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東映東京撮影所の<いま> ~東映東京撮影所所長・木次谷良助氏が語る~

INDEX

①東映東京撮影所とは……

東映東京撮影所 正門

映像関連企業や教育施設などが数多くある練馬区において、そのもっとも代表的な映像∞文化の拠点のひとつが、東大泉にある東映東京撮影所【1】だろう。
正式名称(社名)は「東映株式会社 東京撮影所」。近年では「仮面ライダー」【2】「スーパー戦隊」【3】などの特撮ヒーローもの、『相棒』【4】『警視庁・捜査一課長』【5】などのTVドラマシリーズ、映画『孤狼の血』【6】『ハケンアニメ!』【7】など、多数の人気作や話題作がここで制作されている。また東映作品だけでなく、さまざまな企業・団体が利用する日本最大級の映像制作スタジオである。

その前身は1935(昭和10)年に設立された新興キネマ【8】の大泉スタジオで、太平洋戦争終結後の47年、東宝など映画配給各社が出資してその大泉スタジオを買収、株式会社太泉スタジオ【9】となった(3年後に太泉映画と改称)。
いっぽう、東京横浜鉄道(のちの東急電鉄)が戦前に設立した東横映画は、49年に自主配給のための新会社・東京映画配給株式会社【10】(東映配)を設立。そして51年、この東映配が東横映画と太泉映画を吸収合併し、東映株式会社【11】が誕生する。同時に大泉の撮影所は「東映東京撮影所」として再出発することとなった。

以後、東映の初代社長となった東急電鉄出身の大川博【12】が先導し、のちに社長となる岡田茂【13】らが制作現場を支えつつ、数多くのヒット作を世に送り出していく。とくに『ひめゆりの塔』【14】は同年の興行収入第1位となるメガヒット作品となり、東映と東京撮影所の名を世に知らしめた。『人生劇場 飛車角』【15】は、任侠映画ブームの先駆けとなるとともに、鶴田浩二【16】というトップスターの新境地を開いた。この任侠路線は『昭和残侠伝』【17】などへと引き継がれていく。
また『越後つついし親不知』【18】『飢餓海峡』【19】のような文芸作品の映画化(いずれも水上勉【20】の小説が原作)も大ヒットを記録し、『新幹線大爆破』【21】のような娯楽超大作も登場する。東京撮影所は、大がかりなセットにも対応できる巨大スタジオとして不動の地位を築いた。

また、テレビジョンの台頭により、TVドラマの撮影も60年前後から行われるようになる。1時間枠の連続ドラマの先駆けとなった『特別機動捜査隊』【22】(61~77年)は、およそ15年の長きにわたり制作が続く大人気作品となった。
その後『はぐれ刑事純情派』【23】(88~05年)、『さすらい刑事旅情編』【24】(88~95年)、『警視庁捜査一課9係』【25】(06~17年)など、刑事ドラマの血脈が受け継がれていく。また、先述の「仮面ライダー」や「スーパー戦隊」「相棒」を始め、シリーズ化され、愛され続けるドラマ作品が現在に続いている。

そして映画では『バトル・ロワイアル』【26】『GO』【27】『半落ち』【28】『探偵はBARにいる』【29】『北の桜守』【30】など、人気作や話題作、大作が脈々と生み出され続けている。
今後も、メディアやジャンルの垣根を超えた作品が、この東映東京撮影所から創出され続けることであろう。

②東映東京撮影所所長・木次谷良助氏、語る。
~アニメプロジェクトin大泉2023講演より~

東映東京撮影所の所長を務める木次谷良助氏による貴重な講演が「アニメプロジェクトin大泉2023」【31】で行われた。本稿ではそこで語られた内容をご紹介する。

理想の映画づくりに取り組む東映東京撮影所

東映東京撮影所所長・木次谷良助氏

東映東京撮影所を最高の工房に

撮影所は「工場」と言われることが多くあるものの、私は常々「工房」と表現しています。というのも、以前の映画づくりに携わっていたのは、ほぼ全員が社員です。ところが最近は、ほとんどのスタッフがフリーランスです。現場の全決定権を持つ監督も、監督の補佐役である助監督もそう。さらに、俳優や風景をカメラで記録する撮影部、映像に最適な光を創り出す照明部、セリフや周囲の音を録音する録音部をはじめ、特殊な機材で雨を降らせたり風を送り出したりする特機部、ワイヤーアクションや火薬を使った爆発を演出する操演部など、フリーのスペシャリストが最高の映像を創るために集まる撮影所は、工房という表現がピッタリはまると、私は感じています。そして私は、工房に集うスペシャリストが、理想を実現するために必要な施設と設備を完備していきたいと考えています。

