頃から戦争の影響で仕事が激減。さらには召集され兵役に就いた。終戦後に復員し、1946年の単行本『冒険ベンちゃん』で再び漫画家に復帰。1953年に発表した『猿飛佐助』が大ヒットし、代表作の一つとなる。1968年頃からは、ナンセンスでシュールな作品も手掛けるようになり、『日本名作劇場』(1980-81)『まんが聊斎志異』(89-90)などを発表。1989年には第29回児童文化功労者に選出された。2000年4月逝去。
【7】『のらくろ』
漫画家・田河水泡により、1931年から1941年まで連載された漫画。「擬人化した動物」と「軍隊」がモチーフ。猛犬軍の猛犬聯隊に二等兵として入隊した黒犬の野良犬黒吉・通称「のらくろ」が、失敗を重ねながらも成長し、やがて聯隊に欠かせない存在になって行く姿を描く。満州事変から太平洋戦争開戦の時期に発表され、時代の風潮は反映されているものの、あくまで子供向けの明るく楽しい作品となっている。手塚治虫や長谷川町子など、『のらくろ』に影響を受けた漫画家も多い。
【8】『ロボット三等兵』
漫画家・前谷惟光により、1955年から1962年に発表されたコメディ漫画。貸本単行本として全11巻が出版され、その後「少年クラブ」で連載された。第二次世界大戦中の日本陸軍に入隊したオンボロロボットが、様々な戦場を転戦しながら巻き起こす騒動を描く。作者の前谷は陸軍に召集され、中国やビルマを転戦しており、その経験が作品に反映されている。
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