—— 新谷さんには、2018年と2019年の「練馬アニメカーニバル」や、「アニメ文化トークサロン」にご参加いただいています。また、『Go!プリンセスプリキュア』【1】が大泉の東映アニメーション【2】の制作、『SSSS.GRIDMAN』【3】に登場する都立ツツジ台高等学校のデザインが、練馬区上石神井の都立井草高校をモデルとしており、間接的にも練馬区にはご縁があると思います。そんなことも含め、練馬区の思い出などをお聞かせください。
新谷:練馬区といえば、山本さん【4】ですね(笑)。山本さんと出会った、『ポストペットモモ便』【5】という楽しいアニメを作ったあと、『この世界の片隅に』【6】でまた山本さんと再会して、練馬区のイベントにも呼んでいただく機会を何度もいただきました。
先ほど紹介していただいた『Go!プリンセスプリキュア』は、アフレコも大泉のスタジオ(東映東京撮影所のデジタルセンター)で録っていました。
『魔女見習いをさがして』【7】という映画も、そのスタジオで録りました。いろんな年齢の女の子たちが『おジャ魔女どれみ』【8】の思い出を胸に、いろんな人生とかお仕事とかを頑張るという作品で、主人公の1人で尾道出身の子が働く広島のお好み焼き屋さんの女将の役をやりました。そのときは役として出演していた宍戸留美ちゃん【9】が尾道の人で、広島弁の指導もつけてらっしゃったんですけど、私も思い入れのある作品です。
それから、仕事を始める前の練馬区の思い出が、江古田にあります。
私がまだ劇団に入るか入らないかという18、9のときに、やはり演劇をやりたくて東京に出てきたお友達が江古田に住んでいて、江古田にある加藤健一事務所【10】の養成所に入っていたんです。それでその子の家に泊まらせてもらって、一緒にお芝居や映画、サブカルのイベントに行ったりとか、東京でそういうものに触れる拠点だったんです。
その後、彼女は(演劇を)やめちゃったのですが、『この世界の片隅に』のアフレコがあった頃に、私が加藤健一事務所さんに客演させていただくことになって、西武池袋線沿線の練馬区の稽古場に通いました。
あれから30年近い時を経て、彼女はいなくなったけど、私はこうして加藤健一さんのところで芝居しているんだなと、ちょっと感慨深かったり、「そうやって人生繋がっているんだな」と思いましたね。
—— 2016年に公開され大ヒットした映画『この世界の片隅に』は、練馬区江古田にある日本大学芸術学部【11】出身で、現在は同校の特任教授でもある片渕須直監督【12】の作品でもあります。新谷さんは主人公・すずが嫁いだ周作の母・北條サン役を演じたほか、広島弁のサポートもされていますが、元々原作が好きだったそうですね。
新谷:当時のマネージャーがいろんなことに詳しい人で、「新谷さんは広島だし、読んだ方がいいですよ」と、こうの史代先生【13】の漫画を教えてもらったんです。読んだらもうすごく面白いし、その頃には片渕監督とアニメ様【14】がイベントをやっていらして、そのイベントにも何度か行っていたんです。そのイベントに、私が大尊敬している漫画家の永野のりこ先生【15】もいらしていて、イベントが終わった後に「新谷さん、広島出身だし、片渕監督に紹介するから、何かやった方がいいわよ!」みたいな感じで、片渕監督にプレゼンしていただいたんです。それで片渕監督も「じゃあ何かあったら助けていただこうかな。ご連絡します」と言っていただいて。その後、クラウドファンディングにもファンとして参加してしばらくした頃、監督から「あのときのお話なんですけど、もしよかったら広島弁のガイド音声を録ってもらえませんか?」という話をいただきました。
—— サン役としての出演よりも、最初にガイドの収録が決まったんですね。ガイドを録るにあたって、難しいことはありましたか?