映像づくりのために組織・体制を整備

東映東京撮影所が、どのような体制で最高の映像づくりに取り組んでいるのか、撮影所の各部署とその内容をご紹介します。
  • 製作部映画づくり全体をコントロール

    製作部は、映画づくりの全てに関わる部署です。台本にもとづいて撮影場所を決定するほか、スタッフ編成から予算組みやスケジュール調整など、映画製作が順調に進むように全体を管理して、作品を完成させるまでの工程に責任を負う部署です。
  • キャスティング部最適な配役をサポート

    キャスティング部の担当は、作品に最適な俳優を起用する業務全般です。監督たちと綿密に打ち合わせ、俳優への出演交渉から現場でのケアまで対応します。現在、撮影所の組織としてこの部があるのは当社だけです。
  • マネージメント部所属俳優に最高の環境を

    当社に所属する俳優の出演交涉やスケジュール管理などを担当するのが、マネージメント部です。個性豊かな俳優とともに、すばらしい作品づくりに取り組んでいます。この部署が撮影所内にあるのも、当社の特色です。
  • 美術部映るモノすべてを製作

    美術部では、俳優以外の映るモノすべてを製作します。デザイナーは監督と相談してセットをデザインします。その図面をもとに、家などの動かないモノを製作するのが大道具、インテリアなどの動かせるモノは装飾部が用意します。
  • 東映デジタルセンター作品の仕上げを担当

    撮影が終わると、仕上げ作業に移ります。デジタルセンターでは撮影された映像を編集し、作品に組み立てていきます。アフレコ工程では映像に合わせて俳優のセリフを録音し、フォーリー工程では効果音を録音していきます。こうして用意した音素材を最終的に映像に合わせる作業をダビングと言い、その作業が完了すると、映画が完成します。
  • このほか関連する部署も

    東映東京撮影所には、このほかにも関連部署があります。ツークン研究所は、デジタル映像制作の研究・開発組織です。人間の動きを再現するモーションキャプチャーや顔の表情を反映させるフェイシャルキャプチャーなどにより、CGキャラクターを使用した新しい映像を創り出しています。また、100%子会社の東映テレビ・プロダクションは、主にテレビ作品の製作を担当しています。撮影所の部署であるスタジオ営業部は、東映以外の映画製作会社やネット配信会社など、外部の撮影所を利用したいお客様向けの窓口を務めています。
    東映東京撮影所では、こうした各部署・組織の連携により、年間に劇場用映画約40本、テレビドラマ約150本、CM約150本を製作しています。

近隣の皆さんの支えで進められた映画づくり

誕生以来、地域に密着して歩み続ける

東映東京撮影所所長・木次谷良助氏

東映東京撮影所は昭和26年、この大泉に誕生しました。以来、映像を創り続けることができたのは、近隣の皆さま、区民の皆さまのご理解とご協力によるものです。
撮影所が当初所有していた敷地は白子川まで及び、広大な土地にオープンセットを建てて撮影していました。昭和40年代の東映映画に登場する銀座のほとんどは、いまオズ【32】がある場所に建てていたセットです。このオープンセットはあまりにも有名で、先輩から聞いた話によると、練馬界隈でタクシーに乗って「銀座」とだけ言うと、当時の運転手は躊躇なく大泉のオープンセットへ向かっていたそうです。

