練馬にゆかりの映像人の皆様にお話を伺い、練馬と映像文化の関わりを紹介する「ねりま映像人インタビュー」のダイジェストテキストです。ゲストは、前回に引き続き声優の中澤まさともさん。
中澤さんは、練馬区出身で日本大学芸術学部に進学。声優業では、練馬区のアニメ制作会社スタジオ雲雀系のラルケが制作した『ギヴン』シリーズへ出演するほか、スーツアクターとして東映東京撮影所製作の『仮面ライダー』シリーズにも出演されています。
今回は、練馬区のアニメ制作会社スタジオ雲雀系のラルケが制作した『ギヴン』シリーズやスーツアクターとして参加された東映東京撮影所製作の『仮面ライダー』シリーズのお話を中心に伺っていきたいと思います。
—— 練馬区のアニメ制作会社スタジオ雲雀【1】系のラルケ【2】が制作した『ギヴン』シリーズについてお伺いします。TVアニメ『ギヴン』【3】に参加することになった経緯はどのようなものでしたか?
中澤:元々原作を読んでいたので、作品は知っていたんです。そこでTVアニメをやるということで春樹役としてオーディションに参加しました。ドキドキしましたね。オーディションを受けたときは、「受かるかも」って思いながらやっていましたし、受けた後は、「もしかしたら落ちたかも、こういうとき大体落ちてるんだよな」みたいな。不安を抱えながら待っていたら、事務所から合格の報告を受けて、とてもありがたかったです。
—— 春樹役【4】を演じる際に大事にしたことはなんでしょうか?
中澤:自然体に演じることです。あと一緒に出演している仲間たち――矢野くん【5】、内田雄馬くん【6】、江口拓也くん【7】も、そこにいる登場人物として演じるのはもちろんのこと、自然な会話のやり取りを現場全体で重視していたので、僕自身も演じやすかったのもあります。空気に溶け込めるように気を配ったというか、逆に気を抜いたというか、そういうポイントはありましたね。
春樹は突出した演奏能力とかあるわけでもなく、みんなの演奏を下で支える。実際はすごい技術を持ってないと絶対できないことをやってるとは思うんですけど、でも彼自身は自分にあまり自信がなくて、そこでちょっとモヤモヤしてる部分もあったんです。でも「自分はここにいてもいいし、自分のままでいてもいい。当たり前のように自分が演奏していいんだ」というところにたどり着けたのは、登場人物としての成長でもありますし、僕自身も、主役や番組のレギュラーをやっている子たちに囲まれて、初めてアニメのレギュラー番組に臨んだ身としては、本当に春樹と同じような心境だったので、「自分でもいいんだ、やることをやればいいんだ」と思えたのは、僕自身の成長でもありました。
—— 『映画 ギヴン』【8】は春樹と秋彦【9】の関係が見どころのひとつですが、特に大事にしたポイントはありますか?
中澤:相手のことをよく知らずに、春樹は秋彦のことが好きだったんですけれども、それが1回全部リセットされるところがすごく大事なポイントだったと思います。この人は本当はこういう部分がある、実はこんなに努力していたんだ。と知って、もうフラれたのに、なんだかんだで嫌いになれない。それがあったおかげで、お互いに自然と信頼し合える関係になれたことは、演じていても作品を見ていても思いますね。
—— 完成作品をご覧になって、どのような感想をお持ちになりましたか?
中澤:本当に夢みたいだって思いましたね。自分のナレーションで映画が終わるのを見て「こんなに嬉しいことはない」と思いましたし、それが初めてのTVアニメレギュラーとして出演した『ギヴン』というのも非常に思い出深いです。
出来上がりを見たときは、歌がとても素晴らしかったですし、ライブシーンも音のバランスであったりとか、とても繊細に仕上がりを調整して、どんな人にも伝わるように、という気遣いや演出を感じられたので、全員が全員、全力で臨んだ結晶である作品の、中心にいられたのは非常にありがたく思いましたね。
映画 ギヴン 海へ
2025年3月26日(水)発売
given-anime.com
—— 2024年に前後編として『映画 ギヴン 柊mix』【10】『映画 ギヴン 海へ』【11】が公開されました。 4年の時を経て、また春樹役をやる心境はどんなものでしたか?
