幕田けいた
フリーライター
「ジュブナイル」や「ジュニア小説」と呼ばれていた若者向け小説が、70年代中盤以降になると一気に注目されるようになってきた。ティーンエイジャーをターゲットにした『宇宙戦艦ヤマト』が起こしたアニメブームの影響で、中学生や高校生たちがこぞって、アニメを小説化したノベライゼーションや、映像のように軽快で現代風な小説を手に取り始めたのだ。こうした小説群はのちに「ライトノベル」とカテゴライズされるようになる。そんなラノベの草分け的作家であり、若者のリアルな口語表現を取り入れたセリフ回しが、読者の言語感覚とマッチし、大ブームを巻き起こしたのが
新井素子【1】だ。
新井は1977年、第1回奇想天外SF新人賞に応募した
『あたしの中の……』【2】が佳作入選し、デビューを果たした。このとき新井は、練馬区上石神井に所在する都立井草高等学校の2年生。高校生作家として大いに注目された。
生まれも育ちも練馬の新井は、「練馬大好き」と言ってはばからない作家。練馬への愛情は、郷土愛を越えて、まさに偏愛と呼べるこだわりである。その想いは、さまざまな作品の中に見え隠れしている。
デビュー作『あたしの中の……』の、登場人物の宇宙人の名前「エクーディ」は、練馬区を横断する西武池袋線の駅名「江古田」に由来しているという。1980年の書き下ろし作品
『いつか猫になる日まで』【3】では、石神井公園にUFOが墜落するところから物語が展開し、登場人物名も「ガシハ」(東長崎)、「シイナ」(椎名町)、「ケヴィ」(池袋)と西武池袋線駅名由来が多い。同年の
『星へ行く船』【4】シリーズの舞台は火星植民地だが、そのイメージは、なんと練馬をモデルにして描いていたことをエッセイなどで公表している。
1981年の
『ひとめあなたに…』【5】は、一週間後に隕石が激突することが分かり、主人公・圭子が練馬の家から元カレの住む鎌倉を目指して歩き始めるという、SF恋愛小説だった。
そんな新井作品が映像化されるのは80年代中盤から。最初に注目されたのは、1986年に公開された劇場用アニメ
『扉を開けて』(清水恵蔵監督)【6】だ。原作は1981年に出版されたファンタジー小説で、ここにも西武池袋線ネーミングが登場。「ディミタ姫」(富士見台)、「カムラ城」(中村橋)、「ネリューラ」(練馬)、「ラディン」(桜台)、地名では「ホーヤ」(保谷)、「ハノウ山」(飯能)などは、お馴染みの駅名由来で、新井はのちのインタビューで「うーん、やっぱり西武線の沿線は落ち着く」と語っている。
1987年にTV放映されたのは
『結婚物語』【7】と翌年放映の続編
『新婚物語』【8】。新井自身の結婚エピソードの一部を脚色したラブ・コメディで、主人公の原陽子を
沢口靖子【9】、夫の大島正彦を
陣内孝則【10】が演じ、主題歌と共に大ヒットしている。
実際の新婚時代の新井は、結婚の後、実家の練馬から世田谷区の下北沢の新居に転居したが、わずか数か月で練馬区の中村橋に再転居。理由は賃貸マンションの「練馬と比べ、間取りの狭さと家賃の高さ」というのがリアルで面白い。TVドラマ版では具体的な地名は出てこないものの、話数によっては世田谷の映画館が写り込むシーンもあったので、地理設定は原作に準拠しているようだ。
実写化した作品では、ほかにも1988年にSF映画
『グリーン・レクイエム』【11】(今関あきよし監督 鳥居かほり主演)、1992年に青春映画
『あなたにここにいて欲しい』【12】(小中和哉監督 高橋かおり主演)、2000年にサイコホラー
『おしまいの日。』【13】(君塚匠監督 裕木奈江主演)が公開されている。これらは新進気鋭の監督たちが若手俳優を演出した、初々しい青春映画としての側面も持っている。ただし劇中に、練馬に関連する描写はなかった……。
ライトノベルの元祖人気作家にして、映画界にも、さまざまな個性的な原作を提供してきた新井素子の、作品に対する原動力のひとつは「練馬」であった。一度、そのネリマ愛を知ってしまうと、小説、映画を含め、どんな新井作品も、舞台がすべて練馬に思えてくるから不思議である。
新井作品が、ライトノベルの原点のひとつであることは間違いない。もしあなたがラノベのファンなら、現在も版を重ねている新井作品を読むことをお勧めしたい。また練馬原住民と自称する新井の、ネリマ愛が炸裂する
『ネリマ大好き』【14】というインタビュー集もあるので、機会があれば、こちらもぜひお読みいただきたい。作家の精神性の根底に、生まれ育った場所への愛情が根差していることが良く分かるはずだ。