皆さんのご理解、ご協力があってこそ

広大な土地では、以前は一軒家の火事シーンや仮面ライダーの爆破シーンなども撮影していました。こうした撮影の際は事前にチラシを配り、直前に “近隣放送”も行っていました。放送内容は「東映東京撮影所でございます。近隣の皆さま、ただいまよりオープンセットで爆破のシーンがございます。大きな音がしますが、ご理解ください」というものです。こうした対応で撮影させていただけたことを、本当にありがたく思っています。
そしてもう一つ、撮影を支えていただいたのが、近隣の飲食店の皆さんです。撮影が終わると必ず訪れる行きつけの店がありましたし、撮影中に出前をお願いした店も山ほどありました。
我々が映画づくりに没頭できたのは、こうした近隣の皆さんのご理解、ご協力があってのもので、改めて感謝申し上げます。

全力で、喜ばれる映画を、これからも

作品に詰め込んだ大変さと、やりがい

東映東京撮影所所長・木次谷良助氏

映画には、六畳一間の様子を撮るものもあれば、数々の要素を組み合わせて仕上げるものもあります。さまざまな映画づくりに携わったなかで、私が特に大変さとやりがいを感じた作品をご紹介します。
一つは、2007年公開の『俺は、君のためにこそ死ににいく』【33】という、石原慎太郎氏【34】が脚本と製作総指揮を手掛けた作品です。内容は、太平洋戦争末期の1945年、鹿児島の知覧飛行場から飛び立った特攻隊員の青年たちと、彼らから母親のように慕われていた食堂の女将の視点を中心に描いたものでした。

6分間の映像づくりに海外ロケからOGまで駆使

この作品で思い出深いのが、特攻隊員が沖縄の空で敵艦に体当たりを敢行するクライマックスシーンの製作です。緻密に描かれた絵コンテの内容を忠実に映像化するため、さまざまな要素を組み合わせました。フィルムを使用したアナログ製作でありながら、CGをふんだんに活用。ミニチュアロケも行い、特攻隊の飛行シーンの俳優の部分はコクピットだけのセットを製作して撮影を行いました。
その一方でリアルも追い求め、空の風景は徳之島で撮影。フィリピン海軍が当時の米軍が使用した護衛艦を所有していたことから協力を依頼し、マニラ沖でロケを実施。砲弾は空砲に加え、安全が確保できた環境では実弾も使用して、特攻場面を撮影しました。
こうして用意した多くの映像要素を、当時の技術を駆使して約6分間のクライマックス映像に仕上げました。現在のデジタル技術による映像とは異なる迫力を、作品を観て味わってください。

思い出づくりにつながる映画を創り続けたい

もう一つお話したいのが、1999年に公開された『鉄道員(ぽっぽや)』【35】です。この作品を、2022年10月に開催された練馬まつりで上映させていただきました。すると当日は満席で、その様子を見て私は感激しました。公開からの年月を考えると、多くの方が映画館で鑑賞されていたと思います。もう一度作品を観たいだけなら、ネット配信などを利用すれば「いつでも、どこでも、誰とでも」手軽に鑑賞できます。にもかかわらず、会場まで鑑賞にいらしたのは、「あの日、あの時、あの人と観た思い出」を大切にされているからだと感じたのです。
大切な思い出づくりに貢献できたことを、本当に嬉しく思いました。そして、皆さんの思い出づくりにつながる、喜んでいただける映画を、これからも創り続けようと誓いました。今後も引き続き、ぜひ東映東京撮影所が生み出す映像作品に、ご期待ください。

本日はお休みの貴重なお時間をいただき、本当にありがとうございました。
(2023年5月28日(日)「アニメプロジェクトin大泉2023」での企画
講演(「東映東京撮影所 映画・撮影よもやま話」/大泉図書館 視聴覚室にて取材)

プロフィール

木次谷 良助(きじや りょうすけ)氏
東映株式会社 執行役員 東京撮影所長

◎略歴
1987年 フリーの製作部として主に東映系の映画やテレビに携わる
2003年 東映株式会社入社 東京撮影所制作部課長代理
2012年 東京撮影所長就任
2016年 執行役員就任(現任)

◎スタッフ時代の主な担当作品(一部抜粋)
1997年 『ときめきメモリアル』 菅原浩/監督
1999年 『鉄道員(ぽっぽや)』 降旗康男/監督
2001年 『海は見ていた』 熊井啓/監督
2003年 『デビルマン』 那須博之/監督
2007年 『俺は、君のためにこそ死ににいく』新城卓/監督
2011年 『はやぶさ 遥かなる帰還』瀧本智之/監督