中澤:春樹を演じることに緊張しなかったんですよね。もちろん作品の中では緊張するシーンはあったんですが、春樹自身は学生組を見守る立場だったので、「この子たちがのびのびとやれるようにするには自分はどうしたらいいのか」を考えながら演じさせていただきました。
—— 公開から2ヶ月後にも生コメンタリーや舞台挨拶などのイベントが実施されました。作品が広がっていくことをどのように受け止めていらっしゃいますか?
中澤:当時、ノイタミナ【12】初のBLアニメ作品としてTVアニメが放送されたんです。そこから6年かけて、LGBTという性別や恋愛の捉え方、世間への広がり方がちょうど変わっていった時期だったので、BLというジャンルが珍しがられることもなくなったのは、いい意味で普遍的なものになったんだなと捉えています。この6年を経てイベントや舞台挨拶などをさせていただいても、男性ファンの方もいらっしゃいましたし、これがちゃんと自然になっていくことって、とても優しいことなんだなっていうのを、ステージに立ちながら考えていました。
最初の『映画 ギヴン』も、本当は舞台挨拶のお話もあったんです。コロナ禍でそれがなくなって、代わりに撮影したキャスト出演映像を上映しました。舞台挨拶が叶わなかったのは悔しかったですし、実際にお客さんがどれぐらい見てくださっているのか、お手紙では感想をいただいてたんですけれど、温度感まではなかなかつかめなかったんです。でも今回舞台挨拶に出たことで、「あ、こんなに応援してもらっていたんだ!」「10回も20回も観る方がいらっしゃるんだ、嬉しいな」と思いながら、客席を眺めていましたね。
—— 中澤さんにとって『ギヴン』という存在はどんな存在ですか?
中澤:これは映画でも言ってるんですけれど、傷ついた痕はずっと消えないし、どこかでまたにじみ出てくるかもしれない。けどそれでも「大丈夫だよ」って言ってもらえたり、「こういう解決の仕方もあるんだよ」って言ってもらえたりした作品だったので、自分の中でも、心の中心に近いところにあると感じています。
—— 中澤さんはスーツアクターとして東映東京撮影所【13】作品の『劇場版 仮面ライダーディケイド オールライダー対大ショッカー』【14】『ゴーカイジャー ゴセイジャー スーパー戦隊 199 ヒーロー大決戦』【15】などの作品に参加されていますが、どのようなきっかけでスーツアクターの仕事をされたのでしょうか?
中澤:大学在学中にアクションスクールにも通うようになりました。そのとき教えに来てくださっていた方から、ヒーローショーに出てみないかと声をかけていただいたんです。スーツアクターに従事しつつ、アクションを勉強しつつ、とやってる間にいろんな人知り合う機会ができて、その中のお一方に映画撮影に声をかけていただいたのが最初でした。その後『199ヒーロー大決戦』の方は、スーパー戦隊の199人全員を集合させるという試みだったので、スーツアクターが単純計算で199人必要だったわけなんですよね。僕もその中に入れていただいて、『199ヒーロー大決戦』に出演させていただきました。人の縁でいただいたお仕事でしたね。
—— 人数が多いところからカメラに抜かれたり、少人数の乱戦が入るのは演じていて大変ですよね。
中澤:撮影前に「ここで映ります。ここにパン入って映ります」と指示が入るんです。パンが入る前にアクションをし始めて、フレームに誰が映ってなければいけないのかに気を回しながらやらなければいけないんですよね。タイミングも取らないといけなかったですし、しかも199人ヒーローがいるので、何度もリテイクはできず。とにかく1カット1カット緊張の連続でした。
—— これからの野望としてどんな作品に関わりたいか、やりたいことなどをお聞かせいただけますか。
中澤:その昔、『練馬大根ブラザーズ』【16】というアニメ作品がありまして、初めて発表されたときは本当に悔しくてしょうがなかったんです。「ここに練馬区出身の声優がいるぞ!」って大声で叫びたかったんですけれども、当時は力及ばず。今はようやく、練馬区に関連したラルケさんの『ギヴン』や、練馬文化センター【17】で昨年末に『ブレイクマイケース』【18】というアプリゲーム作品のイベントに出演させていただいて、練馬区に凱旋できるまでになったと思うので、次は「アニメのまち練馬」のアニメ作品に出演して、主演して、もっと花を添えられたらなと思っています。
—— 最後に一言ご挨拶いただけますか。
中澤:練馬区は暮らしやすい街です。 大体どこにでも行けます。 ぜひお越しください。
ありがとうございました。