理想の映画づくりに取り組む東映東京撮影所
東映東京撮影所を最高の工房に
撮影所は「工場」と言われることが多くあるものの、私は常々「工房」と表現しています。というのも、以前の映画づくりに携わっていたのは、ほぼ全員が社員です。ところが最近は、ほとんどのスタッフがフリーランスです。現場の全決定権を持つ監督も、監督の補佐役である助監督もそう。さらに、俳優や風景をカメラで記録する撮影部、映像に最適な光を創り出す照明部、セリフや周囲の音を録音する録音部をはじめ、特殊な機材で雨を降らせたり風を送り出したりする特機部、ワイヤーアクションや火薬を使った爆発を演出する操演部など、フリーのスペシャリストが最高の映像を創るために集まる撮影所は、工房という表現がピッタリはまると、私は感じています。そして私は、工房に集うスペシャリストが、理想を実現するために必要な施設と設備を完備していきたいと考えています。
映像づくりのために組織・体制を整備
東映東京撮影所が、どのような体制で最高の映像づくりに取り組んでいるのか、撮影所の各部署とその内容をご紹介します。
製作部映画づくり全体をコントロール
製作部は、映画づくりの全てに関わる部署です。台本にもとづいて撮影場所を決定するほか、スタッフ編成から予算組みやスケジュール調整など、映画製作が順調に進むように全体を管理して、作品を完成させるまでの工程に責任を負う部署です。
キャスティング部最適な配役をサポート
キャスティング部の担当は、作品に最適な俳優を起用する業務全般です。監督たちと綿密に打ち合わせ、俳優への出演交渉から現場でのケアまで対応します。現在、撮影所の組織としてこの部があるのは当社だけです。
マネージメント部所属俳優に最高の環境を
当社に所属する俳優の出演交涉やスケジュール管理などを担当するのが、マネージメント部です。個性豊かな俳優とともに、すばらしい作品づくりに取り組んでいます。この部署が撮影所内にあるのも、当社の特色です。
美術部映るモノすべてを製作
美術部では、俳優以外の映るモノすべてを製作します。デザイナーは監督と相談してセットをデザインします。その図面をもとに、家などの動かないモノを製作するのが大道具、インテリアなどの動かせるモノは装飾部が用意します。
東映デジタルセンター作品の仕上げを担当
撮影が終わると、仕上げ作業に移ります。デジタルセンターでは撮影された映像を編集し、作品に組み立てていきます。アフレコ工程では映像に合わせて俳優のセリフを録音し、フォーリー工程では効果音を録音していきます。こうして用意した音素材を最終的に映像に合わせる作業をダビングと言い、その作業が完了すると、映画が完成します。
このほか関連する部署も
東映東京撮影所には、このほかにも関連部署があります。ツークン研究所は、デジタル映像制作の研究・開発組織です。人間の動きを再現するモーションキャプチャーや顔の表情を反映させるフェイシャルキャプチャーなどにより、CGキャラクターを使用した新しい映像を創り出しています。また、100%子会社の東映テレビ・プロダクションは、主にテレビ作品の製作を担当しています。撮影所の部署であるスタジオ営業部は、東映以外の映画製作会社やネット配信会社など、外部の撮影所を利用したいお客様向けの窓口を務めています。
東映東京撮影所では、こうした各部署・組織の連携により、年間に劇場用映画約40本、テレビドラマ約150本、CM約150本を製作しています。
近隣の皆さんの支えで進められた映画づくり
誕生以来、地域に密着して歩み続ける
東映東京撮影所は昭和26年、この大泉に誕生しました。以来、映像を創り続けることができたのは、近隣の皆さま、区民の皆さまのご理解とご協力によるものです。
撮影所が当初所有していた敷地は白子川まで及び、広大な土地にオープンセットを建てて撮影していました。昭和40年代の東映映画に登場する銀座のほとんどは、いま
オズ【32】がある場所に建てていたセットです。このオープンセットはあまりにも有名で、先輩から聞いた話によると、練馬界隈でタクシーに乗って「銀座」とだけ言うと、当時の運転手は躊躇なく大泉のオープンセットへ向かっていたそうです。
皆さんのご理解、ご協力があってこそ