登場する人物名等の解説

【1】東映株式会社 東京撮影所 (通称:東映東京撮影所)
東京都練馬区東大泉に所在する、東映株式会社の映画スタジオ。
【2】「仮面ライダー」シリーズ
東映制作の特撮アクションTVドラマシリーズ。 第1作目は、1971年4月放送開始。また、2000年放送の『仮面ライダー クウガ』以降、毎年新シリーズが放送され続けている。
【3】「スーパー戦隊」シリーズ
東映制作の特撮アクションTVドラマシリーズ。1975~77年に放送された『秘密戦隊ゴレンジャー』から始まり、現在まで途切れることなく放送が続いている。2023年3月放送開始の『王様戦隊キングオージャー』で47作となる。
【4】『相棒』
2000年から放送されている刑事ドラマシリーズ。主演は水谷豊。警視庁「特命係」に所属する杉下右京と、その「相棒」の活躍を描く。2000年から2001年にかけて単発ドラマとして放送、2002年10月から連続TVドラマとして放送。これまでに劇場版4作とスピンオフ映画2作が公開されている。
【5】『警視庁・捜査一課長』
2012年から放送されている刑事ドラマシリーズ。主演は内藤剛志。警視庁刑事部捜査第一課の課長・大岩純一と、捜査一課の刑事たちの活躍を描く。
2012年から2015年まで単発ドラマを5作放送。連続TVドラマ版は2016年4月からスタート、2022年放送のseason6をもって完結した。
2018~19年にはTVスペシャル8作を放送。完結後の2023年4月には、TVスペシャル9作目が放送されている。
【6】『孤狼の血』
2018年5月に公開された映画。暴対法成立以前の広島・呉原市を舞台に、警察と暴力団組織間の激しい抗争を描く。2021年には続編『孤狼の血 LEVEL2』が公開された。
原作:柚月裕子/監督:白石和彌/脚本:池上純哉/出演:役所広司、松坂桃李、江口洋介、真木よう子、中村倫也、音尾琢真、阿部純子、竹野内豊 ほか
【7】『ハケンアニメ!』
2022年5月に公開された映画。アニメ制作現場を舞台に、新人監督と天才監督が、スタッフや声優を巻き込みながら“ハケン=覇権”を争う戦いを繰り広げる。東映アニメーションが実写本編監修を務めている。
原作:辻村深月/監督:吉野耕平/脚本:政池洋佑/出演:吉岡里帆、中村倫也、柄本佑、尾野真千子 ほか
【8】新興キネマ
1931年に、大阪にあった帝国キネマ演芸を組織変更して設立された映画会社。新興キネマ京都太秦撮影所(現・東映京都撮影所)と、新興キネマ東京(大泉)撮影所(現・東映東京撮影所)を拠点に映画を制作していた。1942年の戦時企業統合により、日活の製作部門、大都映画と合併。「大日本映画製作株式会社」(大映。現・角川映画)となった。
【9】株式会社太泉スタジオ
1947年に設立された貸しスタジオ。戦時中に閉鎖されていた、旧・新興キネマ東京(大泉)撮影所を東宝、日活、東横映画、東京急行電鉄(東急)、吉本興業などが発起人となり買収し、「太泉スタジオ」として稼働させた。スタジオレンタル第1号作品『タヌキ紳士登場』(48)を皮切りに、『肉体の門』(48)、『青空天使』(50)など多数の作品が撮影された。黒澤明監督の『野良犬』(49)も、当スタジオや大泉学園駅などで撮影されている。映画の製作・配給も行うようになり、1950年には商号を「太泉映画株式会社」と変更する。だが1951年には東横映画、東京映画配給と合併し、「東映株式会社」が設立された。
【10】東京映画配給株式会社(東映配)
1949年に東横映画と太泉スタヂオ(太泉映画)制作作品を配給するために設立された映画会社。第1回配給作品『獄門島』(49)や『日本戦歿学生の手記 きけ、わだつみの声』(50)などがヒットするも、1951年2月に巨額の損失を計上。同年4月に東横映画、太泉映画を吸収合併し、「東映株式会社」が設立された。