新谷:基本的には広島弁のイントネーションと言い回しとかニュアンスがわかるようにということで、全ての役、全てのセリフを読んだんです。しかもカット前の台本なので、辞書みたいに分厚い。それが2冊あって、どれだけの長さの映画になるんだ?(笑)と。
全部の役をストーリーの流れに合わせて順番通りに読んでいくのですが、まず最初に、どのぐらいお芝居をするか、演じ分けをするのか。みたいなところを、片渕監督と話しました。
どういうシーンなのかわかりやすく、かつその人のキャラクターとか、お話の流れもわかる。というふうに録ったんです。だから、声優の演技としては相当フラットに収録しました。
余談なんですけど、今年の夏にミュージカル版の『この世界の片隅に』【16】の方言指導もやったんです。
そのときもセリフのガイドを全部私が録ったのですが、そのときは演出家さんから「ガイドの時点で演技をして欲しい」ということだったので、朗読劇のような感じでした。
映画版が落語的な感じだとすると、ミュージカル版は全部の役を、声色も変えて演技するという1人芝居で(笑)。そちらの方が結構大変でした。
—— 周作さんのお母さんでキャスティングをされましたが、嫁ぎ先の落ち着いた年配のお母様という役は、意外だったのではないですか?
新谷:最近はお母さん役も増えてきましたけど、そのときは実写も含めてほぼやったことがなかったので(笑)。でも、ガイド収録のときにいらしていた呉と広島の現地の方たちが、サンさんや小林のおばさん【17】のセリフを読んでいるときとかに、「これはほんまに広島のおばさんじゃのう」みたいな反応で評判が良かったんです。それを片渕監督は割と重要視されていたみたいですね。
—— 主人公・すず役の のんさん【18】は、いかがでしたか?
新谷:当時は、演技されるのも久しぶりだったようですが、やはりセンスと集中力、飲み込みの早さ、あとは耳の良さがずば抜けていましたね。
方言のお芝居は、イントネーションとお芝居でやりたいことをマッチングさせていくっていう作業が、普段の演技にプラスされるのですが、ちゃんと聞けてない人は同じ間違いを何回もしちゃう。自分でそれが癖になっていることに気づけなくて言いやすい方になったり、イントネーションを気にしすぎて演技ができなくなっちゃうことがあるのですが、のんちゃんはそこがほぼなくて。そういう役者さんは、あの現場ではのんちゃんだけでしたね。
元々私はガイド収録だけの依頼で、運よくサンさんの役をいただいたので、アフレコには行くことになりましたけど、現場での方言指導は頼まれていなかったんです。ただ実際にガイドを録った人が現場にいるわけで、皆さん「新谷さん、今のところどう?」みたいに聞きに来られるんですよ。
それで、「これはもう、私が毎回アフレコに来て、アドバイスできた方が絶対いいですよね」と、監督に直談判したら快諾してもらって。のんちゃんのボイステストにも行くことになったんです。
そのボイステストのときに、のんちゃんが最初苦戦されていて、そのときに監督が「新谷さん、ちょっと入って試しにやってみてあげてくれる?」と言ってくださって。
それでブースに入って、「ガイドを録った者ですが、ちょっとやってみますわ」という感じでやったら、のんちゃんも「なるほど、そうやればいいんですね!わかりました」と、すぐできるようになって。やっぱり耳がいいんですね。のんちゃん側も「新谷さんがアフレコに居てほしい」みたいに言ってくださったので、できる限りのんちゃんのアフレコにご一緒しました。
—— 映画そのものもアナザーバージョンという形で、2019年に 『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』【19】という作品が公開されました。前から3年経っていましたが、のんさんの様子で覚えていることはありますか?