広大な土地では、以前は一軒家の火事シーンや仮面ライダーの爆破シーンなども撮影していました。こうした撮影の際は事前にチラシを配り、直前に “近隣放送”も行っていました。放送内容は「東映東京撮影所でございます。近隣の皆さま、ただいまよりオープンセットで爆破のシーンがございます。大きな音がしますが、ご理解ください」というものです。こうした対応で撮影させていただけたことを、本当にありがたく思っています。
そしてもう一つ、撮影を支えていただいたのが、近隣の飲食店の皆さんです。撮影が終わると必ず訪れる行きつけの店がありましたし、撮影中に出前をお願いした店も山ほどありました。
我々が映画づくりに没頭できたのは、こうした近隣の皆さんのご理解、ご協力があってのもので、改めて感謝申し上げます。
全力で、喜ばれる映画を、これからも
作品に詰め込んだ大変さと、やりがい
映画には、六畳一間の様子を撮るものもあれば、数々の要素を組み合わせて仕上げるものもあります。さまざまな映画づくりに携わったなかで、私が特に大変さとやりがいを感じた作品をご紹介します。
一つは、2007年公開の
『俺は、君のためにこそ死ににいく』【33】という、
石原慎太郎氏【34】が脚本と製作総指揮を手掛けた作品です。内容は、太平洋戦争末期の1945年、鹿児島の知覧飛行場から飛び立った特攻隊員の青年たちと、彼らから母親のように慕われていた食堂の女将の視点を中心に描いたものでした。
6分間の映像づくりに海外ロケからOGまで駆使
この作品で思い出深いのが、特攻隊員が沖縄の空で敵艦に体当たりを敢行するクライマックスシーンの製作です。緻密に描かれた絵コンテの内容を忠実に映像化するため、さまざまな要素を組み合わせました。フィルムを使用したアナログ製作でありながら、CGをふんだんに活用。ミニチュアロケも行い、特攻隊の飛行シーンの俳優の部分はコクピットだけのセットを製作して撮影を行いました。
その一方でリアルも追い求め、空の風景は徳之島で撮影。フィリピン海軍が当時の米軍が使用した護衛艦を所有していたことから協力を依頼し、マニラ沖でロケを実施。砲弾は空砲に加え、安全が確保できた環境では実弾も使用して、特攻場面を撮影しました。
こうして用意した多くの映像要素を、当時の技術を駆使して約6分間のクライマックス映像に仕上げました。現在のデジタル技術による映像とは異なる迫力を、作品を観て味わってください。
思い出づくりにつながる映画を創り続けたい
もう一つお話したいのが、1999年に公開された
『鉄道員(ぽっぽや)』【35】です。この作品を、2022年10月に開催された練馬まつりで上映させていただきました。すると当日は満席で、その様子を見て私は感激しました。公開からの年月を考えると、多くの方が映画館で鑑賞されていたと思います。もう一度作品を観たいだけなら、ネット配信などを利用すれば「いつでも、どこでも、誰とでも」手軽に鑑賞できます。にもかかわらず、会場まで鑑賞にいらしたのは、「あの日、あの時、あの人と観た思い出」を大切にされているからだと感じたのです。
大切な思い出づくりに貢献できたことを、本当に嬉しく思いました。そして、皆さんの思い出づくりにつながる、喜んでいただける映画を、これからも創り続けようと誓いました。今後も引き続き、ぜひ東映東京撮影所が生み出す映像作品に、ご期待ください。
本日はお休みの貴重なお時間をいただき、本当にありがとうございました。
(2023年5月28日(日)「アニメプロジェクトin大泉2023」での企画
講演(「東映東京撮影所 映画・撮影よもやま話」/大泉図書館 視聴覚室にて取材)
プロフィール
木次谷 良助(きじや りょうすけ)氏
東映株式会社 執行役員 東京撮影所長
◎略歴
1987年 フリーの製作部として主に東映系の映画やテレビに携わる
2003年 東映株式会社入社 東京撮影所制作部課長代理
2012年 東京撮影所長就任
2016年 執行役員就任(現任)
◎スタッフ時代の主な担当作品(一部抜粋)
1997年 『ときめきメモリアル』 菅原浩/監督
1999年 『鉄道員(ぽっぽや)』 降旗康男/監督
2001年 『海は見ていた』 熊井啓/監督
2003年 『デビルマン』 那須博之/監督
2007年 『俺は、君のためにこそ死ににいく』新城卓/監督
2011年 『はやぶさ 遥かなる帰還』瀧本智之/監督