【11】東映株式会社
映画の製作、配給、興行会社。東京と京都の2つの撮影所を所有する。東宝、松竹、日活と並ぶ、日本のメジャー映画会社のひとつ。
【12】大川博(おおかわ ひろし)さん
東映の初代社長。鉄道省(国鉄・JRの前身)、東京急行電鉄を経て、1951年に東映株式会社(太泉映画、東横映画、東京映画配給が合併し社名を変更)の社長に就任。3社の累積赤字からの経営立て直しに尽力した。1956年に発足した東映動画の社長も兼任、1958年にはTVにも進出、NET(テレビ朝日の全身)を立ち上げるなど、経営の多角化にも力を入れた。1971年8月17日逝去。
【13】岡田茂(おかだ しげる)さん
東映の2代目社長。1947年に京都で東映の前身の一社・東横映画でキャリアをスタート。1951年の3社合併による「東映」への社名変更後には東映京都撮影所の製作課長に抜擢され、数々の作品を手掛ける。1960年には東映京都撮影所の所長に就任、1962年に東映取締役兼東映東京撮影所所長に就任、1964年には再び東映京都撮影所所長に復帰する。この間に、時代劇や現代アクションから任侠映画への転換を図り、数々の大ヒット作品を生み出した。TV界にも目を付け、京都撮影所の俳優・スタッフはTV時代劇へ移し、制作体制を作った。1971年には大川博の死去に伴い、東映の2代目社長に就任。1975年には映画事業部長を兼任し、以降1993年の退任まで、東映映像作品制作の陣頭指揮を執った。2011年5月9日逝去
【14】『ひめゆりの塔』
1953年に公開された映画。太平洋戦争の激戦地・沖縄で、「ひめゆり学徒隊」として前線に赴いた女子学生たちの姿を描く。石野径一郎の同名小説を脚本家・水木洋子が脚色、今井正が監督。配給総収入約1億5000万円の大ヒットを記録した。1982年には今井正監督によるリメイク版も制作されている。 原作:石野径一郎/監督:今井正/脚本:水木洋子/出演:津島恵子、香川京子、岡田英次、藤田進 ほか
【15】『人生劇場 飛車角』
1963年に公開された映画。尾崎士郎の自伝小説『人生劇場』の「残侠篇」の登場人物である侠客・飛車角を主人公に翻案して制作。大ヒットとなり、任侠映画ブームの先駆け的作品となった。
原作:尾崎士郎/監督:沢島忠/脚本:直居欽哉/出演者:鶴田浩二、佐久間良子、高倉健 ほか
【16】鶴田浩二(つるた こうじ)さん
俳優、歌手。昭和を代表する映画俳優の一人。1948年に松竹入りし、翌年には『フランチェスカの鐘』で初主演。その後もヒット作が続き、アイドル的人気となる。フリー、東宝を経て、1960年に東映に移籍。
1963年に主演した『人生劇場 飛車角』は大ヒットとなり、任侠映画のスターとなった。その後も映画、TVや歌手として活躍するが、1987年6月16日逝去。
代表作に、映画『ハワイの夜』(53)、『人生劇場』シリーズ(63-68)、『博徒』シリーズ(64-71)、『人間魚雷 あゝ回天特別攻撃隊』(68)、『傷だらけの人生』(71)。TVドラマ『男たちの旅路』(76-82)など。
【17】『昭和残侠伝』
1965年に公開された映画。敗戦直後の浅草を、卑劣な手で牛耳ろうとする新興やくざ・新誠会に、昔ながらのやくざ・神津組5代目の寺島清次が挑む姿を描く。『網走番外地』シリーズ、『日本侠客伝』シリーズと並び、高倉健の代表作となった作品で、全9作のシリーズとなった。
監督:佐伯清/脚本:村尾昭、山本英明、松本功/出演:高倉健、松方弘樹、梅宮辰夫、池部良、三田佳子 ほか
【18】『越後つついし親不知』