新谷:3年経って、のんちゃん側からの提案とかアプローチがすごく増えていて。教えるというよりも、コンビネーションでした。相談の内容も、「こういうふうに演技してみたいんだけど、それに合う広島弁ありますか?」とか、「このイントネーションのときの気持ちの込め方って、これで合ってますか?」とか、ものすごく細かい、よりマッチングを厳密にしたい。というお気持ちがあって、それをコンビネーションとしてできました。アフレコが全部終わったときに、のんちゃん側からも「ナイスコンビネーションでしたよね、今回は!」みたいな感じで言っていただいて、それは実感としてもありましたね。
—— 最初の『この世界の片隅に』の完成作品をご覧になって、どんな感想、手応えを感じられましたか?
新谷:やはり広島弁のお芝居を、その当時の空気感とともに隅々に至るまで再現できて、広島弁の作品としてこの完成度のものは多分他にないんじゃないかな。という手応えがあって、良い仕事をやれたな!と思いましたね。
片渕監督が、ものすごく調べて、ものすごく緻密に準備をされて、積み上げられていったものの一つのピースとして、その当時の広島弁というものがおろそかになったら台無しだなと思っていたので。片渕監督のストイックさとか、緻密さリアルを追求する一端を担えたのは、とても嬉しかったですね。
—— 公開後、口コミで話題が広がり大ヒット。国内外の映画賞を多数受賞するなど、観客にもプロにも評価されるというムーブメントになりました、このような反響をどのようにご覧になりましたか?
新谷:片渕監督作品のファンの方たちのすごく強い熱意に助けられて、形になった作品です。本当にファンの皆さんのお気持ち、お力をものすごく感じて、それにお応えできたのは、私もいちファンとして誇らしかったし、本当に嬉しかったです。
—— 『この世界の片隅に』そして『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』は、新谷さんにとってどんな存在になりましたか?
新谷:私が演者としてだけじゃなくて、作り手側に回ることができた初めての作品なので、ターニングポイントでもありますね。
スタッフとして関わる喜びと、それこそ 『ハケンアニメ!』【20】じゃないですけど、自分が惚れ込んでいる片渕監督であるとか、のんちゃんというクリエイターを支えることができるというかけがえのない体験というか。それは私にしかできない!という喜びは、すごくありました。
こだわりのある監督がそれを全部受け入れてくれて、信用してくれて、やらせてくれたのが、今思うとすごく幸せな時間でしたね。
—— これから先、やりたいことや野望みたいなものがあれば、ぜひお聞かせ下さい。
新谷:広島弁の作品があったらぜひお声がけいただきたいですね。今のところ『この世界の片隅に』に関して映画と舞台に関わらせていただいて、お芝居の役者さん目線でも、スタッフさん目線でも、かなり広島弁としては満足のいくものを作れていると思います。
あとは、それに関わってくるのですが、日本って演技のマッチングとかコーチングというお仕事が、そんなに普及してなくって。でも私はそれが得意なんだな。というのが結構最近わかってきました。
『この世界の片隅に』のおかげでもありますが、演技の現場でも若い子にそういうことを言われたり、舞台の現場でもそういうことがあったり、自分で演出もやるようになって、そういうことをすごく思うようになりました。
あとはマッチングですね。方言とか、やらなきゃいけないことと、演技をどう近づけるか。演者がやりたいこともわかるし、やらなきゃいけないノルマというかテーマもあって。そういうことをどう近づけてマッチングさせていくか。マッチング、コーチングという事に関して、何かやれたらいいなと思います。
—— 最後に一言、ご挨拶いただけますでしょうか?
新谷:ご清聴いただきましてありがとうございます。自分でも言っていますけど、ほんとにスキマ産業な感じで、コウモリ野郎で、もう何年も何十年と演技をやらせていただいています。なかなか他の人は経験できないこととか、他の人がやらないようなお芝居とか、役割をやらせていただいていると思いますので、「こういう仕事もあるんだ」とか、「普段、こんなふうなことを考えているんだな」というのが、ちょっとでも楽しんでいただければ幸いです。またどこかでお会いできる日を楽しみにしています。ありがとうございました。