1964年に公開された映画。雪深い北陸越後を舞台に、杜氏の妻・おしんに降りかかる悲劇を描く。
原作:水上勉/監督:今井正/脚本:八木保太郎/出演:佐久間良子、三國連太郎、小沢昭一 ほか
【19】『飢餓海峡』
1965年に公開された映画。戦後間もない日本を舞台に、「偶然」に翻弄された男の数奇な運命を描いたミステリー巨編。第20回毎日映画コンクール5部門受賞をはじめ、第16回ブルーリボン賞、第38回キネマ旬報日本映画ベスト・テンなど、多数授賞。
原作:水上勉/監督:内田吐夢/脚本:鈴木尚之/出演:三國連太郎、左幸子、高倉健、伴淳三郎
【20】水上勉(みずかみ つとむ)さん
小説家。修行僧、行商、撮影所の手伝い、運送会社、新聞社、出版社、映画配給会社、軍隊など、37回も職を変えたといわれており、その経験を活かした様々なジャンルの作品を発表し、人気を博す。1959年に発表した推理小説『霧と影』が大ヒットし、メジャー作家の一員となる。1961年には水俣病を題材にした『海の牙』第14回日本探偵作家クラブ賞を受賞。同年、少年時代の禅寺での修行体験を元にした『雁の寺』で第45回直木賞を受賞した。代表作である『雁の寺』、『五番町夕霧楼』、『越前竹人形』、『飢餓海峡』など、映像化された作品も多い。2004年9月8日逝去。
【21】『新幹線大爆破』
1975年に公開された映画。乗客を乗せた新幹線に時速80キロ以下になると爆発する爆弾が仕掛けられた。犯人グループ対国鉄・警察の手に汗を握る駆け引きや、極限状態におかれた乗員・乗客の姿を描いたパニック巨編。
監督:佐藤純弥/脚本:小野竜之助、佐藤純弥/出演者:高倉健、千葉真一、宇津井健 ほか
【22】『特別機動捜査隊』
1961~77年まで16年に全801話が放送された刑事ドラマで、日本のTVドラマでは初の1時間連続ドラマ。主な出演に、波島進、中山昭二、青木義朗、里見浩太朗、亀石征一郎、葉山良二など。犯罪捜査に挑む初動班グループ「特別機動捜査隊」の活躍を描く。
【23】『はぐれ刑事純情派』
1988~2005年の18年間に、スペシャルを含め全444話が放送された刑事ドラマ。主演は藤田まこと。山手中央警察署刑事課の安浦吉之助刑事が、強い正義感とあたたかい心で、犯罪と向き合う姿を描く。
【24】『さすらい刑事旅情編』
1988~95年の7年間に全159話が放送された刑事ドラマ。主演は宇津井健。警視庁鉄道警察隊「東京丸の内分駐所」捜査班の活躍を描く。
【25】『警視庁捜査一課9係』
2006~17年の12年間に、スペシャル、スピンオフを含め126話が放送された刑事ドラマ。主演は渡瀬恒彦。警視庁捜査第一課に新設された「第9係」の係長・加納倫太郎と所属刑事たちの活躍を描く。season12の制作直前に渡瀬が死去、暫定的に浅輪直樹刑事役・井ノ原快彦が主演を引き継ぎ、シリーズは完結した。2018年からは井ノ原を主人公に、9係の世界感とメンバーを引き継いだ続編『特捜9』が放送されている。
【26】『バトル・ロワイアル』
2000年に公開された映画。中学生を主役にしたバイオレンス作品。新世紀教育改革法、通称「BR法」によるデスゲームに参加させられた中学生の壮絶な戦いを描く。ショッキングな内容から国会で質疑が行われたことなどで大きな話題となり、興行収入31.1億円と大ヒット。第24回日本アカデミー賞や第43回ブルーリボン賞などで多数授賞した。
原作:高見広春/監督:深作欣二/脚本:深作健太/出演:藤原竜也、前田亜季、栗山千明、柴咲コウ、ビートたけし ほか
【27】『GO』
2001年に公開された映画。原作は第123回直木賞を受賞した金城一紀作の同名小説。在日韓国人の青年が、恋や友情に悩みながらも成長していく様を描く。第25回日本アカデミー賞8部門で最優秀賞を受賞するなど、2001年度の映画賞を総ナメにした。
原作:金城一紀/監督:行定勲/脚本:宮藤官九郎/出演:窪塚洋介、柴咲コウ、大竹しのぶ、山﨑努 ほか
【28】『半落ち』
2004年に公開された映画。アルツハイマーが進む妻を殺した元刑事・梶。だが、自首するまでの空白の2日間については口を閉ざす。事件を担当する刑事、検事、記者、弁護士、裁判官は、その真相を追うのだが…。殺人事件に隠された、夫婦の愛と命の尊さを描いた感動作。第28回日本アカデミー賞で、最優秀作品賞・最優秀主演男優賞を受賞。
原作:横山秀夫/監督:佐々部清/脚本:田部俊行、佐々部清/出演:寺尾聰、柴田恭兵、原田美枝子、吉岡秀隆、鶴田真由 ほか
【29】『探偵はBARにいる』
2011年に公開された映画。原作は東直己の推理小説「ススキノ探偵」シリーズ。北海道札幌市すすきのを舞台に、私立探偵と助手・高田が、とある事件に巻き込まれながらもその真相を追う。第24回日刊スポーツ映画大賞・石原裕次郎賞を受賞した。続編として、『探偵はBARにいる2 ススキノ大交差点』(13)、『探偵はBARにいる3』(17)も制作された。
原作:東直己/監督:橋本一/脚本:古沢良太、須藤泰司/大泉洋、松田龍平、小雪、西田敏行、高嶋政伸 ほか
【30】『北の桜守』
2018年に公開された映画。戦中戦後を舞台に、北の大地を生きた親子の物語。『北の零年』(05)、『北のカナリアたち』(12)に続く、“北の三部作”最終章となる。主演を務めた吉永小百合の、120本目の映画出演作でもある。
監督:滝田洋二郎/脚本:那須真知子/出演:吉永小百合、堺雅人、篠原涼子、岸部一徳、高島礼子 ほか
【31】アニメプロジェクトin大泉
練馬区の西武池袋線大泉学園駅北口周辺エリアで、毎年5月に開催されるアニメイベント。
【32】オズ
リヴィンオズ大泉店のこと。1983年に東映東京撮影所のオープンセット跡地に「西友オズ大泉店」として開業した商業施設。
【33】『俺は、君のためにこそ死ににいく』
2007年に公開された映画。太平洋戦争の末期、特攻基地・知覧の特攻隊員と、彼らから慕われた鳥濱トメの交流という史実を元に、フィクションを交えて描かれた作品。当時の東京都知事・石原慎太郎が製作総指揮・脚本を手がけており、公開前から話題になった。
監督:新城卓/脚本・製作総指揮:石原慎太郎/出演:岸恵子、窪塚洋介、徳重聡、中村倫也、筒井道隆、前川泰之、多部未華子 ほか
【34】石原慎太郎(いしはら しんたろう)さん
作家・政治家。大学在学中の1956年に『太陽の季節』で文壇デビュー、第34回芥川賞を受賞。本作は映画化され、弟である石原裕次郎のデビュー作となった。創作活動を続けながら1968年には参議院議員に当選し政界に進出。1999~2012年まで東京都知事を務めた。2022年2月1日逝去。
【35】『鉄道員(ぽっぽや)』
1999年公開の映画。直木賞を受賞した浅田次郎の短編小説が原作。高倉健が不器用なまでにまっすぐに、鉄道員一筋の人生を送ってきた男を演じ、代表作の一つとした。高倉と共に『駅STATION』ほかの作品で数々のヒット作を世に送り出した監督・降旗康夫や撮影・木村大作らスタッフが、北海道の厳しい自然を詩情豊かに描き出し、第23回日本アカデミー賞最優秀作品賞、最優秀主演男優賞をはじめ9部門を総なめにした。 原作:浅田次郎/監督:降旗康夫/撮影:木村大作/出演:高倉健、大竹しのぶ、広末涼子、小林稔待、志村けん ほか
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